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副産物

 ほんの三分ほど前、noteへ投稿する小ネタと出遭った。
それでは、忘れないうちに。

 今夜の泊まりは、ぼくの心と体を知り尽くしているMくんだ。
ぼくの確認用のタブレットとサポーター(お昼と夜をシフトする事業所ではヘルパーではなく、サポーターと総称しているし、介護ではなくサポートというハイカラな言葉を使っている)が入力するパソコンとの接続をはじめ、執筆のためのセッティングをしていたときだった。
 
 できるだけ硬直が起こらないように、体勢を安定させるために膝のウラにクッションをあてがっている。
今夜はいつもより硬直が激しくなりそうだったので、足が突っ張らないように、クッションを高めに入れてもらおうと考えた。

「いつもよりクッションをタコウしてくれるかなぁ」
ぼくがそう言うと、Mくんから意外な言葉が返ってきた。
「タコウって、どういうことですか?」
「高く」することだと伝えると、いつものように要領よくチャッチャと整えてくれた。


 サービス精神の旺盛なぼくは、noteへ投稿するようになって、会話のところでは京都弁と大阪弁を混ぜこぜにして、すこしオーバー目に書いている。
 けっこうな本数を投稿するうちに、書くことに引き寄せられて日常会話でも、おふくろやおばあちゃんが話していた言葉に近づいていっているみたいだ。

 説明好きのぼくがちょっとつけ加えると、生家は呉服屋を営んでいたので、問屋さんなどとの関係からか、おふくろもおばあちゃんも、商いから暮らしの場面に移っても、丹波と京都の言葉が混じりあっていた。
同じ投稿でも、おふくろやおばあちゃんが登場する子どものころの思い出は、できるだけ正確に再現したいので、たとえば「おまめさん」とか「おあげさん」のように食べものに「さん」と敬称をつけたり、たくあんは「おこうこ」と呼んでいた。
もちろん、お客さんを送るときは「ほんまにおおきに」だった。

 実は、さっきから心の中がモゾモゾして仕方がない。
辛抱できなくなったので、自分に素直にもうひとつ。
「さん」づけしていたのは、食べものばかりではなかった。
いちばん先に思い出したのは「ウンコさん」だった。
入れるものと出すものをいっしょにしてはなどと、品のよさが垣間見えてしまった。
 こうしていらないことまで話したり、書いたりしてしまうのは「丹波的」なのか、「京都的」なのか、それともぼくの人間性なのか、いったいどこで培われたのだろうか。


 二十年ほどさかのぼるだろうか。
 地下鉄のなんば駅に、バリバリ大阪弁で話す駅員さんがいた。
「お客さん、どこまで行かれまっか?」
「今日はええ天気だっしゃろ、わしら地下で働いとるさかい、ええ加減なこと言うとるけど…」
 気さくな駅員さんだった。
四十代半ばぐらいに見えただろうか。
異動されたのだろうか。
しばらくして、楽しい会話ができなくなってしまった。

 いつごろか、同年代に見える駅員さんに訊ねてみたことがある。
「以前、バリバリの大阪弁を話す楽しい駅員さんがいはったけど、どうしてはるんですかねぇ…?」
気のよさそうな駅員さんの応えは、こんな感じだった。
「地下鉄は規模が大きいですし、どの駅員のことなのか、お客さんが名前を覚えておられたとしても、どうされているかわかりませんねぇ」
ありふれた言葉のあとに、こうつけ加えられた。
「最近はマニュアル通りに接客しないと、クレームがくることがあるんです。難しい世の中になりました。お客さんのようにおっしゃられる方もおられるんですがね…」


 東京の下町育ちのヘルパーさんに、来てもらっていたことがあった。
 天下一品のジャイアンツファンだった。
 冷蔵庫の残りものを使って、おまかせメニューをお願いすると、ぼくの想像をこえる一品が並んだ。
とても残念なことに、彼女が話していたチャキチャキの江戸言葉を再現する記憶力を手放してしまった。
 それにしても、その歯切れのよさは爽快感バツグンだった。


 書くこととサービス精神の旺盛さは、ぼくに意外な副産物をプレゼントしてくれたのかもしれない。


 「タコウして」がすこしの意識もなく出たことが、とってもうれしかった。

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