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“15回もジサツしちゃった(テヘペロ”_”Harold and Maude”(1971)

いまだったらA24が配給するだろうが、当時は何を血迷ったか大手メジャー:パラマウントが配給した1971年の映画「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」より。
日本配給元(CIC)も宣伝に頭悩ませたことだろう、音楽を担当したキャット・スティーブンスにクローズアップしたビジュアル、

19歳で19回も自殺にトライしたハロルド君が20歳で巡り合ったすばらしい人生_

というやっつけくさい惹句が涙を誘う。

キャット・スティーブンスの甘ったるい声の中で、少年は首を吊る、衝撃の展開から、映画は始まる。「死ぬ死ぬ詐欺」で構ってちゃんする少年は、困ったちゃんだ。
周りを取り囲む大人は、自身の息子の狂言自殺にも無関心になった母親、軍隊に行かせて立派なオトナに教育しようとする傷痍軍人のネジ飛んだおっさん、その他諸々、もっと困った奴らばかりだ
少年が覗き込んだ葬式の場で、偶々出くわしたおばあちゃんは、70超えてパトカーだのバイクだの借りパクする、更なる困ったさんだ。
まったく、困ったちゃんと困ったさん同士のラブ・ロマンスを、しかしエモーショナルに描いた傑作なのだ、これが。

ハロルド(演:バッド・コート)は大金持ちの家の一人息子。反抗期真っ只中の少年は、しかしその行動のベクトルが異様。死にとりつかれ、他人の葬儀に参列したり、何度も自殺の真似をしたりしている。自殺狂言といってもそこらのメンヘラとは違って、まるで習慣であるかのように、感覚的に言えば5分に1回のペースであるかのようにして、自死?死んだふり?のギリギリ内角を攻める。
すなわち、1回目は前述の通り首吊り。2回目は血みどろ。3回目はドザエモン。4回目は焼死体。5回目はピストル。6回目は腕チョンパ。7回目はジャパニーズ・ハラキリ!

何が悲しいかってこの行為、そりゃあ始めた当初は母親も驚いただろうが、今や「いつものこと」と無関心になってしまっているということ。
例えば3回目のジサツにおいては、母上がプールに顔をつけて浮いている我が子の脇を泳いでいく。もちろん気を止めない。4回目のジサツが、よりにもよって、母親が来客をお招きした最中に敢行するのだが、客間から窓越しに庭の上で人が燃えているのを見て客人はガチでビビるのに対し、母親は「いつものこと」だと澄ました顔。

ジサツを繰り返しているうちに、いつしか深淵をのぞき込んでしまったのか。精神科医とのコンサルティングで彼の異様な内面が描写される。何故か横並びに椅子を並べ、医師とハロルドが互いに互いを見ていないまま話すという、意味深でユーモラスな演出に載せて。

Psychiatrist: Tell me, Harold, how many of these, eh, suicides have you performed?
Harold: An accurate number would be difficult to gauge.
Psychiatrist: Well, just give me a rough estimate.
Harold: A rough estimate? I'd say
[savoring the thought]
Harold: fifteen.
Psychiatrist: Fifteen?
Harold: That's a rough estimate.
Psychiatrist: Were they all done for your mother's benefit?
Harold: No. No, I would not say "benefit."

IMDBから引用

死に憑りつかれたこのユーモラスな少年が、母から誕生日にプレゼントされたスポーティでエレガントな黒のジャガー Eタイプを改造し霊柩車の外観にしてそのまま走らせるのも、勝手に入り込んだ葬式の中でただ一人黄色い傘を差しているおばあちゃんに「これこそ死神なのかもしれない」とでも思ったのか、心惹かれたのも、当然のことかもしれない。
いや、この異様な作品を見ているうちに、まるで、運命であるかのように、私たちはあっさり受け止めてしまう。

モード(演:ローズ・ゴードン、「ローズマリーの赤ちゃん」における不気味な隣人約)はフォード モデルT(Ford Model T)を愛車にしながらも、他方で牧師の車や警官バイクといった他人様の乗用車も都度都度車を借りパクし、スピード狂の恐れ知らずで、おまけに無免許ときた(!?)、保守的なこの町が、まるでサンアンドレアスであるかの様に振舞う、自由奔放なおばあちゃん。
こんなおばあちゃんがチャーミングで、深い人生哲学を説く二面性…いや、自由な精神そのものを体現しているところが、本作の面白いところだ。特に終盤において。

こんな二人が出会って恋をするのだからこそ、デートスポットもいちいち特徴的だ。墓場の真ん中だったり、スクラップ場の真ん中だったり、ドブと化した夕べの海辺だったり。
ちょっと寒い季節、海辺に古いソファを置いて、二人身を寄せ合うハロルドとモード。夕焼けを見て、黄昏を思い描いたのか、不意に悲しみに打たれるモード。ハロルドはモードの手をそっと握ってやる。その時初めて、モードの手首にあるものを発見する瞬間は、本作の編集技術が最も光る瞬間だ。
方や、青空の下、緑の草原で2人が心を通い合わせるシーンも存在する。ハロルドはでんぐり返りし、モードは大声で空に向かって叫ぶ。そして、水辺でハロルドはモードに告げる。「あなたは美しい」と。真っ当に美しく、命が跳ねる瞬間だ。


ハル・アシュビーの巧みな演出に、これが卒業制作のコリン・ヒギンズの脚本が華を添えている。特にモードの語りが好い。
いよいよ死ぬ間際に立たされたモードが、ハロルドの「死に憑りつかれた」衝動から彼を解放するために、優しい言葉で諭すシーンより引用。「生きろ。」という表現だと陳腐になるところ、彼女は、こういう言葉で伝えるのだ。

Maude: A lot of people enjoy being dead. But they are not dead, really. They're just backing away from life. Reach out. Take a chance. Get hurt even. But play as well as you can. Go team, go! Give me an L. Give me an I. Give me a V. Give me an E. L-I-V-E. LIVE! Otherwise, you got nothing to talk about in the locker room.

IMDBから引用

一人残されたハロルドは、初めてほんとうの「死」を知る。悲しみに闇雲に霊柩車を走らせて崖へダイブさせて…彼自身は生きていく。むかし、モードに教えてもらったマンドリンを弾きながら、遠くへと消えていく。


結論、一言でいえばおばあちゃんと少年の恋を描いた本作。「ハウルの動く城」がぶっ刺さった方は、間違いなく本作の異様な世界観にも向いている。編集のリズム、音楽の載せ方が教科書のように美しいので、未見の方はぜひ。余分を排してフラワー・ムーブメントのエッセンスだけを抽出したような本作。「こころが浄化される」のは、間違いないだろう。

本記事サムネイルはCriterion公式サイトから引用


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