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ラジオとスピーカーと私


耳の調子が良い

最近、耳の調子がとても良い。

感音性難聴をもう10年ほど抱えている。耳がよく聞こえない。昨年は2度目の入院治療などもして、人の声や物音が、ほとんどわからない程度まで悪化していた。

ただ、何故だかわからないが、ここ数ヶ月ほど、とても調子が良い。この病気になってから、これまでもダイナミックに症状が変動することがあった。たまたまだとしても、やはり音が聞こえるのは、それだけでシンプルにとても嬉しい。

今は、通常の会話であれば、近くである程度の声量で話してもらえば、ほとんど聞き取ることができる。音が過剰に入ってくる、やや聴覚過敏のような状態でもあり、それはそれでまたきついのだが。

自分でも驚くし、主治医に近況を伝えたときは嬉しそうであった。医者も仕事とはいえ、患者の状態が快方へ動くのは嬉しいのだろうか。


意外と聴けるのでは

感音性難聴の特徴として、声が声として聞こえないことがある。音はしているのだが、音が割れたりこもったり、音質が変化して、何を話しているのか聞き取りづらいのだ。マスク越しに声が聞き取りにくい、あの感じにも似ている。

音楽も音程が狂い、まるで音痴の人が歌っているように感じて、楽しむという感じではなくなっていた。

それが、ある時思い立ち、iPhoneから音を出し、昔のようにradikoを聴いてみると、意外と聴けるじゃないかと気づいた。ほとんど正常に聞こえて驚いた。


ラジオっ子

私は小学生の頃から、ずっとラジオっ子であった。昭和(といっても平成に近いが)の人間らしく、テレビももちろん食い入るように見てはいたが、部屋にはテレビをあえて置かず、部屋で過ごす時や寝る前にはもっぱらラジオを聴いていた。

最初にラジオに触れたのは、地元ローカル局の番組だった。中学へ上がると少し背伸びをして、「オールナイトニッポン(ニッポン放送)」といった、いわゆる深夜ラジオに興味を持つ。

高校時代はラジオとともに初めて徹夜をしたのも覚えている。窓の外の空が白白と明るくなってきた時には、何か少し大人になったような感覚を覚えたものである。

当時は、JFN系(TOKYO FMなど)をよく聴いていた。TR2(まだメジャーになる前のバナナマンが話していた)やBPR5000(同じく、つるの剛士氏)などFM深夜が元気が良かった記憶がある。若い時は、お笑いタレントのトークを聞くことが多かった。

大人になってからも、ラジオを聴く習慣は続いていた。「山崎玲奈の誰かに話したかったこと(TOKYO FM)」「Skyrocket Company(同)」など、昼夕の帯番組や、「荻上チキSession(TBSラジオ)」など報道系も好きで、幅広く聞いていた。

また、自分のプレイリストの範疇に留まらず、偶然の楽曲との出会いが楽しいのがラジオである。

今は、あいみょんが一番好きなのだが、その出会いもラジオ局でのヘビーローテーション展開がきっかけだった。音楽のトレンドもラジオ(や有線放送)発信で立ち上がっていくことも多い。メジャーインディーズ、新旧関係なく、いろいろな音楽に幅広く出会える。

ポッドキャストやクラブハウスなど音声メディアのブームが来た際にも、そんなのとっくにラジオでやってたのにな、と少し冷めた目で眺めていたくらいだ。


ラジオの良さ

ゆえにテレビが今では少し苦手だったりもする。テレビとラジオの違いとして、よく挙げられる違いに距離感がある。

テレビはいわゆるマスメディア。1対多。ラジオも同じマスメディアではあるが、テレビの場合は、向こうからは色々言ってはくるものの、こちらの声は対等には中々届かない。

一方、ラジオは双方向性がテレビに比べると強い。生放送も多く、現在のようにSNSやメールでの窓口が開かれる前から、ハガキ、ファックスなど、リスナー(聴取者)の声を拾い上げようとする心意気を感じる。

聴く時の物理的な近さもあり、耳元や同じ部屋で話しかけてくれるような、人間的な温かみを感じる。そして番組の尺(長さ)にテレビほどの制限がない。ゆったりとした構成も多く、パーソナリティやDJの話を、腰を落ち着けて聞き、人となりまで含めて親近感を持てるのも、ラジオの楽しさ。声質や話し方だけで、顔がわからないのでどんな人だろうと想像しながら聴ける楽しさもある。

さらにラジオは音声メディアのため、ながら作業ができる。学生時代は勉強しながら、大人になってからは移動や作業中、寝る前に目を閉じて、何かしながら楽しめるのが、またラジオの魅力である。


radikoの登場

そこに登場したのがradikoであった。スマートフォンやパソコンからネット経由で、ラジオ放送を聴けるサービスである。開始当初は音質の悪さも感じて、ラジオ独特のノイズ感もないのが(逆に)嫌いだった。しかし、エリアフリー、タイムフリー機能が提供され始めると、関心を持たずにはいられなかった。

まずはエリアフリー。隣県の福岡県のラジオ局が好きで、一時はFMアンテナまで立てて、聴いていた私。それが、一気に、東京や大阪、いわゆるキー局や準キー局、さらには、あまり地方局ではネットされにくい、JFL(J-WAVEやFM802など独自路線を持つラジオ専業局)の番組も、ダイレクトに聴けるようになった。

番組合間に挿入されるステーションジングルや、交通情報などのBGMからして、新鮮で洗練されていて、ワクワクするものがある。

タイムフリーについても、今まで時間を合わせたり録音して聴いていたものが、システムベースで全録機能が提供されたのである。これもとても画期的だった。


もう諦めていた

そんな根っからのラジオっ子の私は、耳が悪くなり、正直なところ、ラジオが聴けなくなることが、一番と言って良いほどのショックだった。人生の大きな楽しみが一つ減ってしまったようにも感じ、悲しさや淋しさを感じた。

まだ今よりも聴力が残っていた頃は、補聴器で(最近の補聴器はBluetoothイヤホンのように、iPhoneからの音を聴くことができる)聴いたりしていたが、長時間聴くことは、裸の耳で聞くよりはやはり負担感があった。

いつからか積極的にラジオに触れることは減っていった。昨夏、大きく聴力低下し入院したあと、家に戻ると早々と部屋に置いていたスピーカーを片付けた。

家でラジオ(や音楽)を聴くときは、まあまあお高めのスピーカーと(今はなき)ONKYOのアンプで、こじんまりとしたデスクトップオーディオのようなものを組んだもので、聴いていた。

耳が悪くなっても、しばらくは諦めきれずに置いたままにしておいたのだが、退院後に、聞けないのに置いておいても邪魔だなと思い、収納にしまい込んだ。まだ残っていた耳への未練も一緒に。


寝つきやすい

意外と聴けると気付いてからは、また、特に寝る前にiPhoneでradikoをかけて眠りにつくようになった。

聞こえなくなってからは、シーンとした(耳鳴りの音はあるけども)寝室で眠るのにも、すっかり慣れてきていた。ただ、考え事などを、し始めると、無音であるがゆえ、どうしてもぐるぐると終わりが見えなくなって、気持ちが落ち込んでしまい、ますます寝られなくなるということも多かった。

それが、枕元で話し声がしていると、小さい時からそういう習慣だったのもあり、眠りやすかったりする。そうだ、昔はこうやって寝ていたのだと、改めて思い出した。誰かが隣にいてくれるようで、淋しくもない。自然と深い眠りへとつける。


スピーカーが欲しい

そんな日々を続けていると、次第にiPhoneの音質に不満を感じるようになった。昔使っていたJBLのBluetoothスピーカーを引っ張り出してきて、繋いでみる。

ただテレビの音も聞いてみたいと、テレビから音声を出力するトランスミッターも買っていた。このJBLのスピーカーはそちら専用で、耳元スピーカーとして使いたかった。せっかくだしもっと良さげな、radikoと音楽用のスピーカーが欲しい。

最近の傾向なのか、低音が強いとアピールしているものが多い。どうせ高いものを買っても、私の耳で違いがわかるかもわからない。無難に最安のAnker辺りにしようかとも思ったが、こちらも低音が強いと表記があった。

私の耳の聞こえ方の特性として、低音部はまだ他の音域よりも聴力が残っている。低音が強いと、低音が増強されて聞こえて、全体の音のバランスが悪くなる心配があった。普通の人が聞いてシャカシャカしすぎているくらいで、私の耳にはちょうど良いのである。

何かいいものはないものかと、探していると、こちらのYAMAHAのスピーカーが目についた。ファブリック貼りの高級感ある見た目に惹かれたが、音についてもフラットでクセがなく、歌声の中音域も聞きやすいとレビューもあった。

あまり売れ筋ではないらしく、店頭で実機を見ることができなかった。さらに実売10,000円を超えていて、私のポンコツな耳には、宝の持ち腐れにならないだろうかと、2週間ほど躊躇したが、欲しいと思ったものはその時に買いたい。この病気は進行性があり、いずれまた聴力が落ちる時が訪れる。このチートモードのような聞こえ方がいつまで続くかもわからない。と考えて、ある日、半ば勢いで買い物かごに入れた。


良き良き

届いたスピーカーは掌に乗るほどのフットプリント。かつ、ずっしりと重量感があり、何よりファブリック貼りが写真以上にかっこいい。ゴールドと迷ったが、私の部屋にはこちらの色がぴったりであった。早速繋いで音を鳴らしてみたが、まさに私にぴったりの音のバランス。低音は控えめ、中高音寄りなのが、とても聞き取りやすい。

その日からは、枕元やデスクトップで、愛用している。やはりiPhoneから直で聞くよりは、ずっとradikoや音楽を流していても疲れない。とても満足している。耳に音が入ってくること自体もまだ新鮮で、気付いたら1〜2時間、音楽を聞いていることもある。そして何より会話やメロディによる癒し、コーピング効果が絶大だと、改めて感じる。

スピーカーについても、少し触れておきたい。起動音がピアノサウンドでおしとやかなところも気に入っている(手持ちのJBLはデデデーンみたいにうるさいし、Ankerも店頭で試したが似たようなサウンドだった)電源ボタンも高級感があって好きだ。

マルチペアリングではないが、iPhoneとしかつながない私には問題ない。充電は今時のType-C。2晩使って持つか持たないかといったところ(寝る前に使うのがメインなので、22時ごろ〜深夜までつけっぱなし)ちなみに、上に置くだけで充電できるクレードルが別売されている。3,000円ほどするが、ちょっと欲しくなっている。

すっかり相棒となったスピーカー。小さい割に良い音を出してくれる。

しばらくラジオや音楽を聴くことを諦めていた私。カラカラに乾いたスポンジが水をぐんぐん吸収していくような。砂漠に降った久方ぶりのスコールに地面が潤っていくような。そんな感覚を抱きながら、毎日楽しんでいる。

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