ハピネスを数値化するビジネスにディストピアめいたものを感じるショーワ人(ネットサーフィン記2020/6/29)

今日は改めて言うことは特にない。早速始めよう。

ハピネスプラネットという社名の時点でおれはもうダメだ

スマホの加速度センサーを使って、コミュニケーションを分析。そこまではいいが、周りの人の幸せにどれだけ貢献したかを「ハピネス関係度」として数値化するという。未来・・・なのか・・・?

「従業員の幸福度を高めることで組織の活性化を支援する」ビジネスにしようというようなことが書いてあるので、まあこれはとりあえず組織に売ろうと思っているのだろう。しかし、中身が正しいかどうかはともかくとして、いったいどういう組織が買うことを想定しているのだろうか。

ネットの動向を観察したところ、やはり・・・ディストピア・・・内心に組織が介入するのか・・・地獄かな・・・と、なかなかの高評価だ。

しかし、おれは思った。内心がどうという以前に、現代人は時間とかめちゃくちゃ管理されてる時点で、もう精神も相当程度管理されている。というか、人類はもうすでに管理というものにすっかり順応してしまっているんじゃないかということを。

管理は科学の服を着て人類の隅々にまで入り込んでいる

組織の管理というものは、様々なものを見える化することにより発展してきたと言える。テイラーの科学的管理法は有名だろう。実際に、ストップウオッチで仕事をはかられた経験のある人は、おれの目にする範囲ではそれほどいないが、昨今では業務時間を計測するツールみたいなものを自分で使う人もいるし、仕事を見える化して、標準化・・・つまりタスクにして、全体の流れを統制して、そして効率的に詰め込む、という発想は、現代人の精神に深く入り込んでいるとおれは思う。

まず、おれが大嫌いなスケジュール帳というものがある。おれは嫌いだが、実はスケジュール表が好きなやつも世の中には結構な数いるのだ。おれは、約束を飛ばすとさすがにマズいことが多いので、約束の時間は忘れないようにいちおう記録することにしているが、約束のない時間に何をするかまでは決めない。

しかし、空いている時間に、自分のタスクを入れていって、いったんそれを忘れ(いったん外だしするとメンタルにいいらしい)、あとは決められたとおりに仕事をやっていけば、いい感じに終わる、という発想のビジネスマンが(驚くべきことに)身の回りにもわりといるのだ。組織人で多忙なタイプに結構多いかもしれない。というか、普通そうなんだろうか。

だいたいは、おれのような暇人に比べてやることが多い奴が、ある程度必要に迫られてやっていることが多いイメージだが、要するに、自分を管理することが、人生をより良くすることにつながる、という派閥なんだろうと思っている。確かに、スケジュールを守れなくて、言い訳に苦労するとか、やむを得ず夜中まで働くとかは、なくなるかもしれない。

体重、食事、エクササイズ、インプット、アウトプット。人生の管理項目はどれだけ増えていくのか。生産性の高い人間になる・・・つまり、役に立つ機関車のようなものだが・・・そういったノウハウを記した書籍とかネット記事みたいなものが世の中にいっぱいある。ということは、そういうものに憧れたり、自分を律したいと思ったりとか、そういう人もたくさんいるということなのだろう。

組織図、フローチャート、グラフ、プログレスバー、砂時計、そして、こうるさいイルカ・・・。こいつらは全部、おまえを(もしくはおまえが)管理するためのツールだ。うさんくさいコンサルタントが持ち出してくるフレームワークみたいなものも、こいつらの仲間だ。そういうものは、そこいらじゅうにあふれているので、いまや誰も何も思わなくなってきているのではないかとおれは思う。

その背後にあるのは、ロジック・・・科学・・・つまりサイエンスだ。サイエンスは、ヒューマンの領域にまで着実に手を伸ばしてきている。

ところが、問題がハピネスになると、急激にディストピア感が高まる

おれは、このサービスが売れるとは正直あんまり思っていない。自分の会社が真顔で社員のハピネスをデータにして云々とか言い出したらちょっとキツイだろう。いや、ハピネスとか言い出しただけでも、結構ツライと思う。

ただ、こういったことはいずれ起こる。人間が細胞でできていて、細胞間でシグナルを伝達しあうことで全体が機能している限り、いずれ、心とか意識とかそういったものと、シグナル物質の関係とか、ニューロンの発火がどうとかいうことに、どういう関係があるかということもわかってくるだろう。

現実に、調子がいい/悪い、とか、気分がいい/悪い、とか言うことが人間にはある以上、何かしらのメカニズムがそこにあるはずだ、ということは言えるだろう。もっとも、それなりに個体差がありそうなので、なんか統一的な指標で測るみたいなことまではなかなか到達しないかもしれない。ただ、時間の問題であることは、いずれにせよ間違いない。

ハピネスめいたものがデータとなり、見える化される。そうなったときに、組織はそれを管理項目に加え、ハピネス向上のために施策を考えるだろう。それが、適切なものであれば、もしかしたら実際に従業員はしあわせに働くようになるのかも知れない。それの何がイケないのか?と聞かれると、確かに答えるのが難しい問題なのである。

おれの中には今、おれがショーワの人間だから何となくそういうのは嫌だと思っているのだろう、程度の答えしかない。

今更、飼いならされてはいけないとかは言わないけど

話しを少し戻すと、時間とか身体とかを相当拘束されている時点で、心も相当程度管理されているとおれは思う。また、人に管理されていなくても、自分で自分を管理することが、イケてる人間になるための方法のひとつだという考え方も相当広がっている。気がする。そこに、多少メンタルを数値化しましためいたものが追加されたところで、まああまり大して変わりはないのかも知れない。

むしろ、抵抗感を感じるべきポイントは、人を科学的に管理するというコンセプトに対してなのじゃないか、ということをおれは最近考えはじめている。なぜ生産的に生きなければならないのだろう・・・人間とクラゲの違いはどこになるのだろう・・・。

人間、思うがままにやっていいよ、と言われると少々困るという面は確かにある気もする。ただ、ルールのもととなる法則やロジックというものは、基本的に既に起こったことを観察して得られたものであって、必ずしも未来に通用することは保証されていない。みんながみんなシステムの構成単位のようになってしまっては、そのシステムが扱い切れない問題への対処だったり、システムそのものの更新といったことが難しくなってしまうようにおれは思う。

世の中のグローバル企業とかは死ぬほど大きくなってしまっているので、組織を効率よく動かさなければならないということも確かにある。サイエンスの出番だ。そのおかげで現代社会は発達してきたのも間違いないだろう。いっぽうで、効率よく動かされることに疲れてしまっている人みたいなのも、世間ではわりとよく目にするところだと思う。

全員が管理なんてクソくらえだみたいなアウトローになると、色々成り立たなくなるとは思うが、自分がすっかり管理されることに慣れてしまっているのではないかという警戒感は、持っておいたほうがいいだろう。いざという時に、誰かが方向を示してくれないと動けない、ルールがないと判断できない、そんな風になってしまう可能性もある。それでいいのか?となるが、それもショーワなのかな、とおれはNOW現代を複雑に思っている。

えてして、そういうやつはしゃべらせてもテンプレのようなことを言ったりするやつになりがちなのだが、まあ、生き方の問題と言えばそれまでだし、意思みたいなものも含めて、なんか大きい力に動かされているとか、化学反応の所産だとか、コミュニケーションとはそもそもテンプレの交換だとか、別にそういったことでもいいと言えばいい。しかし、よりどころが無くなった瞬間・・・システムが対応できないシチュエーションになったとたん、不安になったり、攻撃的になったりとか、そういうこととなんか関係があるような気がしないでもない。

ハピネスポイントめいた未来は、それもまとめて適切なソリューションで解決してくれる未来になるのだろうか。

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