素晴らしく醜悪で美しい世界を生きる

生きることに意味はない。存在価値も(今の私には)大してないのだろう。

今いる場所に居ていいのか?なんてのも他人からしたらどうでもいいことだ。


「お前が勝手に決めればいいだけ」

「いなくてもいい人間なんていない」

それなりに生きていればこう返されるだろう。


意味付けにこだわらなくなった時点で、少し大人になってしまったのかもしれない。

でも、字面ではわかっていても、ときどき言い知れぬ孤独の海に襲われる。

だって地球は丸く、見える場所によっては美しいものの、恐ろしく醜悪な様相をときどき見せるのだから。


蒼く染まった空を見ているとき、私は世界を好きになる。

偽善者がニセモノの悪人を袋叩きにするとき、私は世界を嫌いになる。


そう客観視する私自身も、嫌いになる。

世界を探求すれば、このような感情をいちいち抱くことがなくなるのかもしれない。

でも、もしそうなったら、もっと自分を嫌いになるだろう。


いったいどうやって生きていけばいいのか。
どこに骨を埋めればいいのか。

わからないなりに皆進み、皆大なり小なり悩んでいる。


素晴らしい世界、皮肉でもあり真実。


でも、できるならもうちょっと好きになりたい。

生きる理由を無理やり作るなら、

「今よりほんのちょっと良い世界を見てからこの世を去りたいから。」

がおそらくのベストアンサー。

だから私は、こころをまもりながら、知らない世界に赴く。



一日を生きるのって、常に命懸けなんだ。


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