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得した気分を味わわせるのが、ダンディな男です

創造的な人々は、外向性と内向性の間に横たわる連続体の両極端を漂っている(中略)創造的な人々は両方の特性を同時に表す(中略)実のところ、創造的な人々は一つのことにひたむきなのでも、専門に特化しているわけでも、利己的なのでもない。実際は、その逆のように思える。隣接する知識の領域と関連づけて考えることを好む。傾向として、───原則的には───思いやりのある、感受性の鋭い人々である。

情報分析官

あなたがどんな人間になるかは、関わるグループによって決まることが多い

情報分析官

後に劇作家となる少年(※シェイクスピア)がゼロと格闘した様子が目に浮かんでくる。少年は目を閉じてそれを見ようとする。しかしなにもないものを見るのは容易なことではない(中略)「シェイクスピアは自分本意とは無縁の人だった」と一九世紀の批評家ウィリアム・ヘイズリットは書いている。「彼は自分自身では何者でもなかった。しかし彼はそれ以外のあらゆる人々だった、あるいはあらゆる人々がそうなれた存在でもあったのだ」。この何者でもなかった彼は、かつて小学生のときに、ゼロという空っぽの数字が奇妙に充実していることを理解した(中略)ゼロがつけば、質素な一でも巨大な価値を持つ ※引用者加筆.

ゼロは、「無い」ではなくて、「ゼロが有る」ということ

ロダン(引用者撮影)

1889年には、パリのジョルジュ・プティ画廊でロダンとモネの二人展が開催されている(中略)ロダンの名前は、日本ではかなり早くから知られていた(中略)日本におけるロダン作品ということになれば、松方幸次郎の名前も忘れるわけにはいかない。第一次世界大戦中から何度となくヨーロッパに渡り、精力的に美術品収集を進めていた松方は、特にロダンに対しては情熱を注ぎ、ロダンの主要作品をすべて集めようと努めた。ロダンの没後、原型のままで残されていた《地獄の門》のブロンズ鋳造を最初に注文したのも松方幸次郎である(中略)東京上野の国立西洋美術館のロダン・コレクションがそれである(中略)一方ロダンも、日本には強い関心を抱いていた。日本の浮世絵のコレクションを愛蔵していたし、特に踊り子花子に魅せられて、数多くのデッサンと50点を越える彫刻作品を残している。

ロダン(引用者撮影)

「わたしは他人のもとで数多く働いた。わたしのように、政府の援助もなく手当もない貧しい人間は、ありとあらゆる人のもとで働かねばならなかったのだ」(中略)私は50歳まで、貧乏がもたらすありとあらゆる苦労を味わった(中略)「生活するために、私はありとあらゆる分野の仕事を覚えた。大理石を削ったり、装飾彫刻を製作したり、彫金師のもとで装身具もつくった。 そうしてあまりにもたくさんの時間を失ったことを、私は悔やんでいる。そのときさまざまなことのために費やした労力を集めれば、ひとつのすばらしい作品ができただろうから。しかし、結局そうした苦労は私のためになったのである」(※ロダンは古代の彫刻を熱心に研究した)。※引用者加筆.

一九二〇年代にオーギュスト・ロダンの彫刻『接吻』が東京の美術館で公開されたときは、全裸の男女のキスが一般の人に不快感を与えないよう竹すだれで仕切られた(中略)キスを科学的に探る旅もそろそろ終わりに近づいてきた。旅路を振り返ってみると、キスのことはだいぶわかってきたが、それと同時に追求すべき課題も残っている(中略)いつものようにキスの資料を調べていたある晩、キス関連の科学論文の山の峠をやっと越えたことに気づいた。それで、ふとこう思ったのだ(中略)キスシーンは心に訴える。実生活でも同じだ。いつ、どこで、どのように恋人とファーストキスを交わすことになるのかと想像し、ついにキスが実現すれば舞い上がるだろう。追い求め続けたすえのキスシーンはロマンチックな詩の一節のようであり、バイオリンが奏でられ、花火が空を彩りそうだ(中略)二人はどのようにして唇を重ね合わせることになったのか。───フランスの詩人・小説家・劇作家ビクトル・ユゴー

未来を過度に、あるいは近視眼的に割り引いていないかぎりは、不確実な世界に身を置く死すべき存在にとって、今この瞬間の欲望に身を委ねることは合理的である。

得した気分を味わわせるのが、ダンディな男です───中谷彰宏氏(著書名失念)

紀元前七九年、ヴェスヴィオ山が噴火し、その火山灰に覆われたポンペイの町はそのままの形で保存された。ほとんどの人はヴェスヴィオ山から逃げようと走ったが、大プリニウスは噴火の様子を調べ、観察し、さらに生存者を救出しようと、危険地帯にまっすぐ向かっていき、その活動の最中に死んだ。しかし彼の名誉のためにいえば、クラカトア火山の噴火のようなもっとも激しい噴火のことをウルトラプリニー式 (プリニーはプリニウスの英語読み) と呼ぶ。これは無知でいることよりも知ることを選んだ男に敬意を表するためにつけられた名前だ。

ロダンはいかに単純化するかのすべてを知っている。その上になお探り続けた。そして皆それで苦しみ続けると言っている(中略)レンブラントも単純化を必死でやって、ロダンに言わせると「レンブラントがそこに行きついて偉大になったときに人々は彼を飢え死にさせた」。つまり、売れなくなってしまう。そういうものなんだと思う。単純というのは危険で、全体を壊さずに単純でなければならない。

マティスは助言を求めてロダンを訪ねたが、この巨匠の生き生きとした独創的な写実主義の秘訣を得ることはできなかった(中略)断固たる無神論者だったマティス(中略)裕福なブルジョワへの怒りといったアナーキーな感情がひそんでいたことを後年のマティスは認めている(中略)戦後になってヴァンスのマティスのもとを訪れた人びとは、みながみな二つのことに驚かされた。一つ目は、こんな箱のような小さな家にマティスが住んでいたのかということ。ル・レーブ荘はとても質素な目立たない家だったので、ピカソは最初、もっと先にある立派な家のドアをノックし、近所の人に案内されてマティスの住む家まで戻ってきたほどだった(中略)私が思うに、すぐれた芸術家でありたいなら、孤独になることが必要だ───マティス

マティス(引用者撮影)

「マティスは、すべてを破壊してしまう危険を冒してでも、よりよいものをめざすべきだと言ったんだよ」───パブロ・ピカソ

マティス(引用者撮影)

第一次世界大戦前には全世界の思想家や文化人は皆がパリに集まった。ピカソもモディリアーニも日本の藤田嗣治も、みなパリにあこがれ、パリで才能の花を咲かせた(中略)人々がどう考えるのかを頭に焼き付けることだ。それが次の相場に生きてくる(中略)貴金属はポートフォリオの保険になる(中略)お金を印刷し続ければ続けるほど、次のクラッシュがよりひどいものになる。その中で一番ダメージを被るのは日本になる。

戦争が迫ったと知ってピカソがまず起こした行動は、いかにもこのひとらしく実際的だった。カーンワイラーの画廊が閉鎖され、作品の買い手がなくなるのを見越して、ピカソはエヴァ(※癌の手術後のピカソの妻)を連れて宣戦布告の前日か前々日(七月三十日か三十一日)にパリに駆けつけ、銀行に預けてあった金をすべて引き出した。「まさに名人芸」とセルジュ・フェラはソッフィチに書き送る。マティスによると、金額は一〇万フランに達した。日頃から金の扱いのはなはだ泥臭いピカソを知る人が言い出したものか、金の延べ棒をベッドの下にしまいこんだという噂が流れた(中略)(※第二次世界大戦中)ピカソはなるべく目立たないように、面倒に巻き込まれないように気をつけて暮らしていた(中略)(※ピカソが戦中暮らしていた)アヴィニョンは前線からはるかに遠いと言いながら、町中が戦争一色に染まった(中略)軍隊が車庫や厩舎はもとより市庁舎、市立劇場、裁判所、教皇庁にも宿営した(中略)街角ひとつまがるたびに軍人と鉢合わせして仰天するばかり(中略)ピカソとエヴァのアヴィニョン暮らしの背景は、こうしたものだった。 ふたりはこの町で戦争をやり過ごそうと決意を固めていたとはいえ、町は次第に軍隊の一大集結地の様相を呈しつつあった(※再びここでエヴァの癌が再発する) ※引用者加筆.

ピカソ(引用者撮影)

ピカソの真価を学ぶとは、すなわち否定を克服することなのかもしれません(中略)否定の層がはがれたときに、私たちは初めてピカソ作品やチョーラの彫像を楽しめるようになるのでしょう。

踊るシヴァ神

私の見解を、インド美術のもっとも偉大な聖像である「踊るシヴァ神」、別名「ナタラージャ」の話で締めくくることにする(中略)二〇世紀への変わりめの頃、年配のフランジ( 「外国人」あるいは「白人」を指すヒンドゥの言葉 )の紳士が、そのナタラージャ像を畏敬の念を抱いて凝視しているのが目撃された(中略)彼は一種のトランス状態となり、踊りの体位をまねはじめた。まわりに人垣ができたが、紳士はそれに気づく様子もなく、ついには館長が見にやってきた。館長は気の毒な男の身柄を拘束させようとしたが、すんでのところで、そのヨーロッパ人が世界的に有名な彫刻家のオーギュスト・ロダンだということに気づいた。

シヴァ神は世界の創造者でもあり破壊者でもあり、片手に創造の太鼓、片手に破壊の炎をもった姿で描かれる。しかし、シヴァは無も表現(中略)ゼロが強力なのは、無限と双子の兄弟だからだ。二つは対等にして正反対、陰と陽(中略)ゼロは、新しい教えの象徴

『空』が『物質』を包摂し、また『空』は『無』も包摂する。このように、『空』は『物質』と『無』の、共通の上位概念である───苫米地英人博士(著書名失念)

宇宙の大河は、踊るシヴァ神の姿をしている。この神の踊り、宇宙の流れを支える踊りが時間の流れなのだ(中略)踊るシヴァ神がこの世界を支えているのであれば、一万のシヴァ神がいるはずなのだ。ちょうどマティスの絵画のような、巨大な踊り手たちの集団が

フリッツ・シュトラックの有名な研究によれば、実験参加者に、鉛筆を上下の歯の間にくわえたまま(こうすると微笑みの筋肉が使われる)自分について記述してもらったところ、鉛筆をくわえなかったグループに比べ、より明瞭で前向きな文を書いたという。幸福コンサルタントたちは、この研究をお墨付きにして、臆面もなく「幸せなふりをしていればそのうち本物になる」と説いた。こういうやり方はどれも本質的に、人々をネガティブ心理状態から遠ざけようとするものだ。しかし問題を避けるということは、問題解決の道を探る努力を避けること(中略)ネガティブな事柄に無感覚になれば、ポジティブな事柄に対しても無感覚になる。前章で紹介した面白い漫画を見ても笑うことのできなかったうつ状態のアメリカ人の姿を思い出してみてほしい。

「考える人」で有名な彫刻家ロダンの作品に、日本人をモデルにしたものがあります。20世紀の初期にヨーロッパで活躍した女優・花子さんです(中略)森鴎外の小説「花子」のモデルにもなった女性です。ロダンは、踊り子としてヨーロッパ巡業中の彼女に出会い、魅了されました。ロダンは彼女をモデルにして、50点以上の作品を制作(中略)ロダンが花子さんをモデルにしたある作品を彫り終わったとき、彼女は病気になってしまったといわれています。花子さんはロダンに頼まれて憤慨の表情をつくり出したのでしょうが、その状態は彼女の健康を蝕んだ可能性が───安保徹医博(著書名失念)

情報を集め、がんに侵された妻の治療に可能な限り力を注いだピカソ。漫然と美術館を訪れるのではなく、自分への戒めアイコンとして名画を見ることをお勧めします。ピカソが長生きできた理由のひとつは、彼が真剣に情報収集をする習慣を身につけたことだ。ピカソもまた、「もっとうまくやれたのではないか」と問う習慣を身につけたのだと思う。自分の病気でなくても、できるだけ多くの情報を集め、真摯に取り組むことには多くのメリットがある。私自身、個別にお返事する時間がないのですが、「マインドウィスパリング スペース 調べたいワード」でnote内検索していただければ、詳しく検証した記事が見つかると思います。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/n3f9f679753bc



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