『異常殺人 科学捜査官が追い詰めたシリアルきらーたち』「黄金州の殺人鬼」を追い詰めたCSI捜査官の捜査記録
本書に記載されている調査によると、現在アメリカ国内で活動中の連続殺人犯の数は2000人ほどだという。その多くは孤立者でもなければ社会ののけ者でもない。彼らはごく普通の社会生活を営み、友好的な隣人として振る舞うすべを知っている。一方で自分の行動が倒錯したものであることは理解しており、しばらくの間は犯行を止めることができるのだが、やがて殺しの衝動が逮捕へ恐怖を凌駕したさいに犯行におよぶという。
本書の著者ポール・ホールズは20年以上にわたりCSI(科学捜査官)として凶悪事件の捜査を行ってきた人物だ。ポールはごく普通のCSIとして現在進行している殺人事件を捜査する傍らで、署のコールドケース(未解決事件)の調査も行っていた。それも上司には内密に。彼は古い事件ファイルの中に記載された被害者や遺族たちの苦しみの声に心を動かされ、当時の捜査官たちが見落とした事実を自分なら見つけ出せるのはずだと固い信念を胸に抱くようになる。そして勤務時間外にコールドケースのファイルが保管されてる資料室に忍び込み、ひとり秘密の捜査を続けていた。その確信と執念がCSIとして勤務してから20年以上後にアメリカ犯罪史上でも突出したシリアルキラー「黄金州の殺人鬼」逮捕へと結実していくのである。ちなみに黄金州の殺人鬼とは1970年代から80年代にかけてロサンゼルス州で13人を殺害、50人以上をレイプしたシリアルキラーだ。
いくつものコールドケースを調査する中で、著者がとりわけ興味を惹かれたのがEAR(イーストエリアの強姦魔)という連続レイプ犯だ。EARは1970年代に著者の管轄であるカリフォルニア州コントラコスタ郡でいくつものレイプ事件に関与しているとみられていた。とても知能が高く、犯行を重ねる度に問題点を炙りだし、よりスマートに襲撃が行えるよう改善を重ねていたという。またレイプ犯としてはかなり異例で、男性と同伴中の女性を襲撃しているのだ。EARは、まず男性を無力化してから犯行に及ぶ。当時の捜査関係者を挑発、愚弄するような行動をとりつつも、捜査機関の裏をかき逮捕されることがなかった。著者は今起きている様々な事件の調査の傍らでEARの調査にのめりこむことになる。上司の許可のもと新しく登場したDNA検査を駆使しEARのDNAプロファイルも作成する。
そんな中、出張の際に乗り込んだ飛行機で偶然にも当時EARの捜査を担当していた元刑事に出会う。彼の話ではEARは1979年にコントラコスタ郡での犯行をパタリと止めたが、その後すぐ後にオレンジ郡で似たような犯行が多発したという。しかもオレンジ郡ではレイプの後に襲撃した男女を撲殺しているという。オレンジ郡では犯人のことを「ONS(オリジナル・ナイト・ストーカー)」と呼んでいる。当時の担当刑事の話ではコントラコスタ郡の捜査官たちはEARとONSは同一犯だと見込み、オレンジ郡に捜査協力を仰ぐが管轄外の部署に首を突っ込まれることを好まなかったオレンジ郡の捜査関係者にそっけなく扱われたという。刑事たちの縄張り意識と縦割り行政の弊害により、EARの捜査は手づまりなったという。著者はEAR事件が単なるレイプ事件ではなく、広域で行われ連続殺人事件の前哨戦でしかなかったことに驚愕する。こうしてオレンジ郡へのアプローチを開始するのだ。
著者がCSIとして勤務するコントラコスタ郡は100万人以上の人口を抱え、管轄内にある4つの都市がFBIが発表したカリフォルニア州で最も危険な場所100か所リストに含まれている。当然ながらそれ相応の凶悪事件が日々発生している。本書では著者が勤務時間外を割いて行うコールドケース以外にも、著者自身が担当したタイムリーな殺人事件の捜査も同時記載されている。そのいくつかは解決し、いくつかは未解決事件となってしまう。
未解決事件となってしまった事件で印象的な事件のひとつがアバナシー殺害事件だ。高級住宅街に建つ一軒家で殺人事件が起きる。アバナシー家の当主とトッドと10代の息子が自宅で銃殺された事件だ。第一発見者は妻のスーザン。彼女は夫と息子の遺体を発見すると隣家に駆け込み助けを求めた。隣家の妻の話によりと、スーザンはとても冷静で淡々としていたという。殺害現場を見に行った自分の夫がパニックになっていたのはとは対照的だったと証言している。
この点だけを見ても妻スーザンはいかにも怪しいのだが、殺害された夫は経営する自動車修理工場の顧客と金銭トラブルも抱えており、容疑者が次から次に現れる。また一家はスピリチュアルに傾倒していたため怪しげな霊能力者も登場する。妻、金銭トラブルを抱えた顧客、家に出入りしていた霊能力者、さらにはスーザンに愛人がいることもわかり捜査は難航する。まるで刑事物のドラマに出てきそうな人間関係だが犯人は有効な物証を何一つ残しておらず事件は迷宮入りしてしまう。犯罪現場に無数に散らばる何千点というものの中から、犯人に繋がる証拠を探し出し、科学的分析から物証を固めていくというCSIの根気のいる捜査の難しさをそれぞれのエピソードが教えてくれる。
一方EARを追ってポールはオレンジ郡の捜査機関へ接触を計るも縦割り行政の壁が立ちはだかる。それでもオレンジ郡の捜査関係者の中に協力者を見つけEARとONSのDNAを調べることな成功する。しかし、ここでも大きな壁にぶつかる。コントラコスタ郡が使っていたDNA鑑定の技術がHLA-DQa型検査という技術に対してオレンジ郡ではより精度の高いSTR法を使用しており双方の技術には互換性がなかった。この技術の壁を越えるのにコントラコスタ郡は4年の歳月を費やすことになる。だが、4年後ついにEARとONSが同一人物であると断定される。さらに、EARおよびONSを同一犯と見込み「黄金州の殺人鬼」と名付けて追い続けていたジャーナリストのミシェル・マクラマラが非公式ながら捜査に加わる。幾度も捜査は行き詰るのだが、それでも少しづつ犯人へと近づいて行く。
仕事では困難に見舞われてもその知性と粘り強さで問題を解決してゆくポールだが、プライベートはより苦難の連続であった。現在の殺人事件とコールドケースという2つの事件を並列して捜査するために家族との時間を犠牲にしてしまう。またごく短時間の家族と過ごす時でさえ、殺人事件の話題を口にして心ここにあらずという態度である。当然だが妻との関係は冷え込み、やがて離婚することに。その後に再婚したCSIの同僚との2度目の結婚生活もすぐに冷え込んでしまう。こうした家庭でのストレスが学生時代に発症したパニック障害を悪化させることにもなる。また多くの捜査官がそうであるのだが、日々、惨たらしい殺害現場に身をさらすことで、著者の心の中に少しづつ精神的ダメージが蓄積され、それが不眠と深酒という行動で現れてくる。
本書は次々と現れる連続殺人事件の捜査録としての面を表面とするならば、仕事に傾倒するあまり大切な人々との絆を失ってしまった男の再生の物語としての裏の面も持っている。また連続殺人事件という人間の本能の中で最もおぞましい暗黒面を見続けた人々の心の葛藤の物語でもあるのだ。
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