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2019年は日本の医療制度における分岐点

完全にいまさらですが本年初の投稿です。

皆様、あけましておめでとうございます。

光陰矢の如しとはまさにこのことです。
はやいですよね、ほんとに。
『人の子供はよく育つ』
みたいな感じです。
うかうかしてたら、もう年末になっちゃうんでしょうね。
うかうかしてられないですよ。
ところで「うかうか」ってなんでしょうね。どういう表現?

というような無駄なことを考えてたら、年末になるんでしょうね。
無駄な脳内CPUとメモリは使っちゃだめです。

さてさて
年初からなんとも不吉なタイトルの記事を書いてしまうことにかなりの違和感がありますが、
逆に!だからこそ!
これから何をするべきかを若干辛めに捉えて兜の緒を締めていきたいと考えている所存です。

「日本の医療」は大丈夫だと思う

この記事のタイトルは「日本の医療制度」と表しております。
「日本の医療」ではない、ということです。
「医療」は科学であり、学術であります。
多くの医療者が口にする「日本の医療は世界最高レベル」というのは、
概ね間違っていないように思います。
細かなことを言えば
米国をはじめとする一部先進国のほうが研究が盛んであったり、
提供可能な医療技術が幅広かったりと、
日本よりも進んでいる部分があるのは確かです。
それでも学術論文に基づいた治療が施すこと(EBMってやつ)が基本方針ですし、手術や内視鏡などの技術も高度に平準化されているため、心臓移植などの極めて稀な治療などを除けば患者さんは国内で治療を受けることができます。
また基礎研究領域においてもiPS細胞研究の山中教授や免疫チェックポイント阻害薬の本庶教授などノーベル生理学・医学賞受賞者も排出しており、他国に劣っていない現状があります。
多くの有識者ならびに僕のような野次馬国民が常日頃叫んでいるように
当該分野に対する研究費の投入によって、研究環境の高度整備ならびに待遇改善が必要ではあります。
しかしながら、今までの実績を考えれば欧米先進国と変わらぬ成果をあげ、世界的な影響力もある力を有しております。

これらのことから臨床面においても研究面においても、「日本の医療」は世界レベルといっても過言ではないでしょう。

医療制度は日本国憲法と同じ道を辿っている

日本国憲法は1946年(昭和21年)につくられたものです。
かの大戦で本邦が敗れ、まさしく敗戦国だったころに作られた憲法です。
今現在の日本が「もはや戦後ではない」か否かといった
政治経済的なお話は置いておいてください。
あんだけズタボロにされ、GHQによって統治されていた時代につくられたものですよ、ということです。
そんな混乱期に作成された憲法が示すものは
「日本の強制的改革」であり
「民主主義と平和主義の理想論詰め込みセット」でもあると思っています。
例えば頻繁に話題になる第9条「戦争の放棄」には
『武力的なことは一切しませんし、やりません。
 国際紛争にも首をつっこみません』
って言っているわけですよ。
要するに
「日本は戦争で負けたんだから、もう二度とすんなよ!」
という戒め文なんですが、昨今のグローバル化には対応していませんよね。
北朝鮮をはじめとする国々の武力外交には成すすべもなく
ISISなどの国際武力問題にも日本はノータッチを貫いっちゃって
世界から「日本は金しかださねぇな!」って批判食らっちゃったりする。
70年以上前に今の世の中が想像できていないからですね。
こんなに日本が復興するわけない、っていうところから始まり
中国らの発展、北朝鮮問題、イスラムVSキリストによるワールドワイドなテロ事件なんてものがある世の中をだれも予期していないからです。
じゃあ今どうやって対応しているかというと
拡大解釈で乗り切ろうっていうことです。

・武装地域だけど補給だけだから、非武装みたいなもんやで
・自分を守るための武器やから、これは武力ではない

みたいな感じです。
まともな神経してたらこの辺りはとてもできないでしょう。
強靭な鈍感力で対応するしかない、というところに来てますよね。

医療制度も同じ感じだと思います。バージョンアップしていない。
昔は良くも悪くも「高度医療」と「町医療」の差が狭かった。
CTもMRIもない時代ですからね。もっと言えばエコーとかもない。
脳外手術も顕微鏡がないから「エイヤ!」でやってたみたいだし(院長談)
人口は爆発的に増えていて、医師の数も限られていて。
団地もないから人口密集度も低く、あちらこちらに医師が駆け回る時代。
戦後間もないころから高度経済成長期中ごろまでは
食うにも困る人々が多くいたでしょう。
だから国としてライフラインを敷く必要があったんだと思います。
「応召義務」と「フリーアクセス制」によって
誰でもどこの医療機関でもかかることができるようにして、
国民の安寧を祈っていたわけです。

実に素晴らしい!!
書きながら、想像して、涙が出そうでした。
国民は国の礎ですから、できる限り生き残り、人口を増やし、
敗戦から立ち直る動力源となってほしいという
時の官僚や政治家の熱い思いを感じずにはいれません。

ただ、幸か不幸か、世の中は移り変わりました。
かの敗戦から見事に立ち上がり、
国は豊かになり、世界にも名を轟かす経済大国になりました。
今度は人口減少、超高齢少子社会に突入しています。

医療機関も共に変わっていきました。
大規模病院が増え、機能分化され、
一部は極めて高い技術と投資の上でなりたつ医療を提供し、
また一部は「かかりつけ」として住民の健康を広く守るようになりました。
医療機関の間を取り持つために、地域連携という考え方も広まりました。

それだけ機能は変わってきたのに、医療に関する方針の根底には
あの医師が鞄をもって走り回っていたころと変わらないのです。
貧しい国民が治る病にも関わらず、病院にかかれなかったころと
変わっていないのです。
「応召義務」と「フリーアクセス制」のままなのです。

・医師の残業時間が年1860時間にしようとする馬鹿げた施策
・高度急性期病院がかかりつけの患者
・やってもやっても進まない地域連携

これらの諸悪の根源は「根底が変わってない」からです。
診療を断れない、誰でも受けられる医療機関は
機能分化しきれないのです。
結果患者がオーバーフロー、医療従事者がパンク寸前。
でも「応召義務があるからやらなきゃ」「フリーアクセスだからうけなきゃ」と束縛されています。
もう古いのです。バージョンをあげないと、もたないのです。

国策として進めるしかない

医療者を守るには、ひいては日本の医療体制を守るには
過去の呪縛から解き放たれるしかないのです。
「呪縛」なんて書きましたけど、純粋に応召義務やらフリーアクセス制やら
もうどう考えても「時代遅れ」なことをやめればいい。
これを医療機関側の独自努力と解釈でどうにか対応させる、ってのは
無理ですよ。

たとえるなら
『野球のグローブとバットを渡して
 割烹料理をつくらせる』
ぐらい無理。よくわからないけど、それぐらい無理。

アメリカみたいに公立病院はフリーアクセスにしつつ、税金投入する。
民間病院はかかりつけなしでは受けられない。
これで医療機能の分化を強制的に進めるっていうのもありですよね。
公的病院もつらいかもしれませんが、民間病院のほうがつらいやつです。
地域連携がしっかりできていない病院は患者が取れない、ってことですから。
ここまできつくなくても、働き方改革をしたいなら
制度改革から。運営改革から始めてほしいものです。

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