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福祉と教育

先日弟と話していて衝撃を受けたこと。
今やっている仕事はある程度経済的余裕のある人がすることで、借金のある人がする仕事じゃないとはっきり言われたこと。
たしかにお金返すことを目的に働くならそうかもしれない。
福祉系に限らないけど、対価は相対的に見ても低い。
それでも良いという人たちが働いているのだろう。

さらに、若いうちから福祉に関わる必要はなくて、人生経験積んでから関わる方が良い仕事ではある。
だから年齢的には問題ないのだけど、今のわたしの状況では最適ではないと言われた。
そうか。そんな考えはなかった。
彼は大学卒業してからずっと理学療法士として働いている。
その世界のことはいろいろ知っているのだろう。
一つのことをコツコツ続け、常に身体を鍛え、精神的に落ち着いた人である。
その冷静さは見習いたいところだ。

一緒に働いているスタッフで、前職が支援学校の支援員をしていた人がいる。
時給は今のところの2倍以上だったのだそう。
それでも今のところで働くと決めたのはお金じゃないものに価値を見出したからだと感じた。
わたしもやっているとやっぱり面白いと感じる。

一筋縄ではいかない子どもたちばかりで、毎日いろんなことが起こるし、車も運転するから疲れはある。
自分が子どもみたいだからどちらかというと同志のような、対等な関係で見る。
好きな子もいれば、そうじゃない子もいる。

この子たちが将来自立して生きていけるようにするにはどうすれば良いかをスタッフみんなで考えている。
それがまた楽しい。
いろんな世代の考えも知ることができる。


少し前に、この仕事に公文の教材を活かすことができたら良いなと思っていた。
それをすでに実践している放課後デイサービスがあることを公文ニュースで知る。
認知療法としても使われていることは知っていた。
今観ている子どもの中にやってみてほしい子が数人いる。
わたしのエゴにならないように、導入するにはどうすれば良いかを考えたい。

子どもたちにとって知能の発達は不可欠だ。
あゆみは遅くてもやったら確実に変わりそうな気がする。
そんなことを考えてワクワクした。

そういえば
公文の先生も経済的に余裕のある(つまり精神的余裕がある)お母さんの仕事なんだよね…

子育て事業の仕事は社会貢献が根底にあるから、経済的精神的余裕のある人じゃないと難しいのかな。







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