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【短編小説】尻尾堂古書店奇譚

 ほこりの匂いのする古本屋は、この町でも数少なくなってきた。
 開いてるのか、開いてないのか。儲かってるのか、儲かってないのか。昔は大学の周りにたくさん店を構えていたんだろうだが、その大学も郊外に移転して、時代の生き残りの古本屋も青色吐息だ。

 「買わないんやったら、帰らんか」

 酒臭い息で、本日第一号の客に毒づく店主。かつては文筆家を夢見ていたんだろうだが、訳あって古本屋を営んでいる、という感じの老人だ。
 店舗だって、大型ダンプがそばを通れば崩れ落ちそうなぐらいな骨董品。
 客は男子高校生。文化系の香り漂う男子は黄ばんだ文庫本に囲まれて、年季の入った椅子に腰かけ真新しい本を捲る。
 
 「ここが落ち着くんです」
 「うちは本を売り買いするところやぞ」

 男子高校生が手にしている本は、売り物ではなく彼の物だった。
 確かに本に囲まれて本を読むと落ち着くという説は立証できよう。学校帰りの男子高校生は店主の声だけに耳傾けて、自分は自分で書の世界に浸っていた。店の奥から古時計の音が響く。不機嫌な店主はぴしゃりと硝子戸を閉めて、本棚にぶら下げていたはたきに手をかけた。だが、店主の姿は久しぶりに顔を見せた孫と時間を潰しているようにも見えた。

 「こんなことするのは漫画の中だけやけどな」
 「ぼくもそう思います。わざとらしくぱたぱたと……」
 「やったら、帰れや」

 親子漫才のようなやり取りに割って入るように、本日二人目の来客者。いかにも褒めれば文学少女というような、腐せば地味なメガネの女子高生だった。とたとたとローファーが三和土を踏む音は乾いていた。

 「犬上っ。本屋さんの邪魔だよっ」
 「因幡は学校から出ても『風紀委員長』なの?」
 「うるさいっ。あ、あの、おじさん。何か面白い本ありませんか?なんか、こう」
 「ねーよ。自分で探さんか」

 店主から軽くあしらわれた因幡は、肩から掛けた通学カバンの肩紐をぎゅっと絞るように握って、さらに歯を食いしばった。

 「その本、面白い?犬上さぁ」

 犬上は黙って頷いた。

 「だったら読んだら貸してよ!犬上が面白いって言うんだから、面白いんだよねっ」
 「買わないんやったら、帰らんか。わしは今から酒を飲むんや」
 「ぼくも帰ります。じゃ、因幡」

 本にしおりを挟んだ犬上は自分のバッグにしまい込み、店主にかるくお辞儀をすると店を後にした。こんなにかわいい女子高生が接点を持とうとしてるんだぞ。感謝しなさいってば!と言いたげな因幡は、代わりに「犬上のばーかっ」と言葉を吐き捨てた。

 文学少女の捨て台詞を聞いていたのは、日に焼けた本たちだけだった。

 ×××××

 あくる日も因幡は尻尾堂古書店に足を運んでいた。
 思惑とは裏腹に犬上の姿はなかった。腹いせに立ち読みしようと、適当に一冊本棚から選んだ本をぱらぱら捲る。『三半規管喪失』というタイトルと表紙の似顔絵に目を奪われていると、しゃがれた声が店の奥からした。

 「お嬢ちゃんや。ほれ」

 本だ。帯封に傷なく、インクの香りもまだまだ芳しい。手触りだって滑らかだし、出来立ての湯気さえも目に浮かぶ。
 店主が因幡に差し出したのは、昨日犬上が読んでいた本だった。
 聞くところによると、因幡がこの店に来る前に読み終えたらしい。そして、そのまま店主に買い取ってもらったとのこと。買取価格は因幡には内緒だが五円だったらしい。

 「あ、ありがとうございます。えーと、おいくらで」
 「負けて五円や。これ以上は負からん」

 古本屋は本を売り買いするところ。間違ってはない。

 「犬上の……ばーか」

 まだまだ真新しい古本を両手で握りしめて、因幡は唇をかみしめた。 


トップ絵はAIの力を借りました。

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