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イニシェリン島の精霊から考える境界性知能

「イニシェリン島の精霊」を観てきたんですが、素朴ながらも美しい風景が流れる映画でした。

舞台はアイルランド島近くの小さな島の村です。時代はアイルランド内戦が続く1923年。奇しくも同じ日に見た「RRR」とほぼ同じ時代です。

さて、感想ですが「イニシェリン島の精霊」は「ノマド・ランド」に並ぶくらいの傑作でした。非常に解釈の余地が大きい映画で、観る人によって感想は違うだろうなぁという感じです。

「イニシェリン島の精霊」を観て思い出したのは小中学校の頃の思い出です。公立の小中学校に行っていた人は分かると思いますが、学校には知的障害があって支援学級に行く子もいるし、同じクラス内でも知的レベルにはかなりの幅がありました。そして学校は狭い世界です。

イニシェリン島の精霊でも「ドミニク」という明らかに周りの状況を理解することができず、場に合わない発言をする人物がいます。ドミニクは今の時代で言ったら間違いなく知的障害(IQ70以下)と診断されると思います。

そして主人公の「パードリック」はいわゆる境界性知能、つまり知的障害ではないけど平均的より下のIQなんじゃないかと思います。なぜなら、言葉を額面通りの意味でしか捉えられないし(前後の文脈や相手の態度から推察できない)、友人の「コルム」が「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と言って本当に一本指を切り落としたのに、それでもコルムに関わろうとするからです。

パードリックにまともに取り合ってくれるのは妹の「シボーン」と友人の「コルム」だけで、コルムはパードリックに付き合うことに耐えきれなくなり、無視をしたり、「もう関わるな」と言うようになります。しかし、作中で観る限りコルムは冷徹な男ではなく、むしろパードリックが困っていたら手を差し伸べてしまうような優しい人物です。だからこそ、家族であるシボーン以外の人物で唯一まともにパードリックの相手をしていたんじゃないかと思います。

境界性知能の何が問題なのかというと、周りにも理解されないし、何より本人に自覚がないことです。パードリックもコルムやシボーンに迷惑をかけているとは思っておらず、むしろドミニクのことを馬鹿にしているくらいです。なぜ本人に自覚がないのかといったら、おそらく適切なフィードバックを得ることができないからだと思います。人は他者と関わる中で自分がどんな性格なのか、どんな風に見られているのかを理解していきますが、そもそも他者と関わることが少なかったり、相手からのフィードバックを適切に受け取ることができないと自分に関する理解が乏しくなるのです。

結局、パードリックの周りの人は精神的に消耗し、それがシボーンがイニシェリン島を出て行ったり、コルムが左手の指を全て切り落とすことに繋がります。

現代でも、知的障害の人に関しては1級から3級の等級別で障害認定してもらえるし、支援学級やオープン就労のように支援する仕組みがある程度あります。しかし、境界性知能の人に関する理解や支援は進んでおらず、本人すら自分の状態について理解できていないことも多いと思います。

多くの人は、自分と話の合わない人は切り捨てて、同じくらいの知的レベルの人と付き合います。しかし、家族や優しい人は話が合わなかったり、退屈だったとしてもパードリックのような人と関係を切りません。だからこそ、家族や優しい人はどんどん消耗していって、映画中のコルムやシボーンのようになってしまうんだと思います。

以上、わんこふの日記でした🐾

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