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父の背中
父が他界して、この夏で早くも10年になる。
私の中の父は、
いつまでも亡くなった時の年齢のままだけど。
最後の一年間は入退院の繰り返しだった父。
退院して一週間でまた病院へ逆戻り、
なんていう具合だった。
入院中の頼まれごとに、疲れと苛立ちで一度だけ苦言を呈したことがある。
今となっては余計な一言だったなぁと悔やまれる。
大切にしていた本棚いっぱいの本を、
ついに処分すると決めた父。
痩せた身体で重い本の束を何度も運ぶのは大変だから手伝って欲しいと頼まれた。
頼まれる前に気がつけよ私、である。
本当に気の利かない娘だった。
その日、黙々と本を運び続ける父の背中を思い出し、心中を今更ながら想像しては切なさで胸がいっぱいになったりもするのだけれど、
でも、もう二度と会えなくなったのではなく、
「ただ会わない期間が長く続いているだけ」
そんな感覚も、不思議だけどずっとある。
口数も多くなく基本的にとても穏やかで、
父が人の悪口を言っていた記憶もない。
子供の私たちに対して批判や説教もなかったし、
余計なことは言わない人。
と同時に、肝心なこともあまり言わない人。
きっと家族以外の人たちの印象も同じに違いない。
そう、裏表がない人だった。
そんな父がたまに饒舌になる時があった。
大好きな車や飛行機の話をする時だ。
顔をほころばせながら、少し得意げに蘊蓄を語る父の様子。今でも鮮明に思い出せる。
けれど、申し訳ないほどに当時の私は全く興味がなく、また熱心に聞いてあげるフリをする思いやりもなく。父としては物足りなかったのではないだろうかと、これまた遅すぎる後悔である。
実家は自営業。
かつ女性がメインの仕事だったため、
仕事でも家庭においても
どうしても母の影に隠れる格好になり、決して良好と言えない夫婦仲も相まって、父には父なりの苦労や苦悩があったと思う。
そんな中、一人で趣味の世界に没頭する時間を最後まで大事にしていた父。
大好きな車やジェット機、ヘリコプターの
その仕組みやエンジンについての本を読み漁り、
日曜大工やパソコンをこよなく愛した父。
(私のオタク気質は、
確実に父から受け継いだものだ。笑)
若い頃からの飲酒と
偏食かつ過食が祟ったのか、
はたまたストレスからか、60代で癌を煩った父。
とはいえ、癌とは10年を超え仲良く共存していた。
最後の2年間、父が受けた治療やその闘病する姿を近くで見て勉強になったことが山ほどある。
もしも自分が余命を告げられたらどう生きたいか。何をしたくて何をしたくないか。
まるで父が、自らの去り際を使って教えてくれたかのようで。
今の私なら、いい父の話し相手になれただろうに。一緒に熱く語ってみたいことも見つかったのに。
教えてほしいことも今なら幾つでも思いつくのに。
‥会わない時間が長すぎ。お父さん。
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