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もし…

 サポーター(ヘルパー)さんが食器を洗いに行った途端、鼻の脇が痒くななることがある。呼び戻すのをためらってしまう。
 文章をつくっているとき、入力してもらっているサポーターさんに正確に言葉を伝えようとして、硬直で体の位置が変わって、顔の前のタブレットが見えにくくなる。ほんのすこしだと「まぁいいか…」と、そのままつづける。やけに疲れる。
 シビンをはずしてパンツを上げてもらってから、しばらくしてチョロチョロと濡れてしまうことがある。なにも言わないで、ガマンするときがある。

 ごはんが食べたいとか、トイレに行きたいとか、汗だくになって着替えたいとか、そんなことは、誰にでも遠慮なく伝えられる。
 でも、些細なことだったり、タイミングが悪すぎたりすると、そのままスルーすることも頻繁にある。

 ぼくは、その人をいちばん語っているのは「背中」ではないかと、いつも実感する。食器を洗っていても、洗濯物を干していても、仕事のメールを読んでいても、声をかけやすい背中がある。やさしい表情をした背中がある。
もちろん、その正反対も。

 どこに違いが出てくるのだろうか。
ゆとりかと、考えはじめたころは安易に結論づけようとしていた。
でも、時間に追われて急いでいるときでも、たまたま機嫌の悪い日にあたったとしても、声をかけやすい背中がある。
 そのサポーターさんとのつき合いの長さでもなさそうだ。
それじゃあ、相性などの関係性かというと、気心しれた人にでも遠慮してしまうときがある。
 些細なことほど、気を使ってしまう。

 
 昨夜、ぼくの中の常識が崩れかけそうになった。
「こどものころに、もうすこしマジメにリハビリしていたら、どんな世界が見えていたのだろう…?」
 
 たったいま、ぼくに死が訪れるとする。
自分の生きてきた過程に対しての満足度は、八十五~九十点はあげてもいいのではないだろうか。
 すくなくとも五歳~十歳前後には、どこまでも連続して寝返りを打つことができていた。畳の上で、十五分ぐらいはあぐらでも横座りでもできていた。
 本格的ではないにしても、生活していた施設ではリハビリの時間があって、担当のスタッフさんが試行錯誤していた。
でも、ぼくはしんどいことがイヤだった。どうもないのに、手足に負荷をかけられたりすると「痛い!」と大げさに叫んでいた。

 毎日の生活で「できないこと」がいっぱいあって、たくさんの人と関わることができて、大切な思い出に支えられながらの「いま」があると信じてきた。
 しかも、それはただの思い出にとどまらずに、いまを支えるだけではなく、これからに引き継がれていると信じてきた。
「がんばらないこと」が、ぼくを充実させてくれたと思ってきた。
 
 けれど、がんばっていたら、違う世界が待っていたかもしれないし、何ができて、何ができないで、ぼくの価値は変わらないだろう。

 ある程度の年齢まで、自分でトイレができていたら、食事ができていたら、着替えができていたら、お風呂が入れていたら…、どんな人と出逢っていたのだろうか。何を考えていたのだろうか。

 障害を克服する、できることを増やす、それよりも人と関わり、たくさんの出逢いをつくるほうがずっといいはずだ。
 でも、ひとりの時間がほしいぼくは、サポーターさんの寝息を聞きながら、常夜灯に照らされた天井を眺めながら、「もし…」に想いを馳せていた。

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