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ブログ開設にあたって
ぼくは、立ったことがない。もちろん、歩いたこともないし、ましてや、走ったことなどあるはずもない。
なぜ、小さな足の裏だけで重い体を支えていられるのか、感覚的に想像がつかない。歩いたり、走ったりとなると、片足で支えたり、ときには宙に浮いた身体を着地しなければならない。
本当にわからない。
障害のない人は、ぼくの手足が意識とは正反対に動く感覚はわからないと思う。全身が硬直するって、どんな感じなのだろうと首をかしげたくなるにちがいない。
思うように動かない手足があって、トイレや食事やお風呂といったふつうの人が当たり前にできることに、ぼくにはサポートが必要だ。ひとりでできないことは鬱陶しいときもあるけれど、その結果、たくさんの人たちと出逢うことができた。できないことは100%プラスではないけれど、世間の人たちが感じているほどマイナスなわけでもない。
コロナと向きあわなければならない時代がはじまった。
たとえば、ぼくには生きかたに深く関わるところまで、影響をあたえたミュージシャンがいる。彼は七十歳をむかえ、ひょっとしたら、それほど長く唄うことができないかもしれない。ぼくの気持ちはゆれる。ライブを聴きに行くべきかどうか・・・。
たとえば、ぼくの介護にたずさわるヘルパーの一人は、マスクをつけることがしんどいという。それでも、どうしてもつけてほしいと伝えるべきかどうか・・・。
たとえば、几帳面にコロナ対策をやりたい自分がいる。一方で、神経質に見られたくないもう一人の自分がいる。
コロナはぼくの日常を変質させた。電動車いすで、あれほど路地を楽しんでいたのに、旨い店に惹かれていたのに、当然のように長屋の一室で毎日を過ごすようになった。
でも、そんなことはどうでもいい。いちばん、ぼくを苦しめたのは、先に書き並べたような、どちらも正解で、どちらも間違っている場面に頻繁に出逢うようになったことだった。正反対の考えが意識の中に同居して、逆方向へとベクトルする。気分はまるでジェットコースターのように、急上昇と急降下をくりかえした。しんどかった。こころが張り裂けそうだった。
やがて、ぼくをすこしづつ日常へ連れ戻してくれたのは、友人のようなヘルパーであり、ヘルパーのような友人だった。
彼と目を合わせたくなかった。暗闇にどっぷりと浸かっている内面を見透かされる予感がしたからだ。ひたすら、テレビに視線を向けていた。すると、内面を撃ち抜くような一言が放たれた。
「さっきから、テレビを観てるフリしてるでしょ!」
あまりにも、ズボシだった。もう逃げることはできなかった。あらいざらい、矛盾と葛藤する思いを語り尽くした。
24時間サポートしてもらっている人たちとの関係は、制度上の「支援者」と「利用者」というひとつの側面だけでは語り尽くせない。おたがいの相性もあれば、その日の体調や生活と仕事で抱えている問題に影響されたりもする。
そんな中で、折りあったり、ぶつかりあったり、かけひきが起こったりする。とても人間くさいつながりに他ならない。
言葉が話せなかったり、うまく気持ちを伝えられなくて大きな声を出したり、走りだしたりする障害の人たちだって、一人ひとりがうまく生きるためのかけひきをしている。ぼくは、それも人間力ではないかと思っている。
大便に一時間はかかる。洋服を着替えるだけでも三十分はかかる。車イスの乗り降り、お風呂、食事、すべてサポートする人がいて、それは行われる。この文章を書くことにしても、ぼくの言葉を聴き取り、第三者がパソコンに入力する。それだけではない。ひらがな、カタカナ、漢字の選択と誤字脱字の確認も二人で協力しなければならない。「ああ、めんどくさぁ~」という気持ちになる。
それでも、やっぱり障害者と健常者の「わからないスペース」を埋めていきたいし、障害の何割かを肯定できる本人や家族が増えてほしいと思う。
このブログも、日によってぼくの精神状態のように、浮き沈みが起こるだろう。もし、立ち止まってもらえる人がいれば、そんなところも楽しんでほしい。
最後に、ひと言だけつけ加えておきたいことがある。
ぼくは生まれつきの脳性マヒという障害だけど、おなじ環境で育った兄弟でも、一人ひとりの振る舞いや性格は共通点があったとしても、どこか違うほうが自然だろう。
世の中の人たちに自分を表現しようとするとき、ひとつのカテゴリーとして捉えられてしまわないか、そこに不安という言葉よりも、もっと強いものを感じてしまう。
このブログに登場するエピソードやさまざまな感情は、どこまでもぼく自身のものでしかない。ぼくはぼくでしかない。
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