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ふと浮かぶことば

何てことのないタイミングで浮かぶ言葉があるんですが、

それが「ギャオス内藤」

なんですよね。

特に知っているわけではないので、「そういえばギャオス内藤ってなんだっけ?」とググったら、

元野球選手で、現在解説をされている内藤さんという方でした。

いや、マジで知らなかったけど、語感で「ギャオス」という言葉とともに「内藤」が付いてくるんですよね。世代的にも内藤選手を知っているわけでもないし、どこかでお会いしたからということでもない。

なのになぜか、頭の中に「ギャオス内藤」が出現する。

たとえばイライラすることがあったときに「ギャオス!」と頭の中で唱えるとスッと消えたり。むかつくことがあったときにも「ギャオス内藤!」というとむかつきが収まったり。

僕のイライラの感情の中にはちょっとの「ギャオス内藤」が含まれているのかもしれません。

いつ、僕の頭の中に「ギャオス内藤」がインプットされたのかさえわからないんですが、気付いたら僕は「ギャオス内藤」とともに生きている。


もうちょっと、ステキな言葉というか、固有名詞じゃなくて何かの名言だったりしたらカッコいいのかもしれないですけど、僕の中には「ギャオス内藤」。一体なぜなんだ、ギャオス内藤。

よく匂いをかぐと昔の記憶が蘇ってくるなんて話もありますけど、僕の「ギャオス内藤」は特段何かを呼び起こしたりはしません。ただそこに「ギャオス内藤」があるのみです。哲学的ィ。


直感として、自分の頭の中に浮かぶ言葉は大切にしたいなと思います。論理的に言語化するのももちろん大切ですけど、逆に自分の感性をもとにした直感的な言葉は自分の素直な感情を表現することもあるのかなあと。

いや、それが「ギャオス内藤」なんかい。

何を表現してるんじゃ。

嗚呼、こうして文章に起こすことで、僕の頭の中には「ギャオス内藤」という言葉がどんどん増殖してくる。「ギャオス内藤ハッキング」といっても過言ではない。


でもまあ、言葉にできない言葉は無理に言語化しなくてもいいのかもしれません。時間差で受け取れるようになるかもしれませんし。

なので、例えば10年後の自分は「ギャオスわにのこ」になっている可能性があります。今の僕には理解できないので「ギャオスわにのこ」にはしませんけど。

そう、貴方の頭の中にも「ギャオス内藤」が埋め込まれたことでしょう。このくだらない文章を読んだたった今から、あなたは「ギャオス内藤」とともに生きるのです(宗教)。




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