それはそれ、これはこれ

「それはそれ、これはこれ」
私の中でこの言葉は結構大事。

なぜなら、私の人生の中で
痛みと感謝は表裏一体なことが多いから。

裏切った人も最高に楽しい一日をくれた人も

虚無感を与える人も気づきをくれる人も

私の自尊心をめためたにしたとしても
あたたかい食事と寝るところは与えてくれた人も

私だけを置いて行ってしまったけど全力で愛そうとしてくれた人も

それぞれ同一人物だったからだと思う。

彼らのくれたものは大きくて偉大だ。
それが今の自分を形作ってる。

最高に楽しい一日は今でも鮮明に思い出せるくらい楽しかった。

顔よりも大きなアイスクリームを二人で買って食べて、
コバルトブルーの雲一つない青空の下
白い砂浜のビーチで二人で寝そべって日焼けして

気が向いたら波打ち際まで行って
少し水温の低い水に足を付けて水掛け合って

笑って笑って腹筋が割れるかと思った。

でもそんな最高に楽しい一日をくれる人は、
心がバリバリに砕け散った時、
そばにはいてくれなかった。

なんだか裏切られたって感じた。

でも

それはそれ、これはこれなんだと思う。

寒い冬空の下、二人で並んで歩いているのに
手さえ握ってくれなくて。

趣味の居酒屋に付き合えば
やらない善よりやる偽善の話になり
説教されて

愛されてないと感じて、虚無感を抱いた。

でも、彼の言っていたことは100%正しかった。
わたしが間違っていた。
そのおかげで気づけたことがたくさんある。

だからこれも
それはそれ、これはこれ。

私だけが置いてけぼりになった。
二人は飛行機に乗って何千キロも離れた場所に飛び立った。
あの時の感情は悲しみだけでは言い表せない。

でも、
時間はかかったけど、

連れ出してくれた。

精一杯、不器用すぎて時々痛かったけど
自分らしく愛そうとしてくれた。

これもそれはそれ、これはこれなんだ。

わけて考える。
分けないですべてを否定してしまうと自分が壊れてしまう。
感情や倫理観とかそういう自分の中で大事なものが失われてしまう。

楽しい思い出を否定したら楽しかったあの時の感情すら失ってしまう。
気づかせてもらえなかったらチャンスすら棒に振ってた。
あの時、養ってもらえなかったら留学だって行けてなかったかもしれない。
置いてきた時間を取り戻すように、一生懸命に向き合ってくれたから
今の私がいる。

だから
「それ」に関してはありがとう
感謝しかない。

ただ、与えられた歪でチクチクする感情は無視しなくていい。

距離は置いていいし
関係を続ける必要はない。

苦しみを我慢して耐え続ける必要はないんだと思う。
それが自分を守るすべ。
だから「これ」は「これ」。

こうやって経験してきたことはすべて自分のものにして
消化できない感情はゆっくり時間をかけて消化できるようにする。
すると、息を吸うのが少し楽になる。

だから私にとって
「それはそれ、これはこれ」
は大事な言葉で処世術。
これからも息がしづらくなったらそう考えると思う

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