タイムリミット
真夜中から明け方にかけての豪雨がうそのように上がって、いつもの訪問入浴の人たちが帰ったあと、今日のお昼のヘルパーのTくんと作業所へ顔を出すことにした。
Tくんは、ぼくと同じようにサポート(介護)を受けながらひとり暮らしをつづけるVくんに相当な思い入れが深くて、わが家での会話の半分は彼の体調などの日常のアレコレといっていいほどだ。
うまく人間関係をつくれないところに自分をオーバーラップさせているのかもしれないし、年齢以上に急激に進んでいく体力の衰えと「できなくなっていくこと」へのVくん自身の焦りやもどかしさを真摯に受け止めようとしているのかもしれない。
そんなことは抜きにして、ただ相性が合うだけのことなのかもしれない。
いずれにしても、ぼくにはふたりともとても不器用に見える。
とにかく、TくんはしばらくVくんのサポートに入っていないらしくて、とても様子を心配しているようだった。
最近のぼくは重役出勤どころか、腰の具合を気遣っておよそ「二時間」という電動車いすに乗っていられるタイムリミットを考慮して、お天気と体調を見はからいながらの立ち寄りで許してもらっている。
もうすこし詳しく書くと、ぼくは在宅中心の生活スタイルになるまでは、作業所の行き帰りから買いものやあらゆる息抜きの数々を、いつもこの町のどこかで過ごしていた。
「ひとり」が得意で「みんな」が苦手なぼくを理解して、「やっさんは町へ出てこそ」と言ってもらえるようになっていた。
そんなわけで、今朝もちょっと顔を出すだけにして、お昼のパンを買いに遠出するつもりだった。
引っ越してから、ずいぶんご無沙汰になっていた。
白身魚のフライをはさんだ「フィッシュバーガー」を食べたくなったのだった。
ところが、町の食堂の「から揚げ定食」みたいなお馴染みの大爆笑に見舞われて、作業所を出るに出られなくなってしまったのだった。
ぼくとTくんがドアを開けると、たまにしか顔を見せないのに、みんなが当たりまえのようににぎやかに迎えてくれた。
あいさつ代わりに「ちょっと買いものついでに、覗いただけやしなぁ」と予防線を張りながら一人ひとりに近況を訊ねていると、奥の事務机からSくんが立ち上がってぼくを見るなり、マスクを押さえて笑いを噛みころした。
「マスケさんと今日もペアルックになってる」
「マスケさん」とはVくんの相性で、誰かが彼の名前を発音しづらくて、呼びはじめたのがみんなに広がったのだった。
まもなくVくんがトイレを済ませて現れた。
うちの作業所に車いすはぼくとVくんだけだけれど、ふたりともサイズも暑苦しさも半端ない。
そんなぼくらが同じピンクのTシャツを着て並ぶと、大爆笑にならないわけがない。
バカ騒ぎにベーカリーに仕事中だったふたりも引き寄せられて、さらに爆笑のボリュームはパワーアップされた。
なぜか、おとといもぼくらは「ペアルック」だった。
すくなくとも、ぼくは何枚かのTシャツを着替えているというのに…(笑)。
しばらく騒ぎがおさまるまで、帰るに帰れなくなってしまった。
みんなの空気が落ち着くと、ぼくはSくんと来週末のオンライン集会の申し込みの打ちあわせをして、その傍らでTくんはVくんと談笑をしていた。
Tくんはいつもよりさらにリラックスして、友だち百パーセントだった。
もちろん、Vくんも。
十五分ほどで帰るつもりが、一時間近く居座っていたのではないだろうか。
困ったもので食べることにかかわると、ぼくはブレーキが効かなくなってしまう。
フィッシュバーガーを買いに行くとなると、タイムリミットの二時間を三十分ほどオーバーする計算になる。
だけど、ぼくの気持ちはフィッシュバーガーにたっぷり入ったタルタルソースでいっぱいになりそうだった。
ここひと月ほどでは最高にアタマを働かせて、信号に引っかからないルートを想定しながら、まっしぐらにあの店へ向かった。
すこし考えすぎて想定よりも早く幹線道路へ出てしまったものの、ほぼ描いたとおりにあの店の前にたどり着いた。
あれだけガッカリしたのは、久しぶりだった。
店先にシャッターが降ろされていたのではなかった。
定休は火曜日だと知っていた。
店先の貼り紙には「注文のみの販売」と、書かれていたのだった。
コロナ禍の前、食べ歩きをしていたころも、ぼくだけの「アルアル」によくぶつかっていた。
「今週から木曜定休に変更します」とか、「本日臨時休業」など、何度ヘルパーさんとため息をついたことだろうか。
顔を見合わせて苦笑いしたことだろうか。
今日は、ため息も苦笑いもすることなくわが家へ急いだ。
なんとか腰はもってくれた。
Tくんは落ち着きを忘れないで、手順よく車いすからベッドへ寝かせてくれた。
冷凍ごはんとかぼちゃスープとお漬物で、疲れたわりに元気が戻った。
泊まりのヘルパーさんが来るまで、Vくんの話題から社会ネタまでいつも以上に盛りあがった夕方だった。
なぜだろうか。
ぼくはどれだけ不運を味わっても、自分の「好きなもの」、「こだわるもの」になるほど、事前の確認や予習することに抵抗を感じてしまう。
明日は、リラックスできるマクラを探しに行く予定。
マクラこそ、つかってみないとわからない。
そういえば、この秋から一年を費やす予定で、新しい車いすをオーダーする。
二~三カ月して不都合が見つかることもあるので、急ぐことができない。
それに、六年が補助対象の期間だから、老いていく将来を描きながらの試行錯誤になる。
行き当たりばったりのおもしろさと、腰を据えて試行錯誤するおもしろさをうまくギアチェンジしながら、毎日を重ねていきたいと思う。
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