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残念なデキゴト

 週に二日しかない訪問入浴がスタッフの体調不良で、一日だけになった。
さすがにこの蒸し暑い毎日、自分の汗臭さで食欲までげんなりしてしまった。わが家の浴室は、介助者がふたり必要なぼくにとっては狭くて「絵に描いた餅」そのものだ。もうすこし広い家に住みたいけれど、いまの暮らしぶりのままで滞納しない自信があっても、管理会社の審査を通らないらしい。公営住宅も高い倍率をくぐり抜けなければならないし、お年玉付き年賀はがきでも二~三年に一度ほど切手シートが当たる程度では、応募はしても幸運を手にしたことはなくて、施設を出てからは文化住宅のお世話になりつづけている。話を紆余曲折させれば、伝説のフォークシンガー「高田渡」さんの背中を追っているみたいで、こういう暮らしぶりに充たされている自分もいる。

 おととい、市場の手づくりの漬け物屋でナスのぬか漬けを買った。なじみの店員に「よく漬かっているか」確かめるまでしたのに、帰宅後、「買ってきたナスの漬け物を切って」としか伝えなかったので、日持ちするように食べる分だけ出してもらうはずが、「一食分だけで、あとはぬかも洗わんでええで」のぼくの言葉に、「買ってきた二本とも切りましたぁ!」と青年ヘルパーの屈託のない返事。さらに、残念なことにぼくの好みよりもずいぶん細切りにされて食卓へお目見えした。物事への執着が薄れはじめると、ボケは進行していくらしい(毎日の物忘れ、勘違い、聞き違いの連続を認知症などと味気ない言葉に置き換えることなく、愛しく想いつづけているうちは、それほど心配しなくてもいいかもしれない)。ボケと書きつづけている間は大丈夫。今夜、生姜をきかせてメカブと納豆のネバネバ丼に乗せていただいた。この食べ方なら、細切りでも悪くはなかった。それにしても、食に関してぐらいは几帳面さを肝に銘じておきたい。

 ここのところ、気持ちの不安定さを拠りどころにして、ヘルパー派遣の事業所の担当コーディネーターに苦手なヘルパーがつづかないようにお願いするようになった。人手不足はよく理解しているし、ぼくが安らげる人は、どこの家へ行っても好感度が高いようだ。裏返せば…~。ということで、適当におつき合いする日もあって、しかたがない。ぼくが言いたい放題を押し通せば、ほかのお宅やスタッフにしわ寄せがいくのも心苦しい。お盆休みということもあって、いつも以上に苦手な人がつづくシフトになってしまった。気持ちはどんより曇り空。

 ヘルパー制度のスタート時から活用しているから、契約している事業所は二か所で収まっている。最近のヘルパー制度を活用したひとり暮らしだと、五か所以上で継ぎはぎしないと体制が組めないらしい。それぞれにカラーが異なるので、なかなかお互いに大変そうだ。けれど、事業所が少ないと、どうしても同じヘルパーが長時間介護にあたることになる場合が多い。朝から夕方だったり、ひと晩だったり、苦手な人と過ごすのはしんどい。それでも、ひとり暮らしを選ぶのは、トイレを我慢しなくてもいい。寝返りや水分補給やこまごまとした日常のあれこれを、待たずにお願いすることができる。それに、順序が逆になるけれど、いつも書いているように、個性的で気の合う人のほうが多い。

 いつも投稿の#には「モジモジ障害者」を入れている。みんなを元気づけなければならないとか、障害を克服しなければならないとか(平たく言うと、できることを増やすためにがんばらなければならないなんて)、一生懸命がしんどくてもひた走る障害者が多いのではないだろうか。最近、本心を書くことにこだわってしまったぼくは、今夜は自分の身勝手な部分をほじくってみることにした。

 「本音を書く」などと口走っているけれど、思いどおりに気持ちを言葉に乗せられないときであっても、ここに揚げさせていただいている投稿内容は、その日その日の素直な、いや、素直でないこともひっくるめて、すべてが「ぼく」にほかならない。

 個人のマイナスの部分を共感できるとしたら、障害なんていう壁を取り除く手がかりを見つけられるかもしれない。

 「弱さへの共感」。とても難解な課題だけれど、語りがいのあるテーマではないだろうか。

 相手を否定したり、攻撃したりするところからは何も生まれない。  

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