見出し画像

私たちはなにを見ているのか ~柳家権太楼『心眼』をめぐって~

見える。見えない。見えないからこそ、見える。見えるからこそ、見えない――。「見える」と「見えない」はいくどか裏返され、折り重ねられる。

按摩の梅喜は盲人である。彼の目は「見えない」。

ある日、そのことで弟に雑言を浴びせられて帰宅した梅喜を、女房のお竹が慰める。梅喜の視力恢復を願い、夫婦は薬師様に信心を積むことを誓う。

やがて満願叶ったか、たまたま通りがかった知り合い、上総屋の旦那の指摘で、梅喜は自分の目がいつのまにか「見える」ことに気づかされる。

喜ぶ梅喜の前を、奇っ怪な物体が走る。人力車である。目の前に広がるのは新しい世界だ。すると気になるのは、女房お竹の容姿である。旦那によれば、お竹は、まずい顔だが気立てはよいという。一方で旦那は、芸者の小春が梅喜に惚れているとも告げる。

自分がいい男であることも知らされた梅喜は、小春と会い、女房のお竹と別れることを決意する。そこにお竹が乗り込んでくる。お竹に首を絞められ、苦しんでいる最中に、梅喜は目覚める。

夢を見ていたのだ。

そばにはいつもの優しいお竹がいて、目を治すために信心しようと言う。そんなお竹に、梅喜がつぶやく。「信心はやめた」。訝しがるお竹。「盲は妙だなあ」と梅喜。続く台詞でサゲとなる。

「寝ているうちは、よく見える」

この『心眼』、今日では高座でかけることが難しい噺の一つとされる。理由は、盲人が主役であるというだけにとどまらない。顔の美醜の扱いも、現代の基準からすれば、ルッキズムと見なされても仕方ないだろう。

それでもこの噺がいまなお鮮度を失わないのは、「見えること」と「見えないこと」をめぐる本質的な問いが、秘められているからだ。

演題が象徴的だ。心眼。目に映らない真実を見抜く力、のことである。

果たしてお竹の顔は「まずい」のか? はたまた梅喜は「いい男」なのか? 夢である以上、本当のところはわからない。

だが、梅喜には、なにがしかの真実がたしかに「見えた」のだ。だから、梅喜は言う。「このままでいい、このままがいい」と。

落語は一部の例外を除き、固定化したテキスト=原典を持たない。落語とは常に生モノであり、その場その場で演じられたものが、噺の実体となる。

そのため落語がメディア化される際に、最初に採られた方法は、速記であった。演劇の戯曲のように噺を文字で組み立てるのではなく、上演をそのまま書き起こしたのだ。

やがてテクノロジーの進歩とともに、落語はレコードに吹き込まれ、ラジオやテレビで放送され、CDやDVDにデータとして焼き付けられた。いまでは動画や音声ファイルとして、インターネット配信もなされている。

ここに至って、不思議なことが起こる。多くの落語ファンが指摘するように、落語のソフトは、情報量が多いはずの映像よりも、音声だけのほうが臨場感を得られるのだ。

いったいなぜだろうか。

落語は「なにもないから、なんでもある」芸能とも言われる。

小道具は、扇子と手ぬぐいのみ。舞台背景も、その瞬間に演じている以外の人物も、なにもない空間にある(いる)かのように見立てられ、噺は進行していく。物語を構成する要素の多くが省略されているぶん、観客が想像し、脳内で補完することによって、落語は完成する。

さて、落語の映像と音声における臨場感の差について、私はこう思う。

メディア化された落語は、落語そのものではなく、上演の記録であることからは逃れられない。その上で、映像記録の場合、フレームがあることにより、それを記録している「誰か」(=カメラ)の存在を意識してしまう。

一方、視覚情報のない音声記録の場合、記録者の存在を意識することがないので、いち観客として噺のなかで存分に想像力を働かせることができる。

見えるからこそ、余計な情報まで目に入る。見えないからこそ、空間に入り込むことができる。

梅喜もこう言っていた。

「目が見えなかったときはあたしゃね、誰の助けもいらずね、うちへ帰れたんすけど。パッと目が開いたらどこがどこだかわからない」

そういうことは往々にしてある。

いまここに、落語家の柳家権太楼が『心眼』を実演する模様を収めた大森克己撮影による写真集がある。

通常、実演中の落語家の写真は、演題ではなく、落語家の名前に紐づけられる。実際それらの写真は、落語家自身を紹介する役割を担っていることが多い。逆に、落語の実演の一瞬を切り取った写真を見てその演題を当てるのは、よほどの通人でも難儀するはずだ。

だが、この大森の写真がユニークなのは、権太楼による『心眼』の実演を、始めから終いまで丸々収めているという点にある。これは柳家権太楼の写真であり、『心眼』の写真でもある。このような落語写真の試みを、寡聞にして私は知らない。

映像記録とも異なる。ここには音声情報がない。シンプルに視覚情報だけが存在する。

座布団が一枚置かれている。フレームの外から羽織姿の落語家が登場。座布団の上に座り、深くお辞儀すると、おもむろに前を見据える――。

このとき正面からレンズに捉えられた落語家は、三つの位相をまとっている。

言うまでもなく、一つは「柳家権太楼」という位相である。

そこには亭号や名跡の持つ歴史、師弟関係の連なり、修行を積み、芸を磨くことで獲得した様々なイメージなどが含まれている。一般に「落語家」という際に、私たちが想像するのはこの位相だろう。

その奥に「梅原健治」(権太楼の本名)という位相が透けて見える。たとえ彼が落語家になっていなかったとしても存在する位相だが、当然、高座の上でも、常に奥底に横たわっている。持って生まれたものでもあり、伝統芸能の世界では「ニン」などとも呼ばれる。彼がマクラで孫や年金の話をするときにも、ひょっこり顔を出すかもしれない。

権太楼が『心眼』の世界に入りながら、頃よいところで羽織を脱ぐと、最後の位相が姿を現す。「梅喜」「お竹」「上総屋の旦那」「芸者の小春」……噺の登場人物たちである。

近代的な演劇では、それぞれの人物になりきることが重要だ。つまりこの位相がメインとなる。しかし、落語は違う。役を演じるようでいて、演じきらない。あくまで落語は「一人芝居」ではなく、「一人語り」の芸なのだ。役の位相だけでなく、三つの位相がすべて絡み合うところに妙味がある。

しかし、ここにある写真を見ていくと、もう一つ別の位相も浮かび上がってくる。

権太楼の顔に刻まれた皺が、着物のシルエットが、瞳の奥の光が、雄弁に語るのだ。

いくつかのショットに、『心眼』の隠されたテーマを見る。

それは「曇りなき純粋さ」である。

純粋さは、善良さにも、欲望の発露としても発揮される。願をかける場面だろうか、目を強くつぶり大きく口を開いたその表情に、権太楼の型と、梅原健治の人生と、梅喜の祈りの三つを見ながら、同時にそれらを包み込むピュアネスの強度にたじろいでしまった。

私たちの目に普段、映っていないものが見えている。フタをしたはずの無意識の世界。

案外それは、梅喜が見た真実に近いのかもしれない。

(拙著『伝統芸能の革命児たち』より)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?