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このコントは笑えるのか

『鎌倉殿の13人』滑り出しから最高ですね。子供たちの寝かしつけと重なるためリアタイできないのがつらいところ。第一回の北条館でのコントぶりがあまりにも素晴らしかったので、思わず10年ほど前に書いた三谷幸喜最高のシチュエーションコメディへの言及を含む原稿(のちに拙著『メモリースティック』にも収録)をこちらに掲載します。

今年の「キングオブコント2013」に期待したお笑いファンは少なくなかったと思う。自他ともに認めるコント巧者が揃っただけでなく、それがバナナマン、東京03以降の新しいコントの潮流すら感じさせる顔ぶれだったからだ。よしもと所属のファイナリストが天竺鼠のみ、というのもなにやら象徴的だった。

「新しいコントの潮流」とは、ひとつにはシチュエーションコメディとしてのコントの復権である。そこにもう一枚、キャラクターの奥行きが加わるところに〈新しさ〉がある。

もはや雲の上団五郎一座の時代ではない。観客サイドにかつての「歌舞伎」のような共通の素養は期待できない。またドリフからウンナンまで、テレビ番組を前提とした続き物コントが優遇される時代でもない。いまやアニメや映画など先行作品のパロディでもないかぎり、既存のキャラクターを前提としたコントは難しいだろう。

かといって、キャラクターに頼らず、発想のかけ算のみで勝負するコントでは薄い(このワナを私は、2012年の決勝進出者、夜ふかしの会にならって「夜ふかし問題」と呼んでいる)。練ったシチュエーションの中で、キャラクターもきっちりと立たせること。そのためには、観客にキャラクターの背景や奥行きを短時間で理解させるための演技力が必須となる。そういう意味で、現代のコント師はかぎりなく喜劇役者に近づいていく。

うしろシティの1本目、キャラクターの心理的な組み立てはよかったが、大会1本目としては地味に映り、点数が伸びなかった。その反動で鬼ヶ島の力技コント(もちろん彼らには丁寧なネタもあるのだが)が900点越えをしてしまい、得点基準のものさしがバカになった、評価軸は乱れた。

そんな荒れた展開の中でも、優勝したかもめんたるのネタは鮮やかだった。

1本目、路上詩人と金持ち女の対比によりキャラクターを瞬間で立たせつつ、「ピエロのプライド……これはいいわね」と奥行きも与える。シチュエーションも二転三転させ、余韻まで残す。鬼ヶ島も天竺鼠も悪くなかったが、かもめんたるが示したハイブリッドなコントのクオリティは頭ひとつ抜けていた。

日本を代表するシチュエーションコメディのつくり手といえば、三谷幸喜である。そんな三谷の出世作ともいえる『その場しのぎの男たち』がこのたび再演される。

初演は1992年。三谷が東京ヴォードヴィルショーのために書き下ろした作品だ。舞台は明治。ロシアのニコライ皇太子が日本人巡査に斬りつけられて負傷した「大津事件」を題材とした歴史コメディである。

時の松方内閣を影で支配する伊藤博文を伊東四朗が演じ、その伊東と対立する陸奥宗光を佐藤B作が演じた。それぞれ当たり役として今回の再演でも同じ役を演じることになっている。

細かいギャグやくすぐりも入るが、基本的に登場人物はみな、事態に真面目に立ち向かおうとするストーリーだ。そして、彼らが必死になればなるほど〈おかしさ〉が生まれる構造になっている。

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇」というかのチャップリンの言葉のごとく、明治の首脳たちを見舞う悲劇は、ロングショットから眺める観客にとってはまさに爆笑するしかない状況に映る。

ただ、もっともっとロングショットで引いてみたらどうだろうか。

実際、「大津事件」において大国ロシアへの対応を誤れば、日本の命運は変わっていただろう。私たちはその後の歴史を知っている。しかし渦中の登場人物たちは、破局の可能性を抱えながら、それを直視できずに「その場しのぎ」の保身に終始するのみなのだ。

そんな状況を身をもって体験している。

福島映像祭で上映された『東電テレビ会議』を観ながら、そう思わざるをえなかった。

『東電テレビ会議』は、東京電力が公開した福島第一原発事故の際のテレビ会議の模様を劇場版として再編集した映像作品である。福島第一、第二、東電本部、柏崎刈羽、オフサイトセンターの5ヵ所が分割画面で映し出され、そこにフクイチの吉田所長、東電本社の勝俣会長、清水社長、武藤副社長、小森常務、高橋フェロー、武黒フェロー(いずれも役職は当時)などが登場する。

元の映像は東電によって加工されている。会話の端々はピー音で消され、画面にもところどころボカシが入る。それでも上映されたバージョンでは、会話の主や説明がそのつどテロップで加わるため、画面の中で起こっている事態はよくわかる。いやわかるどころか、4時間越えの上映時間があっという間に感じるほど見入ってしまった。不謹慎ながら、場内では笑い声すら何度か上がった。

原発制御装置を動かすための電力が足りず、乗用車のバッテリーをかき集めるが、それでも足りないとわかり、その場で現金のカンパを募るフクイチ職員。そのお金でカー用品店でバッテリーを購入するのだという。事態の大きさと、対応策のギャップがブラックジョークとしか思えない。

また、2号機の水蒸気爆発を防ぐためにパネルを開ける必要があるのだが、1号機の爆発の際にその衝撃で2号機のパネルはすでに開いているかもしれない、という報告を聞いたときに東電本社内で起こる「ラッキー」という歓声。間髪入れず吉田所長が「未確認だから喜ばないでね」と付け加えると「……シュン」としてしまうやりとりなどは、まんま『その場しのぎの男たち』のワンシーンのようだ。

吉田所長の「ジジイの決死隊でいくしかないかも」や、武藤副社長の「こんなときだからこそ『TEPCOスピリッツ』を」といった発言でも、つい笑いが漏れる。しかし、このとき、東日本は壊滅する可能性も孕んでいたのだ。

『東電テレビ会議』はその後に来るかもしれない破局を予感させながら、疲労困憊を極める現場の映像とともに終わる。かもめんたるのネタのごとくあとは想像に任せて……なんてことはなく、私たちはその後の世界をよく知っている。実際、メルトスルーなど決定的な事態はこのあとに起こった。

そして、以後の世界を生きている。

放射能汚染水の海洋漏れのニュースと、東京五輪招聘のため安倍総理が世界へ放った「アンダーコントロール」という言葉のギャップをどう笑えばのいいのか。このフィクションのような現実はどこまでロングショットに引けば、喜劇に転じるのだろうか。

(初出:『Quick Japan』2013年10月号)


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