『破綻の戦略 私のアフガニスタン現代史』日本人が現地で見つめたアフガニスタンの混迷
読み始めてすぐ意外な記述を目にした。イスラム主義組織、タリバンの創設者であるムハンマド・ウマルの演説、それも彼が国際テロ組織、アルカイダを率いたウサマ・ビンラディンに騙され大量殺戮に加担したことを懺悔する演説の録音があるというのだ。さらに意外なのは、ウマルがアフガニスタンの社会を正し平和を求めて立ち上がった人物だった、という評価だ。ウマルは日本では多くのテロや犯罪に手を染めた犯罪者として悪名が高い。
著者の髙橋博史は、アフガニスタンのカーブル大学への留学を経て外務省中近東第二課に勤務、アフガニスタン駐箚特命全権大使などを歴任した中東の専門家だ。人脈もタリバン幹部から反タリバン勢力の実質的な最高指導者だったアフマド・シャー・マスード司令官までと幅広い。
本書は、タリバン総帥のウマル、北部同盟のマスード司令官、アフガニスタンのロビンフッドといわれたマジッド・カルカニーとその周辺の人物に焦点を当てたドキュメントである。彼らがそれぞれの戦略を基に平和を求めて戦う姿と、夢半ばで敗れ去っていく様子が描かれる。
アフガニスタンでは、1973年、ダウード王子による軍事クーデターで王政が転覆。だが著者の留学中、78年には再びクーデターが起こり、その後はソ連の支援を受けた人民民主党政権の誕生、血みどろの権力闘争、左派政権に対抗するためパキスタンの支援を受けたイスラム勢力、ムジャヒディンらの政権奪取に内戦と、混乱が続く。著者は、そんな激動の時代を体験した。
民衆の英雄、カルカニーと著者が親交を結んだのは79年。アフガニスタン人の親友が彼に師事していたことが縁になった。彼らは腐敗した人民民主党政権の打倒、そして反政府イスラム勢力の台頭に伴うソ連介入の阻止、という難しい闘いに挑んでいたが、2人とも政府により逮捕され、拷問の末に処刑されてしまう。
著者がアフガニスタンから退避した後、ソ連の軍事介入が始まる。ソ連軍はムジャヒディンの抵抗を受けて撤退したが、以降もアフガニスタンでは内戦が続いた。ムジャヒディンの司令官同士の権力争いによって内戦は凄惨を極め、人心は荒廃していく。
内戦の長期化と人心の荒廃を加速させた原因の1つとして挙げられるのが、人民民主党が行った宗教弾圧だ。アフガニスタンでは宗教は暮らしの中に深く入り込んでおり、国民の精神を支える大切なものだ。宗教ネットワークの破壊が内戦の終結と復興への足かせになった。
そんな状況を立て直したのがタリバンだ。伝統的な掟、「パシュトゥーンワーリー」などを前面に押し出した統治と、総帥のウマルを含む幹部にも適用される厳格な規律、犯罪者への厳重な処罰は、多くの部族長の支持を得た。
だが、高潔な人物だったはずのウマルは、中央アジアへの侵攻を夢想し始める。これには、ビンラディンの影響があったといわれる。もう1人の重要人物、マスード司令官はこれにノーを突きつけてタリバンと戦い続け、2001年9月9日に暗殺された。
本書は、今も混迷の中にあるアフガニスタンで、過去に何が起きていたのかを知るための最良の1冊だろう。
※週刊東洋経済 2022年2月19日号
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?