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新年の抱負なんて立てなくていい

去年も達成できなかった。

何のことかって、新年の抱負を。
ちなみに去年「も」なのだ。毎年のように繰り返している気がする。

年初には、気持ちを新たにやる気をもって、たいてい健康・運動系、キャリア系、あとプライベート面あたりのことについて、「今年は○○する!」と抱負のようなものを立てる。

巷によくある自己啓発本などを参考に、すぐに達成できてしまうようなことよりは、少し大きめの変化をもたらすような目標を設定して、それをちょっとずつ分解して実践しよう、という風に一応考えてやっていた。

例えば、私は体が硬いので、それをなんとかしたく、「柔軟性を高めたい」という抱負を立てたことがあった。
そのためには、日々コツコツとストレッチをするのみだということは分かってはいるので、具体的には「5分でいいから週3回ストレッチをする」という風に、目標達成のために分解して実践することを心の中で決める。

「三日坊主にはなるまい!」というような心持ちはもっていたので、最初のひと月くらいは、面倒くさくてやめたくなるときもあるものの、なんとか続けられた。

ところが、あるとき風邪をひいて体調不良になり、今日はちょっとストレッチできそうにないから休もう、というような日が数日続くうちに、体調が快復したにも関わらず、他のことで頭がいっぱいになり、そもそも週3回はストレッチをすると決めていたことすら忘れていたのだ。

よく、もともと人は怠けたいと思う性質があるから、習慣化すると良いと聞くが、これは習慣化できなかった例だ。

それから、抱負というにはちょっとおこがましいかもしれないけれど、「今年はしばらく会っていない誰々さんや誰々さんに会いたいから、久しぶりにコンタクト取ってみよう」とか、「SNSで見て気になっている、あの観光スポットに行ってみたい」という、週3ストレッチの「自分との闘い的」目標よりはとっつきやすいカジュアルなものもあった。
こういった目標は、相手次第によるところもあるが、スケジュールを立てさえすれば、実行しやすいたぐいのものもあった。

だが、このたぐいのカジュアルな目標すら、去年は達成できなかった。なにせ、新型ウイルスとの戦いのため、今まで当たり前に自由に人と会ったり出かけたりしていたことが、当たり前にはできない状況になってしまったからだ。
まあ、残念だが、これが理由で目標達成できなかったのは仕方がない。
むしろ、自分の責任で目標が達成できなかったわけではないので、少し気が楽だ。コロナのせいってことにしておけばいいからだ。

気が楽になったと思ったが、なんだか違和感を感じる私がいる。

去年達成できなかったカジュアルな目標は、自分ではどうすることもできない不可抗力である「コロナのせいにしておく」ってとこだ。

しかし、これって実にもったいないことをしていたのかもしれない。
当初立てた内容での目標は達成できないにしても、同じ一年という年月を過ごすんだったら、他に何かこの状況だからこそ達成できたこともあったのではないか、と。
それから、自分との闘い系の抱負の場合だって、立てるだけ立てて、途中で挫折しても毎年そのままだ。
新年が明けたときの気持ちや状況の上で抱負を立てても、一年の途中で方針変更をせざるを得ない状況が出てくるかもしれないということは想定していなかった。
特に去年は、社会情勢や生活の仕方がだいぶ変わってしまった年だったからなおさら軌道修正が必要だったが、ここまでの社会的な大きな変化でなくても、病気したり、怪我したりと、自分に降りかかる予想不可能な変化が起こる年もあるだろう。

だから私は思った。新年の抱負は立てなくていい。
なぜなら、抱負を立てるのは新年でないといけない、という理由はないからだ。
達成したい目標ややってみたいことが出てきたその瞬間に立てればいい。
それは3月6日に立てる抱負かもしれないし、7月18日に立てる抱負かもしれない。
もともと立てていた抱負が、立てた内容通りに達成できる見込みが薄くなったら、その時から修正するだっていい。
目標達成のためにコツコツ行うと決めたことが続かなくなってしまったら、また別の新しい抱負を立てたっていいじゃないか。一年は365日あるんだから、その365日のうちで興味・関心が移り変わっていくことは特に珍しくないんだし。

そんなことを考えながら、2021年の手帳を開く。
何も書かれていない、まっさらな新しい手帳だ。
今年はどんな年になるんだろう?
むしろ、こっちか。どんな年に自分で作り上げていくんだろう?

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