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不寛容な日本人だった私

私は2005年以来日本を出てほぼ上海で生活している。

夫は中国人、夫の家族も中国人、友達もほぼ中国人ばかりである。が、私自身は完全に日本にルーツを持った日本生まれ日本育ちの日本人である。

最近Twitterやネット上のニュース、匿名BBSなどを見て感じる、日本に蔓延するヘイトや不寛容。私自身が元々人々の「属性」による差別や分断に興味があるから、という前提があるのも承知だが、非常に多くの女性、男性、子持ち女性、お店の店員などの特定の人に対するヘイトツイートなどを見受ける。

通りすがりに加害行為をする男性、公共の場での子供へのしつけ方法が気に入らない男女、店員の態度が気に食わないといつまでもクレームを言い続け動画拡散する人。妊婦様、不妊様、子連れ様……など各々の属性を揶揄する言葉。

私自身、子供を持っているワーキングマザーで(しかも不妊経験済)、またサービス業も経験したことがあるのでこれらのヘイトを見ると非常に残念で悲しく思う。

そして日本人の不寛容さの異常を感じるのである。

もちろん何人でもどんな属性の人でも欠点はあるし、私は日本人批判をしたいわけではない。ただ、「抱っこ紐で抱っこしている赤ちゃんの靴を履かせたまま電車の座席に座っている母親」の一瞬の時間を切り取ってTwitterに拡散したり、通りすがりに次々女性にぶつかって行く男性の動画などを見ると異常だと感じてしまう。はっきり言って恐怖である。

しかし一番恐怖なのは自分自身が昔このような不寛容な日本人だった、という事実である!!


もちろん私自身は基本的に攻撃的な人格ではないので、まさか通りすがりに人にぶつかったり、店員に延々クレームを言ったり、などという経験はない。

しかし、私自身昔は許せない正義感を心の中に燃やしていた。

「バイクミラーぶつかり事件」

それは約14年前、まだ中国に来たばかりの頃。

夫の実家へ帰る途中、歩道のない狭い道で後ろから来たバイクのミラーが私の腕にぶつかった。幸いけがにはならなかったが痛かった。おっさんが「すみません(对不起)」を言わなかったことに私はとても腹が立った。

※しかし今では分かる、中国人はこの状況で絶対すみませんは言わない。理由はいろいろあるようだが、おそらく自分が悪くないとナチュラルに自然的に思っているから。マジで悪気なし。

何よりも腹が立ったのは一緒にいた夫がおっさんに抗議して謝らせなかったこと。正確に言うと、抗議はしてくれた。が、おっさんはすぐにその場から立ち去った。

私は悔しくて泣いて訴えた。

「何故おっさんに謝らせなかったのか?私はやられ損だ」

と。

夫は仕方がない、と言ってそのまま二人で家に帰った。

私はこの世の不合理に泣いた。心配する義父母をよそに2時間くらい泣いていた。その後確か夫が謝ってくれたが、私が謝らせたかったのはおっさんだったのでまたまた腹が立った。

「コンビニ順番抜かされ事件」

忘れもしない2006年のこと、私は週末残業中の夫の職場へ向かう途中コンビニに寄った。3人ほど並んでいたが、後ろのおばさんにナチュラルに順番を抜かされた。持っている商品を私の順番の前に置いたのだ。

私は自分のペットボトルを更に前に置き直したが、レジのおばさんが後ろの人のを先に会計してしまった。まだまだ中国語が下手くそで全然抗議できなかった私、自分の順番の時におばさんに小銭を投げつけた!

おばさんは上海語で

「哎呀!不得了!(なんやねん、ひどいなぁ)」

と言っていた。

悔しくて悔しくてその後夫の職場へ向かう地下鉄で大人気なく号泣した。

すると近くに立っていた新疆人の女性に目をつけられて、降り際に携帯(ガラケー)を盗まれたwww

本当に踏んだり蹴ったりで、この国は最悪だと思った!!

中国生活を10年以上経た今、考えると自分が許せなかった正義が、相手側に立った時に必ずしも最優先されるべきことでもない、ということが分かる。ただ一つ特記するべきことは、上海も2010年博覧会後かなりサービスが良くなったし交通規則もかなり遵守されてきたので、このような案件に出会うこと自体少なくなってきた。


正義ってかっこいい。

正義って気持ちいい。

日本人は勧善懲悪好きなんだと思う。だけど実際に街で見かける人達は必ずしもフィクションの世界の悪代官のような「悪」ではないかもしれない。

なにも「海外では~」と言いたいわけではない。私も今より不寛容だった時代、一体何に怒っているのか分からないこともあった。ある意味異文化との出会いにパニックを起こしていたのかもしれない。

それはSNSでシェアして賛同を得られれば、

それは自分より弱いものを傷つけて苦悶する姿をみれば、

それは自分自身が正義のヒーローになって賛美されれば、

それは相手が地べたにひれ伏して謝罪をすれば、

収まった怒りかもしれない。


でも実際はそうなることは少ない。

私はあの自分のコントロールできない怒りを思い出して今でも少し怖くなる。何からあんな怒りが出てくるんだろうと。

怒らなくても良かったのに。

ある日本人の友達に言われたことがある。

「世界中で、あなただけがそのことに対して怒っている。それをした本人すら気がついていないところで。その怒りは収めたほうがいい、意味がないから」

私はこれを聞いて以降、なるべく意味なく怒らないようにしている。

もちろんクレームを言いたい時もある。特に仕事で中国の地元商店と取引もしているので、不良品を売られたり、なんて日常茶飯事。その時に心がけているのは

「クレームの落としどころ(ゴール)を最初から決めておく」

モンスタークレーマーにならないためにも

「自分はこういう要求があって、こうしてくれたら良いですよ」

ということを先に伝える。

もちろん公共の場でマナーの悪い人たちももちろん沢山いる、外国人観光客然り。怒るなら直接言ってあげれば良いのに、と思う。

私は直接言うか、管理スタッフに伝える。

「日本人は優しくない」

と言う言葉を最近Twitterでもよく見かける。

そうかもしれない、優しくないけど規則や規律をよく守る連携のとれた民族かもしれない。私は「優しさ」という見えない感情よりも、行動で示せばいいと思う。どうせ人の思想は支配できない。

盗撮してSNSにアップする前に、何時間も店員さんを拘束してクレームを言い続ける前に、自分の怒りをコントロールして理路整然と捉えられるようになるのが第一歩かと思う。

そうすれば自ずと自分が何に怒っているのか?何を改善して欲しいのか?そのためにはどうするべきなのか?が見えてくる。

この行為をする時間と気力を割ける人が「寛容な人」になっていくのだと思う。


私もまだまだ、これからも精進あるのみ。

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