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教室にて

 隣の席のK子が、ぼくの肩をポンポンとたたいた。ハッとして顔を上げると、M先生が目の前に立っていた。
満面の笑顔だった。
 ぼくとバッチリ眼を合わせると、笑顔のままで教壇へ戻って行った。
 恥ずかしかった。
 居眠りしていたぼくに、注意の一言もなかった。
 
 それから、ぼくはM先生に頭が上がらなくなった。
 クラス担任として持ってもらったことはなかったけれど、国語の授業で来られたり、廊下ですれ違ったりするだけで、背中がこそばゆくなった。
 言葉では伝わらない大切なものがあることを、M先生から教わった。

 社会のT先生は、豪快そのものの人だった。
 隣の教室で授業をしていても、太くてよく通るその声は目の前の先生と混線しそうになるほどだった。
 夏がやって来ると、昔ながらの白いトレパンとチヂミのシャツに、首にはタオルをかけて、汗ブルブルになりながら授業を進めていた。
 
 T先生といえば、脱線が得意だった。
 授業前のあいさつが終わると、いきなりぼくに「おまえ、夏やけど、タムシになってへんか!」などと、ツカミのビーンボールを投げられたことを思い出す。
 戦後間もないころに思春期をむかえたT先生は、学校へ行っても授業には出ず、友だちと壁新聞をつくる毎日だったらしい。
家は裕福ではなかったけれど、たま~に学校を早めに抜け出して映画を観に行くのが楽しみだったようだ。
「大変な苦労をしていたやつも多かったけど、とにかく自由やったなぁ」などと、丸ごと脱線で終わりのチャイムが鳴ったこともあった。

 担任のI先生は涙もろかった。
 三十代半ばの男の先生だったけれど、アニメが大好きでハイジやムーミンのハンカチをポケットから出しては、前の日の感動を思い出して目頭を押さえるのが月曜の昼休みのお約束だった。

 ダウン症のKは、ユカイなヤツだった。
 カタコトを話すKに、ぼくと悪友たちはちょっとエッチな言葉を教えた。
 すると、ぼくたちのリクエストにこたえるときだけ、Kはとぼけた「悪い顔」になった。
 先生たちには見せない「悪い顔」だった。

 女友だちでいちばん仲の良かったNは、サバサバした性格をしていた。
 蒸し暑い日の午後、授業の合間に唐突に近づいてきて「なぁなぁ、こんな日は太ももがムレてかなんわぁ」と言い残して、すぐに自分の席へ戻って行った。
 たしかに、足の付け根までの補装具を履いていて、その言葉も納得だった。
 席へ戻った彼女と眼が合った。
 照れているぼくに、してやったりの表情を返してくれた。
 
 いつもぼくをうならせたのは、彼女の作文だった。
 どんなテーマを書いても、ありふれた表現で淡々と進められているのに、読む側に伝わる説得力は抜群だった。
 年賀状のやり取りもいつの間にか途絶え、音信不通のまま二十年以上が経過していた。
 引っ越しの片づけで卒業アルバムを見ていたら、Nからのメッセージがこぼれ落ちてきた。
 「離ればなれになっても同じ空の下やでぇ」と書かれていた。
 なつかしくなって、恩師に連絡をとり、電話番号を聞く。
 さっそく、かけてみると、四十年前と変わらない早口で舌足らずな声が届いてきた。
 家族を持って、幸せに暮らしているようだった。

 障害児教育のあり方については、いろいろな考えかたがある。
 ぼく自身は、障害のあるなしに関わらず、同じ教室で育ちあう大切さを強く想う。
 卒業後、社会へ出て思いのままにならない現実に直面して、挫折してしまった友人を数多く見てきた。
 一方で、ぼくの暮らす「まち」では四十年以上前から、「わけない教育」が進められていて、健常者との距離間の絶妙さを実感する場面によく出会う。
 このまちで育った健常者に訊ねても、幼いころから障害を持った友だちが「そばにいる」ことの当たり前さを語る人が多い。
 相手を知らないことが、不必要な生きにくさや隔たりを生んでしまうのではないだろうか。
 ぼく自身も養護学校を卒業した当初は、「正義」だけをたたきこまれたことを恨んだこともあった。
 誰にとっても生きやすい世の中に変えるためには、「知らないこと」を解消する努力が必要ではないだろうか。

 けれど、養護学校で出逢ったたくさんの経験や、一人ひとりから受けた影響は大きいし、大切な財産になっている。

 きっと、どこで育っても時間の平等さがあるので、経験の蓄積量や受ける影響のボリュームに、個人差はそれほどないのかもしれない。
 一人ひとりの内面によって、経験や影響の中身はさまざまだろう。
 目先にとらわれることなく、社会のあり方まで見通したコンセンサスが必要になってくるのではないだろうか。

 ちなみに、ぼくは分数の加減乗除の計算すら忘れてしまった。
 それでも、日常に差し支えなく暮らしている。

 他人の力を借りることで、たくさんのつながりができる。
 かといって、つながりの多さがしんどいときもある。
 一人ひとりの内面によって、「ひとり」がリラックスできる場合もあるだろう。

 矛盾を受け容れながら生きることは、ほんとうにむずかしい。

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