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“大衆は何も考えはしない。心も持ちやしない。”_”Fury”(1936)

ネットの世界で炎上する事例が、後を絶たない。あらゆる角度から、研究・分析が行われているようだが、「出る杭は打たれる」ことに尽きるだろう。問題は、豆腐に鎹よろしく、いまや杭がどこもかしこも生えていて、打っても打ってもキリがない、ということなのだろうが。

人類すべてが滅ぶまで、燎原の火は燃え続けるだろう、と私は思う。


さて、「出る杭は打たれる」精神は、なにも日本独自のものではない、アメリカだってムラ社会があることは、映画「アラバマ物語」などを見れば一目瞭然だろう。

本作は、因習的な村に飛び込んでしまった男の悲劇だ。原題は「Fury」 つまり、怒りのデス・ロードを根は善良な男が、突っ走る。マックス同様、名優スペンサー・トレイシー演じる主人公ジョーがふとしたはずみに、狂気の道を突っ走る。

主人公の男:ジョーは、元々カタギじゃない仕事をしていたようだ。それが、ひとりの女性キャサリン(演:シルヴィア・シドニー)に恋し、見事、更生を誓い、それを達成する。そしてヤクザとつるむ弟たちに諭す。「真人間になれ」と。ガソリンスタンドに勤め続け、ひと財産築き、これで君を迎えられる。
小躍りしつつ彼は車で(野宿しつつ)女を迎えに向かう。

正直者が馬鹿を見る?真夜中、道端でばったり保安官と出くわし、「疑惑」のために収監されたのが、いけなかった。保安官の部下が「床屋」で「容疑者を捕まえた」と口を滑らせたことが、噂の始まり。狭い南部の村の中、たちまち村人たちの間に噂に尾鰭がついて、「真犯人はあいつだ」「保安官は身柄を引き渡すべきだ」と正義心という名の群集心理が燃え上がる。そして暴動。留置所に凸。トレイシーごと焼き討ちする。しばき隊の構図。

早すぎた埋葬から辛くも生き残ったジョーの中から、忘れようとしていた「暗い情念」がこみ上げる。それは、心の中で有り余った力が外にはみ出した激怒。 一度死んだ男は、復讐鬼と化す。

Joe Wilson: The mob doesn't think. It has no mind of its own.

https://www.imdb.com/title/tt0027652/quotes/

mob:暴徒、やじ馬連、(理性的でなく、絶えず意見が変わる)下層民、大衆

剣士アルガスなら「家畜に神はいないッ!」とのたまうところだろうか。
ジョーは、それまでの小綺麗な身なりを捨てて、復讐者に身を落とす。

彼がまず考えたこと、それは「自分が死んでいることにすれば、リンチ罪を適用できる」ということ。実の弟たちの協力を得ながら謀りごとを進める。ここは昔、カタギじゃなかった仕事をしていた頃の、杵柄。
狙うは、街の住人の首。少なくとも村人たちは善良ではない。陰湿で忘れたがる人間たちだ。だから村人同士口裏合わせて「なかったこと」にして、男を一人焼き殺した事実を闇に葬ろうとする。彼らが小人物的で必死で自己中であればあるほど、偽善を攻撃する男・ジョーの執念は、ますます執拗なものとなる。

住民たちが証言の場でだんまりをきめこめば、これを逆手にとり、地方検事の手で、街の住人全員を偽証罪で検挙させる。証拠がない、と反駁すれば犯行現場のニュースフィルムを突きつける。村人のうち何人かは顔バレしてる。全員、喜色満点の悪人ヅラだ。それまでの居直りは何処へやら、被疑者の皆が皆、明日首を吊られるかもしれない恐怖に、メソメソする。
「おそらく奴らの何人かは死刑になるだろう」とジョーはうそぶく。全員死刑、などというヌルい罪苦は与えない。誰かが生き残り、誰かが殺される。それが、村人たちの間に心のしこりとなって、残るは疑心、嫉妬、排斥、村八分。死ぬより辛い目に(村人全員が)遭う。永遠にあの村はおれと同じ、憎悪の煉獄の中におちるだろう。呑んで悦に浸るトレイシー。

それまでワルぶってた弟たちも、良心の呵責から絶叫する「もうやめてくれ!」
ジョー地震も薄々とは気づいている。「激怒」の在り処が、覚束ないことを。それは、根が善良の人間の悲しさ:何度も反芻しなくては、 「ブッ殺す」で頭を埋め尽くさなくては、暗い理性で頭を埋め尽くさなくては、やってられない。

それでも、断罪するほか、自分の行く道はない。そう彼は思っている。


キャサリンだけは、彼がそんなタイプの人間じゃないことを知っている。無理して「悪人」になろうとしていることに、気づいている。
そもそも「死体がなくては」村人たちを訴えられないことに気づいたジョーはやむなく、自筆の手紙に添えて「自分が死んだ証拠」指輪を、法廷に送る。手紙の「とあるクセ」から、キャサリンはジョーが生きている、と見抜く。
そしてジョーの隠れ家を探し出し、キャサリンは喝破する。「死人と一緒にはなれないわ」と。

ジョーは気づかされる、自分が突き動かされていたのは、「ほんものの」激怒とは、まったく違ったものであるということ。その激怒は、外面はさかんに燃え狂っているものの、中核のところには、癒しがたい淋しさの空虚が忽然と作られている激怒。強いられた理不尽に対して処理できなかった感情が、蠢いていただけのものである、ということ。
彼は世の中が急に頼りなくなったような、今までの執念が、ことごとく偽りの土台の上に立っていたことに気がついたような淋しさに、ひしひしと襲われる。それを振り払おうと、夜の街に出てみれば、「やがて自分のために死ぬであろう」村人の顔、顔、顔の残像がつきまとって、離れない・・・。

激しい意志を遂げる強い力は、もはや彼の心のうちには、少しも残ってはいなかった。村人たちに死刑判決が下る一歩手前で「死人だったはずの」ジョーが間に合う、そしてこう告げる。


Joe Wilson: I'll give them a chance that they didn't give me. They will get a legal trial in a legal courtroom. They will have a legal judge and a legal defense. They will get a legal sentence and a legal death.

https://www.imdb.com/title/tt0027652/quotes/

そして、ジョーはシルヴィアと手をつないで、町を去っていく。


ドイツ表現主義を代表する映画監督、フリッツ・ラングは社会の暗い影、そのなかに潜む犯罪、権力への反感、人間と社会への不信感を、その中でもがき戦う人物の狂気と合わせて、みごとに活写した。
本作は、ラングがナチスから逃れるためにアメリカに亡命し(1934年)、ハリウッドで活躍するようになって初めての作品(1936年)。
彼のドイツ時代の作風とシナリオが見事に合わさり、80年後に本作を目撃する僕たちをも慄かせる、高度に昇華された、作品だ。

【スタッフ】監督: フリッツ・ラング、撮影: ジョセフ・ルッテンバーグ、音楽: フランツ・ワックスマン
【キャスト】スペンサー・トレイシー、シルヴィア・シドニー


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