体を操ると書いて体操

最近特に特筆すべき事項は無いけど、何か書きましょうか。

また体操を教える様になった。幼小中高大そして社会人に至るまで、年齢層は広い。教えて相手ができるようになったら嬉しい。お互いとても嬉しい。それが体操というか、アクロバットの楽しさの一つでしょう。あとご存じの通り、自分もできる技が増えればそりゃあ楽しい。体操は体を操る。意のままに肉体操れたらやっぱ楽しい。どこに出かけたって、その気になったら自分は動ける、と動けないではウキウキ度が違う。安心感が違う。(と思ってるけど実際人目のつくとこで回るなんてごっつ恥ずかしいのでしません)

歳もとったら体も傷みやすくなるので大事にします。


体操は、競技としてつまらない。熱くならない。
自己満足で終わるスポーツじゃね?
昔そういう声を聞いた事はあった。

ですよねえ…と思う。
審査員のお眼鏡に適う技、演技をして、審査員のジャッジでスコアが決まり勝敗を決する。
他の競技スポーツと並べてみれば、○○VS○○の間に「審査員」が介入する。つまり物理的に対峙するのではなく、間接的なんだ。体操も新体操も器械体操も、今流行りのスノボーも、スキーのモーグルやフリースタイルも、オリンピックで盛んなスケボーも、審査員を介して間接的に競っている。と言い換えるのはちょっと変かな。”物理的なぶつかり合い”が観たいのであればやはり物足りないのかもしれない。
加えて、選手がファインプレー(完璧な技)をしたとて、それがスコアにどれだけ反映されるかは最終的に審査側に委ねられてしまい、決定的ではないのかもしれないのだ。要するに予想がしづらい。
そして個人競技の場合、勝負の瞬間はいつも一人だ。周りに応援が居ようとも、コーチが居ようとも、対戦相手がいても、やるのは一人だ。一人で完結する。見ていてつまらないと感じる人もいるかもしれない。

これらの事から、色んな意味で勝負を楽しむというより、技を楽しむ種目であると思う所はある。元々そっちだったのにバトル形式をつけましたって感じだよね。
しかし実際どのスポーツも、勝った負けたよりその選手一人一人の神がかったプレーだったり、超人じみた動きだったり、努力や才能で練り上げられた、一般人では及ばない選手だからこその”力”に目がいくんじゃないだろうか。観ている部分は結局共通してる説、これあるんじゃないか。 

体操も一緒だと思う。技(プレー)に、自分の体(体づくり)に、人生を突っ込んでいる。生きがいを含めている。熱意を込めている。ごく僅かな数分の実技に、何ヶ月、何年も時間をかけて、国内、世界にこれが最良の演技だと、審査員のみならず観客にも向けて訴えかけあう。何が最高か。何が最上か。体を操る事をどこまで極められるか。訴えかけるというか、楽しませるつもりで。勝負をしながら魅せれるのだ。それが体操、”魅せる”の魅の部分をスコアに換算してお互いを高めあうスポーツ。だと思う。あの数分には何年分もの努力が詰まっているんだ。

因みに、日本人は体操という種目においてかなり有利な体である。細マッチョで体幹が強く、小柄でありつつ動きに繊細さを持つ器用な人が多い。職人、侍、はたまた忍者か。どれも体がデカくゴツい人、というイメージは無くないか?いやでもデカい侍も職人もいるか。人それぞれか。

結局、素人で観る側は体操をどう楽しめば良いんだよという問いについては、無理して観なくても良いよ、としか言えない。自分が惹かれたスポーツを愛せば良いと思う。ただ、体操してる側も、好きで観てる側も、同じく心惹かれのめり込み、楽しいからこそやっているのは他のスポーツとなんら変わらないだろう。

今働いてる所では、20代後半からアクロバット始めた人、50代からトランポリン始めた人、子供の頃からジジババになるまで生涯体操続けてる人、様々な体操人生を歩んでいる人達が来る。自分は学園に入った中一の頃から始めて、正直遅かったと思っていた。もっと幼少期から習っていたかったと思う事が多々あった。けれどもなんだかんだ、まだまだこれからだという事を教えられた。きっとそのうち体も衰えてくると思えば寂しい。その時はその時で別の趣味か楽しみを見つけよう。曲でも作るか。飯でも作るか。不器用も極めればなんとかなる。

とりあえず今やりたい事できてるけど、収入の安定はもっとしっかり図りたい。目指せ正社員。払え溜まってる年金免除分。あと学生ローン。そしていい加減取得しよう自動車免許。別に車興味無いし住んでるとこ不便無いし、原付ペーパードライバーでも良いじゃんって思ってる派だったけど、いざという時運転する機会もある気もするので、今年の更新のタイミングで取ろうか迷っている。そんな最近です。以上!

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