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今年の読書録⑥ 「高慢と偏見・上」

いやー! 面白いおもしろい。
最っ高に面白い!   人生で5本の指に入るくらい、面白い。
ほぼ男女の噂話に占められるこんな小説を、ここまで面白がれる男がこの世界にいったい何人いるのだろう、という高慢と偏見が、この深い愉悦に影響を与えているというそしりは、恥かしながら大いに当を得ているだろう。
これはものすごい小説である。
間違いない天才の筆、ということが、少し読めばはっきり分かる。
わたしが今回購入したのは光文社の文庫版、翻訳小尾芙佐氏。平明で読みやすく文句ないが、何より作品の徹底的な構造がすごい。構造とはこの場合、前述の「ほぼ男女の噂話に占められる」という一点である。
ここまで観念を脱し切った長い小説が源氏物語以外に存在することを、わたしは想像することさえ出来なかった。ほんとうに驚いた。通勤電車で鳥肌立ったよ。シビレた。参った。

作者はジェイン・オースティン。
むろん女性である。
女性でないと、こんなすごい小説は書けない。
文庫のカヴァーの折り返しにある解説によると、作者は18世紀の英国に生まれ、1817年に亡くなっている。
「兄弟が多く、ジェインは充分な教育を受けられなかった」「11歳で習作を始め」「『人生は奇想天外な設定ではなく、自分の身の周りにこそある』と、中産階級の人々の生活を好んで描いた。」
「『高慢と偏見』は20歳で書きあげて17年後の1813年に刊行され」「時の摂政皇太子も愛読した」「当時は無名の女性が小説を出版すること自体が難しく、匿名で出版された」「病気のため41歳で死去」。
さもあらん。とんでもない天才は、こうでないと。まったく、絵に描いたような天才の生涯ではないか。

冒頭から一気に作品世界に引きずり込む物語作者としての手腕は見事としかいいようがないが、さらに不可思議極まりないのが、五人の娘たちの父であるミスタ・ベネットの人物造詣である。
この人物が知性的でじつは愛情深く、しかし人生で味わったであろう苦渋や悔恨も少なくないであろうこと(多くの人生はそうだ)、そして初老にさしかかった現在は人生をやや斜めから見ている魅力的な人物であることははっきり分かる。それは分かりすぎるほど分かるのだが、一体全体どうして20歳そこそこのおんなの人が、こののような洒脱で小慣れた、言ってみれば「練れた」成人男性を造形できるのだろう? 小娘と言ってもいいほどの年齢なのに! 
また、ミスタ・コリンズなる滑稽極まりない聖職者の造詣はどうだろう! 文学史上比類ない道化者。だがこの人物の造詣の深さはそのまま現実世界のグロテスクな陰画である。これは富める者のパロディでもあり、礼節を重んじる社会通念のコメディアンであり、パリサイ人のピエロでもある。
このような人物造詣に思いを馳せると、美人姉妹と若い貴公子の恋のゆくえも色褪せようというもの。
これは「どうしてモーツアルトがあんなに楽しくて哀しくて素晴らしい音楽をかくもたくさん作曲できたのか?」という問いのように、われわれの胸に永遠に湧き続ける疑問であろうが、また、「天才だから……」と空しく答えを放擲する他ない愚問でもある。
まったく、こないだディケンズなんて読んだ自分が恥ずかしくなる。英語で書かれた、ということ以外に共通点はあまりない。ディケンズだってオースティンと比較されては立つ瀬ないだろう。恥ずかしい、と草葉の陰でうつむくだろうか。おれとあいつは別物さ、と開き直るだろうか。

巻を置くあたわず、上巻は物語の主軸が大きく傾く重要な手紙で締めくくられる。本屋へ急げ。


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