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生まれてしまった僕達へ

こんばんは円井わんです。

タイトルふと舞い降りてきたので
この名前になりました。

私は昔からポエマーなもので
学校のノートにポエムばっか書いてましたから

「生まれてしまった僕達へ」
良ければ見てってください


今、2024年3月

26年前に生きてきた私に
過去からなにを学び
未来に何を残せるかな

そういうことを考えて生きています
別に考えなくても良いかもしれないね
自分を生きているのだから。


私にとって自分を生きること=コレだと思ってます。


「芸能人や表に立つ人は難しい話をするな」といわれる事も多々あります

(芸能人と言われること自体にも
違和感を持つのだけどそこは置いといて)

人目に多く付き波紋を呼ぶだろうから身を案じ心配している。ということでしょう

きっとこれは過去の教訓にならってそういうことを言い始めた人がいるのでしょうね

ただそれが本当の意味の
心配なのか分からないのです。

おかしいことはおかしいと言うべきだし
黙っといたほうがいいよ。
じゃなく
普通の事だ。と思われるべきだし

昔、思った事を口にしただけでいじめられ
皆と違う意見を持ったからという理由で
いじめられた事があります。

小学生低学年の時に気付いたのです
この世の常識というのは
皆と同じ意見を持ち
何が起きようとただ黙って見過ごして
自分が安定をしていけたら
それで良いというものなのかと。

なにかどうにかして良くなる方向へ進んでくれ、そのためにはまず疑問を持ち、問いかけ、話し合うべきだと何度も何度も思っていた


折れようが時間がかかろうが話し合えば良い

暴力や罵倒じゃなく、話し合えばいいのに


それがおおよそ出来ない世界なんだって
ことに絶望したし

人は学ばないんだってことに絶望した

結局今も戦争は起きていて
ジェノサイドが起きていて
罵倒や罵声が飛び交い
誹謗中傷も無くならない
不正行為も無くならない
だから罪の無い人々が苦しむ羽目になる

あんなに過去から学んだ筈なのに
また繰り返してんだよね 

もう正直少し疲れた気もするよ
 

生まれてしまった僕たちへ

もう少し他人事を
自分事にして生きてみないか

いつ死ぬか分からない世界だから
当たり前ではない命だから

もう少し遠くの誰かの声に耳を傾けて
逃げないでいたらどうか

他人事は自分事だから
きっとこれは続いてるから
いつか後悔する前に
何か動かないか


jo0jiのランタン聴きながら
そう思った1日でした。

「貴方がいまだにその眼を光らせてる奇跡を私の脳裏に湛えている」



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