「医療」は「諦め」を覚えよう、そろそろ。

もう十分なんだ、諦めよう。

「すべての患者『様』にとって最良かつ最高の医療を」
「最期の一瞬まで添い遂げる医療を」
「多くの国民の希望にこたえ続ける医療を」
たいてい、このあたりのことを医療者は思ってると思います。
でもね、この考えって日本社会とあってないと思うんですよ。
日本は資本主義です。これは間違いない。
誤解を恐れずに言えば、お金をもっている人がエラい。
お金があれば、その人の身分に寄らず、購買ができるし、サービスも受けることができる。(反社会とかは除いて)
よりよいサービスを受けようと思えば、お金をたくさん払わなければならないという文化です。
先日、僕が出張で泊まったビジネスホテルは一泊1万円でした。
それなりに清潔で、部屋もそれなりに広くて、朝ごはんにおにぎりが振舞われて、そこそこ快適にでした。
帝国ホテルのような超エグゼクティブな宿泊施設であれば、もっと綺麗で広くて、よいルームサービスを受けることができるでしょう。
でも、宿泊費用はビジネスホテルの数倍はかかるんじゃないかな。
当たり前の話で、「いいもの=いい価値=いいお値段」なんです。
ただ、医療だけは違う構図になっています。
国民皆保険制度と診療報酬制度によって、
「お値段据え置き」になっている。
その一方で医療機器や薬剤などは、きっちり資本主義社会の企業が運営しているので「いいお値段」を設定してくる。
 収入:お値段据え置き
 支出:いいお値段
結局、医療者も病院も儲からないわけです。
そんな中で冒頭に書いた「最高で最良な医療」や「希望にこたえ続ける」ことがどうしてできるのか。
できないものはできないっていわないと、もうこの業界は貧しくなる一方ですよ。
やれる範囲は限りがある。やりたいけどできない、答えられない、という「諦め」もそろそろ必要じゃないかな。

無理をするの、やめようよ。

医療者のピュアな「人を救いたい」「人のためになりたい」
という気持ちは痛いほどわかります(医療だけに)
でも、気持ちをかなえるために無理してがんばって、
むちゃくちゃな勤務体制に耐えて、自分や家族もないがしろにして、
その先に更なる貧しさへ突入するようなことはやめませんか。

「医療技術を学ぶためには若いときに苦労すべき」
「患者のために尽くして何が悪い」

わかりますよ、そりゃそうだったんでしょうね。
戦後復興、高度経済成長期、ベビーブーム。
昭和の激動にもまれてきた方からすれば、ぬるいこというなと思われる方も多いでしょう。
でもね、やめていっても、次はたくさんいるんだという時代は終わりまして、もう日本は人口減少社会に突入します。
人が大量にやめていってしまい、よりつかなくなって、
日本の医療が滅びるかもしれない、
そういうリスクは極めて高いと思いますよ。

永続可能な医療のために「諦める」

医療をなくさないために、医療を諦めましょう。
国民皆保険などの制度はまぁ変わらないでしょ、だっておじいちゃんとおばあちゃんには必要な制度ですもの。
票田がいつだって高齢者にある以上、高齢者のデメリットになる施策は通りません。
であれば、医療人として「やるべきことを選択」するべきです。
やるべきこととは、「儲かること」です。
方策は主に2つと思います。

①厚生労働省のお役人が誘導することをやる
お役人さまたちは診療報酬制度のイジイジをして、
日本の医療制度や体制を調整しているわけです。
その誘導にしたがって医療体制を構築すれば、儲かりますね。
そこだけをやる、というわけではなく積極的に注力することで
まずは病院全体の儲けを考えるべきです。
自分の家で考えれば、すぐにわかるのですが
お父さんが外資系に転職すれば世帯収入は増えるでしょう。
同じ「営業」であったとしても、サラリーは段違い。
同じことをして儲けが増えるなら、そうすべきです。
あわせて、必要とされていない部分、
つまり「やってもやっても赤字になるような治療」は
役人(≒国)としても「やらなくてよい」という判断で
あえて診療報酬がついていないので、やらなくてよいです。
これは家庭における「節約」に近いですね。
『誰も読んでいないのに新聞を取っているならやめましょう』
みたいなことです。

②医療付帯事業をやる
健診事業や予防医療事業、美容整形などの自費診療など、
保険診療以外の部分、付帯的な事業を展開するというのが
2つめの施策案です。
保険制度や診療報酬に縛られない部分ですので、
自由度も高く、資本主義の市場として使えます。
「こんなものは(思っていた)医療ではない!」
といわれますが、思っていたこと、やりたいことをやるために
しっかりとお金を稼ぐべきです。
家庭でたとえるなら、副業やお母さんのパートでしょうか。
夫婦でテニスをやりたいなら、ラケットを買うために
お母さんがパートで稼いでくる。みたいな感じです。
(これは完全に私の母の話です)

「綺麗さ」よりも「実益」

綺麗に取り繕って、すべてをかなえる医療者でありたいかもしれません。
それは結局「取り繕い」ですよ。
すべての人の医療を支えるお金も、労働力ももうないのです。
増大する一方の「国民の期待」という魔物も
一度捨て去らないと、地域包括ケアも病院間の連携も
うまくいくわけがありません。
山奥で1人で住んでいる人に対してまで24時間手厚い医療は
施せるわけがないのです。
逆に医療者ができる範囲を明示しなければ、
国民は医療を考えることはないでしょう。
いつだって受益者はわがままです。
そのわがままをいつまで聞けるでしょうか。
将来のためにも、実益を取るために動かなければ
両者共倒れになるのではないかと危惧しています。

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