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朗読劇「朝彦と夜彦1987」【感想・考察】

朗読劇「朝彦と夜彦1987」Cチームの配信を観たので、その感想です。

朝彦と夜彦が17歳だった頃、多分タイトルにもある1987年当時を思い返す内容ということもあって、その当時のトレンドが小ネタみたいに盛り込まれてて、その当時を知っている人だったら懐かしく感じるのかなー?と思ったりなんだり。

私はなんか聞いたことある感じが……みたいな程度だったんですが、ここで思ったのが、観劇者がそうであるように、演者の年齢によっても情報量違うのでは…?ということ。

いや、今回のキャストも生まれる前の出来事だとは思うのですが、懐メロ特集だったり、親の話だったり、年齢を重ねている人の方が情報量多そうだなと(Aチームは登場人物と同い年らしいね!でも作品軸だとまだ生まれてなさそう)。

それで気になってキャストさんたちの年齢調べてみたら、チームごとに世代を合わせてるのね……!(公式の情報あまり見れていないので、私が知らないだけだったらごめんなさい)

<Aチーム>
佐伯大地 30歳
稲垣成弥 30歳

<Bチーム>
吉村駿作 25歳
菊池修司 26歳

<Cチーム>
滝澤諒  22歳
織部典成 21歳
※敬称略

世代が近ければ、キャスト自身の"17歳"に共通点が増えると思うので、こういうキャスティングって面白いなと思います。むしろこういうキャスティングの仕方があるのか、と。

内容はクスッと笑える小ネタと、心がズッシリ重たくなるようなシーンが繰り返されて、心がどんどん揺さぶられていく。そのテンポが心地よくもあり、世界観に引きずり込まれるような感覚が不気味でもあって。

配信だけど、停止ボタンを押したくない、そういう気持ちになっていって、これを生で観れたらどれだけ面白いだろうと、ちょっと寂しい気持ちになりました(笑)

逆に配信だからこその良さもあって、きっと生で見ていたら定点観測してしまうところを、カメラのスイッチで二人の演技をそれぞれ見ることができたので、よかったなと思います。でもそれぞれが話した時のリアクションは観たかった気もするので、全景も欲しいなというわがままな気持ちもあります(笑)

観ていくと二人から朝彦らしさ、夜彦らしさがすごく滲み出てきていて、きっとキャスティングが逆だときっとチグハグになってしまう──朝彦と夜彦がそうであったように、朝彦が夜彦に、夜彦が朝彦になることはできない。そんな印象を受けました。

互いが互いになることもできないし、きっと彼らという存在が交差することがない。だからこそ、思い違いやすれ違いが起こるし、理解しようとして行動し、物語が動く。

ただあの日、夏休みの最後の日が唯一、朝彦と夜彦という存在が交差する点だったのかなとも感じました。

「不器用だけど優しすぎる朝彦」
不器用だけど、夜彦を思う気持ちが温かい朝彦。冷たい夜を溶かす太陽みたいな朝彦は、きっと夜彦の心をじわじわと浸食していって、その温かさが夜彦を追い込んで行ったのかもしれません。

「希望に向かって手を伸ばし続ける夜彦」
夜彦はある意味ポジティブだったと思います。それはまるで生存本能のようだなと。あの言葉から目を背けるように、絶望から目を背けるように可能性を希望を見つけ出そうとしていた。それを朝彦の中に見出そうとしていたかと言われると、どうかな?と思いますが。

懐いて、近づけば近づくほど、蝕まれていく。でも真逆の存在だから、黒が白になることもないし、白が黒になることもない。本当に切なくて儚いですよね、"普通"とはいえないような青春──。

こんなふうに、余白のある作品ゆえに観劇者によっても、キャストによっても解釈が違う。朝彦は、夜彦は、なぜそう考えた?なぜそう口にした?なぜ……?と考えさせられるシーンが多く、観ながらも頭がフル回転する内容で、とても面白かったです。

事実を受け入れるだけでは完結しない、そういう余白のある作品は体力を使うから、余裕のあるときにじっくり見るのが向いている作品だなとも思います。

ただ映像化されていないんですよね(オーディオブックにはなっているらしい)。でも、だからこそ朝彦が過去を思い出し、そこからストーリーが展開されていくように、観劇者の中で想像が広がっていくのだろうなと(もちろんキャストのファンとしては映像化して欲しいけどね……!)。

他のAチームBチームはまた違った朝彦と夜彦がいて、それぞれの解釈があるのかと思うと、Cチームの配信しかチケット買わなかったことを後悔しました、かなり。もし4度目の公演があるのなら、観てみたいと思います。

ここからは諒くんの一ファンとしての見解なんですが、オンラインイベントの時に諒くんは"言霊"という言葉についてお話しをしていて、これは朝彦を演じる上で重要なキーワードでもあったんだろうなと感じました。だって、朝彦の言葉が引き金になって、物語が大きく進展していくんだもの。

言葉にして昇華してしまえばい──それだけでは終わらず、言葉はカタチを得て、時に人を突き動かす。

この「朝彦と夜彦1987」という作品を通して、言葉の持つ不思議なパワーを感じたのかなと、腑に落ちたんですよね。いつも役に入り込む彼だからこそ、役に影響されやすい彼だからこそ、そういうモノを得たのかなと、また別の面でも考えさせられる作品でした。


⚠️以下ネタバレありなので、ご注意ください⚠️


観ながら考えたことについて触れていきたいなと思います。

まず、なぜ夜彦は「死にたい」と口にしなかったのかということ。

思いついたのはニーチェの「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」という一節です。

夜彦はいずれやってくる"死"が恐ろしかった。いずれやってくるというか、自分の足で一線を超えてしまうことから目を背けたかった。だから夜彦はその言葉を口にはしなかったはず。

そんな境界線に立つ夜彦の背中を押してしまったのが朝彦。先に書いたように、朝彦は言葉にして昇華してしまえばいい、そういう考えで「言ってしまえ」と言ったんだと思うんです。でも、深淵を覗き込んだ夜彦はその深淵に引き込まれてしまった。

身から出た錆とまではいかないけれど、朝彦は自分が言葉にしてしまったことの重大さに気付いて、その罪滅ぼしのように一緒に死ぬことを提案します。現代の朝彦が当時を振り返ったように、時代も今のようではなかったし、17歳の朝彦には夜彦を救うための術が知識としてもなかった。

朝彦があの瞬間、親友を思って至った答えが一緒に死ぬことだったなんて、17歳の子どもとも大人とも言えない年頃の、言い方を選ばなければ浅はかさを表しているようで、この作品の中で一番好きなシーンかもしれません。

現代のシーンで夜彦が「死にたくなかった」と言いましたが、それを知った朝彦はどう思ったのでしょうか。それしかないと思って、共に選ぼうとしたその道が、根本的に誤っていたんですから。

二つ目は何がトリガーになって、17歳の夜彦が現代の朝彦のもとに現れたのか。

きっとトリガーになったのは、"宅急便屋のオヤジ"をクビに追い詰めてしまったことと、不登校の生徒の通知表をつけるタイミングが重なってしまったこと。そして朝彦自身が気付かないうちに夜彦が怯えていた"30歳"という節目に立っていたこと。

朝彦は"宅急便屋のオヤジ"のクレームを口に出してしまったことで、"宅急便屋のオヤジ"の人生を変えてしまった。生活もあるし、家族もいるだろう、ここをクビになったら次の道はないだろう人。

夜彦の父親はクビになったわけでもないし、妻に浮気されたわけでもないけれど、家族を置いて、息子の目の前で死んでいった。そんな夜彦の父親を連想させるのは容易いですよね。

そして、当時の夜彦のようにうつで不登校になってしまった生徒の存在。"3"をつけてお茶を濁すか、それとも何かを突きつけてしまうか。それらが重なったからこそ、17歳の夜彦が現れたのではないかと思います。もしかしたら、無意識のうちに夜彦との約束を思い出していたのかもしれません。

そして朝彦の元に"現れた"と言っても、30歳の朝彦の元に現れたのは、朝彦の中の夜彦。つまり、朝彦は自分自身と対話していたとも言えます。自問自答しながら当時を振り返る様はまるで懺悔のよう。

懺悔ののち、今度は夜彦の言葉が朝彦を救うんです。

それは朝彦が夜彦に「幸せか?健やかか?」と問うシーン。

夜彦の人生を終わらせてしまうかもしれないきっかけを作った、宅急便屋のオヤジの人生を変えてしまった、自分の評価で不登校の生徒の人生を変えてしまうかもしれない。そんな経験を重ねてきた30歳の朝彦は、きっと自己を肯定する言葉が欲しかったのではないでしょうか。

17歳の朝彦は常に夜彦に与え続けていた。もしかしたら、これも朝彦の性なのかもしれません。不器用ゆえに、優しさゆえに見返りを求めることがない朝彦。だからこそ、誰かに肯定して欲しかった。

そして、あの日屋上の扉を開けなかったことを知っているのは多分夜彦だけ。つまり、朝彦の弱いところ(弱みにつけ込むとかの意味ではなくて)も知っている、夜彦に肯定して欲しかったのかなとも思います。

交わることのない朝と夜。真逆だからこそ、無い物ねだりで相手を欲したり理解したいと思う。そして、真逆だからこそ肯定されることにも意義がある──。こう考えていくと、真逆なのに惹かれあってしまう、二人の関係性が見えてくるなと思います。

最後に、どこまでが朝彦の空想なのか。これは正直わからないことですし、いろんなパターンが考えられます。ここが一番、人によって捉え方が違う部分なんでしょうね。

最後まで朝彦の空想だった説、本物の夜彦が迎えに来た説…。夜彦が「病院を出たり入ったり」と言っていたので、夏休みの最後の日に一人で死ぬことはなかったと思うのですが、そのあとは……。

Wikipediaの「小さな木の実」の記事を読むと、これは夜彦が朝彦に残した歌でもあるのでは……?とも思えてきますしね。

もしかしたら、夜彦はもういなくて、朝彦が狂ってしまう境界線にいただけなのかもしれない。一線を越えないように、肯定して欲しかった。ネズミの前で死んだりしないように、子どもにの心に死にたい朝を残したりしないように。

ネズミの前で死んでしまった父親を知っている夜彦に、自分を肯定して欲しかった──

普段はフラグ回収きっちりな漫画原作とかばかり観ているので、こういう最後まで余白を残すこの作り方、たくさん考えられて楽しかったです。

まだ1回しか見れていないので、もしかしたら間違っていることを書いているかもしれないのですが、そこはお許しください…!また観て、変なところがあれば修正します!

兎にも角にも、年末年始の余裕があるタイミングで観れてよかったです。

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