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大滝詠一がサブスク対応していたとはうかつだったが、おれは名盤を堪能する大人になりたかった

■ シブいおやじとみなされるための方策について

どうせならかっこいいおやじになりたい。あわよくば。心に秘めている人も多い事だろう。

少なくとも、自分はその一人である。

世の中には、様々なカッコマンアイテムが存在する・・・ハーレー、仕立てたスーツ、職人の革製品・・・世間では数々の装備品が売られている。そういうアイテムが豊富に品揃えされているという事が、すなわち、人々のよく見られたいという欲望の大きさを示している。

そういったものについて考えていた・・・というわけでもないが、だいたいそういう物理アイテムには、似合う似合わないみたいな問題が生じるという弱点がある。誰でも、買えばすぐ身につけられる一方で、身の丈にあうとかどうとかいうナゾめいた尺度で評価されがちである。

これは、付け焼刃感なのではないか、という事をふと思った。やはり、なんというか、年月の蓄積のようなものが発する魅力みたいなものを、人は敏感に感じとるのである。ずっと、良いものや自分のこだわりを大事にしてきました、という年月の重みを感じさせないものは、なんか違う、という事になるのではないかと。

「年月」すなわち、それ相応の時間の存在感が背景に感じられることが、いわゆる内面から醸される魅力、みたいなものの正体のひとつなのではないか、そういう思い付きである。

■ 魅力とは果たして内面から出るものなのだろうか

自分もそうだが、よくよく考えると、世の中に中身のしっかり詰まった人間というのは実に少ない。

必要なのは、中身のありそうな事を言ったり、中身がないとできなさそうな事をしている事を知らしめたり、そういったことである。中身自体は特に必要ではない。どっちにしろ、見ることはできないのだから。

人が見ているのは、あくまでも、その人が表現しているものであり、表現されていないものは存在しようがしまいが、他人にとっては関係がない。

シブいおやじになりたいからといって、実際にシブくなる必要はない。実体がなんだろうが、シブいと思われれば良いわけであるし、逆にシブいと思われないのであれば、本質がどれほどシブくても意味がないわけである。

■ 中身がありそうにするうまい手はないか

中身がありそうな演出をするために、カルチャーアイテムは欠かせない。教養、文化、アート・・・そういうものに精通してそうなトークができると強い。身に着けるのに、それなりの時間が必要になりそうだと感じさせることができるからだ。

昨今、あふれるコンテンツを消化する、みたいな視点から、色んなことがファスト化されている。Youtube動画を早送りで見るのは普通である。映画ですら、昨今はファストに再生される事もある。

取り敢えず内容をかいつまんで知っておけばいいジャンルは、ファスト化と相性がいい。物知りである、流行に詳しい、そういうパターンの演出をするのであれば、ネット記事を拾い読みして、動画などは早送りで見ておけばいい。もうほとんど撲滅されたとと思うが、ファスト映画みたいなものがウケたのは、取り敢えず、「映画に詳しい」になりたい人が沢山いたのだろう。まさに、カルチャーアイテム化しているのである。

ちなみにだが、なにを隠そう、自分もすっかりファスト化されてしまっているので、Youtubeは当然として、映画・・・はさすがにあまりしないが・・・アニメぐらいであれば、バンバン倍速再生している。映画をなぜあまり早送りしないかというと、そうするぐらいであれば、別に見なくてもいいんじゃないかと思うからだ。この辺は趣味によるところだろう。元々、自分はそんなに沢山映画を見るほうではない。

■ 音楽はなかなかファストにできないリッチな趣味だ

すっかりファストにコンテンツを消化する事も一般的になった昨今であるが、音楽作品というのはそう簡単にはいかない。倍速とかで再生するとシンプルに別物に聞こえるからだ。日ごろからBGM付動画をファスト視聴してみた経験上、これは顕著である。あらためて発見するまでもない当然のことであるが、テンポは楽曲にとって非常に重要なのだ。

つまり、カルチャーアイテム的に「必聴アルバム」をこなそうと思った場合、再生時間が50分あるなら、基本的に50分の時間を用意しなければならない。音楽というのは何もかもファストになった現代において、未だ時間というリソースを消費する非常にリッチな趣味なのである。

そんなこんなで、みんな限られた時間をやりくりしようと、通勤中に音楽を聞いたり、何かをしているときにBGMとして流しっぱにしたりと、工夫をしながら楽しんでいるところだろう。そうやって工夫をしたとしても、1日は24時間しかない。いのちを削って社会に完全に背を向けても、フルアルバムは結局1日25枚ずつぐらいしか聞けないのである。

これは、趣味としては非常に制限がきつい。ファスト化を抜きにしても、例えば、頭が良いから人の倍の速度で音楽を聞けるとかそういうこともない。仮に誰かが複数の楽曲を同時に聴けるんだとしたら、そいつはたぶんウマヤドだ。つまり、音楽はショートカットをする方法がほとんどないため、時間を使わずにキャッチアップすることが非常に難しいジャンルなわけだ。途中で飛ばしたりしながら聴けばイイじゃないか?まあ、普通の歌謡曲みたいな簡単な構成の曲ならあり得る。というか昨今では、間奏を飛ばしたりという聴き方が実際にされるようになっているみたいだ。

邪道か邪道じゃ無いかで言えば、音楽に限らず、ファスト視聴することは全体的に邪道なんだろうと思う。映像作品でも、シーン展開のスピード、テンポというものはファスト化すると損なわれる。役者の演技もちゃんとは楽しめない。それでも、物語作品はファスト視聴されることがある。おそらく、あらすじを知っているだけで、大体の場面でアイテムとして通用してしまうからだろう。雑談で、映像の動きの細かい点にまで踏み込んだ話をすることは実際ほとんどない。まあ、そういうところまでじっくり鑑賞できるような、予算がたっぷりつぎ込まれた作品ばかりではない、というのもなくはないが。

ともかく、レコード、CDの普及により、録音された音楽を聞くという文化は急速に広まった。それ以来、必聴アルバムだけでも現在では相当な枚数になっているし、日々新たな作品が生み出されている。メジャーである程度流行った過去の名曲みたいなものを押さえていくだけでも相当な時間が必要になる。

つまり、今まで聞いてきた音楽の量というのは、容易に巻き返すことができない。差別化しやすい領域なのである。わかりやすく、年月の蓄積を感じさせることができる。時間をたっぷり使ってリッチなので、趣味として格が高いと思われる可能性もある。カッコいい大人になるなら、「音楽に詳しい」は相当アリだ。

そんな事を考えていたわけであるが。

■ いつの間にか大滝詠一がサブスク対応していた件

めちゃくちゃ前置きが長くなったが、今までの話は、さっき思いついたような話なので、今日の本題ではない。

昨日、ふと思い出して、ブランキー(Blankey Jet City)を聴こうと思った。理由は、今までの話のとおりで、昔流行ったカッコいい曲とか知ってるといいんじゃないかと思ったからだ。最近、それほど話題になっている様子もないし、最近の若い人は手薄になっているに違いない。有名曲はなんとなく知っているし、たぶんアルバムも1枚ぐらいは持っていると思うが、そもそも当時別にそんなに好きなバンドでもなかったので、あまりちゃんと聴いていない。ここらで、マスターする事によって、ブランキーをそらんじられるカッコいい大人になろうと思ったのだ。

だが、アップルミュージックになかった。調べてみると、まだサブスク化されていない有名アーティストの中に含まれていた。

なんてこった。しかし、すぐさま、より重大なことに気が付いた。いつの間にか大滝詠一が聴けるようになってるじゃないか!

以前にも述べた事があるが、大滝詠一は色んな点で偉大なアーティストである。なにしろ、『A LONG VACATION』が発売40周年を記念して、今年の3月に「またリマスターされた」ほどである。ナイアガラサウンドにひとつとして同じものは無い。リマスター版の発売と同時に、サブスクリプションで楽曲が聴けるようになった。一部では「日本ポップス市場最重要作品」とも評される『A LONG VACATION』である。これはなんとしても紹介しておかねばならない。

■ ナイアガラサウンドのヤバさを復習しておこう

前に少し触れたことがあるが、大滝詠一の楽曲制作については、よく知られた伝説がある。

「ソニー・スタジオを占領していた」
「スタジオは普通は1PJに1室であるが、複数の部屋で同時にレコーディングをしていた」
「全てのソニー所属エンジニアを総動員する勢いだった」
「普通のバンド編成の曲でもキャスティングが20名とかになる。例えばアコギだけで4人いた」
「呼ばれたミュージシャンの車で駐車場がいっぱいになった」
「ミュージシャンのギャラだけで1日400万かかった」
「機材を買う時は3台買って聴き比べる、トライアングル理論」

などという話を、例えば、坂崎幸之助などが語っている。

つまり、めちゃくちゃ金がかかっている。現在のように、制作環境がデジタル化される前の話だという事を差し引いても、やりすぎ感は否めない。めちゃくちゃ豪華である。

『A LONG VACATION』のオープニングを飾る『君は天然色』については過去のインタビュー記事により、「ドラム、ベース、エレキギター3本、アコースティックピアノ4台、エレピ1台、パーカッションが5人、アコースティックギターが5人」の通称「大滝オーケストラ」によりベーシックトラックが録音されたという話が伝わっている。

しかも、現在であれば、個別に録音をしてそれをミキシングするのが普通であるが、これを最初から音決めをして2トラックで録音をしたという。サウンドを決めるまでには多大な労力をかけるが、演奏そのものは1発か2発でOKしていたらしい。ただし、実際に演奏に入る前に、大滝が全パートについて、曲の説明を行うため、1時間以上の説明会が行われたという。それも概要を話すだけでなく、口伝で細かな演奏の指示が入っていたとか。

こうしてできた、オーケストラのサウンド、ノリを非常に大事にしつつ制作されたアルバムが『A LONG VACATION』である。多大なコストをかけたかいがあったのかどうかはわからないが、発売1年で、当時の市場で100万枚を売り、2020年までの累計で300万枚以上売れたとされている。ちなみに、40周年盤もオリコンランキングでデイリー1位になったとかならないとか。投資回収ができて何よりである。

仕上がったサウンドが良いか悪いかは聴いた人が考える事だ。金がかかっているから素晴らしいとは直ちに言えるものではない。しかし、一つ言えることは、良い曲はこの先もいくらでも出てくるだろうが、同じような制作手法でポップスのアルバムが作られることは、この先もほとんどないだろうという事だ。そのユニークさが現代でもロングバケーションを輝かせる価値なのだろうと思う。

■ これが手軽に聴けるのはありがたい話だ

久しぶりに、ステレオスピーカーに向かってじっくり音楽を聴くという事を楽しんでいる。空気感とも言われるような広がりを感じさせつつも、音の輪郭がぼやけるほど存在感が曖昧にされているわけでもない。聴けば聴くほど不思議なサウンドである。多くのエンジニアが、これはどうやって録ったんだ?となるのもうなづける。

サブスクサービスで聴けるようになったので、手軽に人に薦められるられるようになったのは便利なものである。以前は、古い音楽を人に薦めたところで、CDがなかなか手に入らないという事がよくあった。

おすすめは、ステレオの前に正座して、大音量で浴びるように聴くことだ。耳に痛い音とかはほとんど入っていないので、多少音量を上げても、うるささを感じることなく聴ける。

あとは、『LET'S ONDO AGAIN』が配信で聴けるようになるのを待つばかりだ。待ちきれないので、CDを買ってしまった。

渚のシンドバッドの替え歌の『河原の石川五右衛門』とかは今聞いても良い感じにあたまがおかしい。この幅の広さも大滝詠一の魅力である。こういう、普通買わない作品こそサブスク対応してほしいんだけどなあ。

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