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頑張るとは何だろう。

頑張れと言われて何をすればいいか分からない人たくさんいると思います。自分もそうです。特に今大学生で就活生のある中で何をどう頑張っていいのかがわからないということがたくさんあります。授業周り研究室周り就職活動周りもちろんバイトもしています。生きてく中で必要なことは何も勉強だけではないと思います。ですが勉強して行かないと取り残されちゃう、置いていかれるそういうことはたくさんありますよね。僕もそういう経験もあります。人生の岐路に立ったことがある人っていうのは何かを努力していた人、何かに思い悩んでいる人だと思います。自分もそうだったようにこの先どうしようとかこれからの将来が不安だとか後先のことを考えれば考えるほど悩みに悩み自分の生きたい方法がわからなくなる。そういうものだと思います。今でこそコロナが収束はしてませんが初期に比べるとだいぶ落ち着いたというか、皆さん当たり前のものになったと思います。マスクするのも普通ですしそういった中でもちろん変化っていうのはあるわけですよ。自分が想像できないものっていうのは往々にして起こりうる。その中で何か一つに向かって頑張っている人っていうのは素晴らしいですよね。パンデミックは終わらないんですけれども時間っていうのは過ぎていきますよね確実に。この前まで4月で入学式卒業式とかもあって本当に人生のプランというか、まあいわゆるちょうど岐路に立った、ここからスタートって言う人がいると思うんですよ。僕もまあ4年生になってこれから頑張るぞって言う風にはなるんですけれども、何をがんばろうかなって思うんですね。もちろん卒業しなきゃいけないなっていうのはあるんですけれどもなんで卒業しなきゃいけないんだろうって逆算した時にそれは就職活動でいわゆる内定先、自分の行きたいなと思える会社が見つかったからそのためには卒業しなければいけないとそういうふうに考えるわけですよ。でも将来やりたいことがわからないとか就職したくないって思う人にとってはわざわざ卒業する意味はどこにあるんだろうって考えますよね。だって卒業が別にゴールでは無いですしもちろん就職することもゴールではないですけれども。ここで確実に言えるのは大学生になってから今までの間で時間は確実に過ぎていって同じように自分と同じタイミングで入学した人と確実に差が出ているはずなんですよ。それは例えば入学当時はお互いに目標がなかったにもかかわらずまあ4年生になってみてその仲良かった人には夢ができて就職したい企業も見つけられて将来設計がある程度固まったという人もいると思うんです。でも雑に生きている人に限ってそこが上手くいくこともあるんですよね。どういうことかっていうと真面目な人ほど将来どうしようかなっていうのを考えるクセが日頃からついているので明日以降したいっていう思いはあるけれどもそこに挑戦して失敗した時の自分が情けないって思うこともあるわけですよ。情けないって思うことと同時にそれで失敗した時にどうやって取り返そうかなって考える頭がないわけです。考えようとも考えられると思うんですけれどもそこそこに考えるよりかは何もしないでいわゆる安泰、無難な人生をおくった方が良いって思う人が多くいる。僕もそうですね。別に失敗したっていいじゃないかっていうふうに思いますよ。思いますけど自分がいざその立場になると失敗ってなんだろうっていうふうに思いますよね。言葉の意味を考えるとちょっと難しいし、窮屈にはなりますけれども辞書で調べたらすぐ正解わかりますですがそれが必ずしも正解かどうか分からないですよね。僕らは答えのないところで生きているわけですよ。答えがない中で答えとなるものを作っているわけですよね。例えば簡単なところで言うと学校のテストとかがそうじゃないですか学問を学ぶまあ先生、学校の先生から教えてもらえるその中で教えてもらっていることに嘘偽りがないこともあるし、もしかしたら適当なことを言っている可能性もありますよね。でも先生が出すテスト作るテストっていうのは答えは一つに決まっているわけですよ例えば数学の問題で二次関数の問題が出たとしましょう。その時にじゃあ最大値最小値を求めてくださいって言われた時に定義域が決まってれば最大値最小値わかりますよね。そういうふうに答えは決まっているわけですよ。この場合はどこからどこまでっていう範囲が決まってるわけなんですよね。そしたら答えが見つかりやすい。定期テストとかは出題範囲が決まってますよね。どこからどこまでって大学の入試のテストも一緒ですよ大学生で学ぶことは基本的には出題されない。高校生活で学んだことから出題される答えが一般的ですよね。ですが大学生になってからはそうとは限らないんですよ自分が出した答えが必ずしも正しいとは限らないしもしかしたら間違った答えでうまくできる可能性もあるんです。どういうことかっていうと一緒に同じように過ごしてた人がいて例えばある日その人がまあ逮捕されたとしましょう。その時に「いやあいつも同じようにやってたんです」と売られた瞬間にもう自分の人生は終わりですよね。まじめにいきて何も罪を犯してないのにも関わらずたった一言の嘘で自分がまあ冤罪というふうな可能性もあるわけです。だからまじめにいきている人だけが必ずしも成功するわけじゃないし、とくをするわけでもないんですよ。逆に言うと遊んでる人が成功する可能性だってあるしもちろん失敗する可能性もある。でも失敗も成功も誰かと比べたときに起こり得ることだから誰かと比べなきゃいいんじゃないかっていうふうな考えを持つ人もいると思うんです。その時に思うのは比較対象がいればいるほどと自分を追い込むことができるがストレスにもなる。そういう世界なんですね。そこで頑張る頑張らないっていうのが目に見えてくるわけですよ。何か結果を追い求めたい、何かを成してあげたいという夢や希望がある人にとってはそこを貫く為、そこを達成するために頑張るわけですがその頑張り方っていうのがもしかしたら人によっては頑張ってないと思うこともあると思います。いわゆるやってるふうってことですね。なんとかしてますっていう風な回答を得ることがあると思う。それが悪いことではないと思いますよ。時にその頑張りっていうのが上手くいかないこともありますし評価されないこともあると思うんですけれどもそういう環境に身を置くことがもしかしたら大切なときなのかもしれないですね。新しい環境でがんばるぞっていう気持ちを持つことはすごくいいことなのでまあその環境でとりあえずやってみようか。それが多分一番大切なことですね。頑張る頑張らないはまあ次でいいんです。その次でただとりあえずやってみるっていう中で数ヶ月経って振り返った時にあー頑張ってたかもな、頑張ってなかったかもなそういう判断ができればいいんですよ。頑張るぞで始めるんじゃなくてやっていて頑張ってたな振り返った時にがんばってたなって思えばそれでいいんですよ。だから毎日ただただ生きていればいい。そしたらそれがだけでも充分。今もう20歳になった人はそれだけで充分頑張って生きてたんだ。どんなに資格試験とか受験勉強で失敗してたとしても生きているだけで価値があるんだって。そんな中でもっと頑張ろうと思えるならいいことだし頑張れないのかなって思ったのであれば今まで生きてきた年数、日にち、時間、秒数、数えてみてください。そして感謝できる人がいる、育ててくれた人がいるのであればその人に貴重な時間を分けてくれてありがとうって伝えてみてください。それだけでその人が喜びますから。


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