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『夜更けの花見』(シロクマ文芸部)
「梅の花」
まどろみの中でSはそう聞いた気がした。それから、唸りながら起きあがろうとしたが、ひどく身体はだるく頭痛もした。いつの間にか寝ていたようだった。
あたりもひどい状況だった。けして広くはないワンルームの部屋に、お菓子のゴミや空き缶が散らばり、さらにその間には友達が、お互いに身体を曲げ譲り合いながら横になっている。例えば、Sの目の前にはMの腹があって、わずかないびきが聞こえた。今までSもこの光景のうちの1人だったのだが、目が覚めた側として客観的に見た時、Sは彼らを少し軽蔑した。とにかく気分が悪かった。
「ごめん、起こした?」
そう言ったのはAだった。Aは、窓に寄りかかるようにして座っていた。明け方なのか月明かりなのか、逆光でAの細いシルエットが影絵のようになっていた。
「いや……別に。」
Sはそう言ってふらつきながら立ち上がり、友達らを踏まないように廊下に移動した。そして冷蔵庫を開けペットボトルから直に水を飲んだ。少しスッキリした気がした。
ペットボトルを持ったままSは戦後のような部屋に戻り、Aの隣に移動した。
「飲む?」
「ありがとう」
Aは2口だけ飲んでSにペットボトルを返した。さらに1口Sも飲んだ。
「梅の花って、さっき言った?」
SはAに尋ねた。
「ああ、ごめん。買い出しに行った時、見かけたんだよ。セブンの近くに小さい公園あっただろ?あそこで一本だけ梅がね、咲いてたんだよ。」
Aはそう言って顔を擦り、あくびをした。
「ふうん。」
Sは昨夜買い出しに行ったことを思い出そうとしたが、梅が咲いてることには気がつかなかった。眠そうなAとは反対に、Sの眠気は消えていた。
「ねえ、今から見に行こうよ。」
AとSは上着を着て外に出た。車も人もいないので街は時が止まったようだった。
皮膚を切りそうな冷たい風がSの長い髪をすいた。空は青紫色をして、薄い雲がかかっていた。
「さむ!」
「ほんと、めっちゃ寒いー!でも、なんかいい気分。」
「ね、わかる。あの部屋よりずっといいよ。」
「わかる。なんかさ、変な匂いしなかった?」
「え、それ思ったー!ただでさえ二日酔いなのにもっと気持ち悪くなりそうだった。」
2人はケラケラと笑いながら、時が止まった街中で孤独に光るセブンイレブンに寄って、ホットティーを買った。レジは数時間前に買い出しに来た時とは違う若い女の店員だった。
2人は会話にならない会話を続けながら、公園に向かった。
確かに公園には一本だけほぼ満開の梅の木があった。すでに花びらが地面に数枚落ちている。公園にある他の木には全く花は咲いていなく、それは不思議な光景だった。Sはその木に近づきなんとなく写真を撮った。それからあくまで自然に、ぼーっとしてるAを呼び寄せてツーショットを撮った。2人とも笑うしかないほど散々な顔だった。
「そろそろみんな起きたかな。」
Aが白い息を吐きながら言った。
「まだだと思うよ。」
Sはひとくちホットティーを飲んだ。気分はかなり良くなっていたが、頭はモヤがかかったようで、頭と体がきちんとつながっている感じがしなかった。
「私さ、結局あの部屋にいる男子それぞれと一度は寝たことあるの。」
Aは黙っていた。
「唯一、Aとだけない。」
Sはまた1口ホットティーを飲んだ。なぜこんなことをAに言ってしまったのか自分でもわからなかった。
「結果的にそうなっただけで、こうなるつもりじゃなかったでしょ。」
Aが梅の花を見上げながら言った。もう空はオレンジが混ざりかけていて、夜明けが近づいていた。
「どういう意味?」
「つまり、Sは人を好きになって、まあ色々あって別れるっていうパターンを同じサークル内で短期間で繰り返したわけだよね。つまり初めから僕のみんなと寝るつもりだったわけじゃなくて、一生懸命恋愛していたら結果的に僕以外と寝てしまっていた、と僕は思ってるんだけど。」
Sは上着のフードを被った。Aの言葉に不意に涙が込み上げてきたからだ。まさに自分の醜態はAが言うとおりだったのだが、そういうふうに捉えてくれる人はほとんどいなく、仲間内でも自分は良いゴシップのネタであることはS自身もわかっていた。
「てかほんとに寒くない?そろそろ帰ろうか。」
どうしようもないことに、Sは目の前の男を既に好きになっていた。そしてそのことでSは学習しない自分を嫌いになりそうだった。いっそ、AもSのことを他の皆と同じようにネタにしていてほしとさえ思った。しかし先ほどのAの言葉で、SはよりAを好きになってしまった。
Sは、背中を向けて歩き出したAの腕にそっと触れた。Aは驚いたような顔をしてから優しく微笑んだ。Sは Aのダウンを通してAの生身の腕を感じて心から幸せな気分になった。このままあの部屋に帰らないで、どこかにAと行ってしまいたいとすら思ったが、流石にロマンチックすぎるので口には出さなかった。
しばらく歩いているとAが口を開いた。
「僕もね、」
「うん。」
Sは自分が可愛く思われるような精一杯の相槌を打った。
「後輩とか、先輩とかと色々あったよ。同期はないけどね。」
「え?」
そのままAは気持ちよさそうに話し続けた。
「もう卒業しちゃったNさんとか、Oさんともまああったし、あとは今年入部したWちゃんともちょっとね。あ、最後まではしてないよ?
まあ、そんな感じで、僕だけじゃなくてみんな実は色々あると思うよ。だから、Sのことをビッチみたいに思ったりしてないよ。」
Sは聞きながら自身の手をそっとAの腕から離した。Sはこの一瞬で、Aに対する恋心の炎が消え去ったのを感じた。今はもう今聞いた話を、あの部屋で寝ている同期の女子であるMやYに話したくて仕方なくなっていた。夜明けに目が覚めて、Aと梅の花を見に行ったのだがそこでロマンチックな雰囲気になったのだが、まさかその帰りにAのそういう話を聞けたよ、なんて面白すぎる。大盛り上がりするに違いない。
Sはさらに話を引き出すべく、あれやこれやを質問した。Aはなんの気なく話しているつもりだろうが、顔には自慢げな心境がにじみ出ていた。
「マジでさ、どーしようもないね。」
「ほんと、くだらないよ。」
太陽はどんどん上がってきて、車が通り、ランニングする人や犬を散歩させる人もちらほら出てきて今日の始まりを告げる。そしt2人がフラフラと向かうあの部屋では再び馬鹿馬鹿しい宴が始まる。それをわかっていても、SもAもそれ以外にすることがなかったし、したいこともなかった。
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