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伝道

 加川良さんには、「伝道」というぼくにとっての名曲がある。

 途中からこどもたちのバックコーラスが入り、やがて男女入り混じった声が良さんの唄を呑み込んでいく。

 それは、調和を意識しているのではない。
一人ひとりが言葉を感じ取り、思い思いにリフレインを重ねてゆく。

 悲しい時にゃ 悲しみなさい
 気にすることじゃ ありません
 あなたの だいじな 命に
 かかわることも あるまいし

 若者の感情をぶつけるような唄声もあれば、控えめに、それでも想いを伝えようとする繊細な唄声も聴こえてくる。
ただ、一人ひとりがそれぞれの想いを言葉に込めて唄っている。
 そして、最後に良さんの「どうも~、どうも~」という感謝の言葉が入り、フェードアウトしてゆく。

 なぜ、良さんが「伝道」という曲名をつけたのか、ぼくにはわからなかった。
 一方で、ぼくは思い思いの唄声に自由という果てしなくゆるやかな心地よく呼吸するための法則を感じていた。
 この唄と出逢ったころは、そんな七面倒くさいことなど考えるはずもなかった。
 少々、音程がはずれていても、唄い方や声の大きさはバラバラでも、気持ちよく聴こえるのはなぜか、不思議で仕方がなかった。

 あらためて、歌詞を読み返してみた。
 
 一人ひとりが生まれ育つ背景の違いをこえて、自分を受け容れ、個人を受け容れることを伝えたかったのではないだろうか。

 おたがいをオッサンと呼びあっていた中学教師だった大親友は、新しいクラスを持つたびに、最初のホームルームで「伝道」を唄ったらしい。

 饒舌であっても、普段の世間話では声を荒げたことがなかった彼が、一度だけ顔を赤らめて飛びかかって来られそうな迫力を感じた瞬間があった。
 それは、年配の障害を持った友人の戦争体験を話していたときだった。

 地面に座ることしかできなかった彼が、軍事教練のたびに友だちの前に引きずり出され、兵隊から「役立たず」や「非国民」と罵倒されながら、竹やりで突つかれたり、鉄靴で踏みつけられたりしたという体験だった。

 ぼくは、その体験を聴いてからしばらく経って湧いてきた自分自身への問いかけと、徐々に明らかになった弱さを素直に話した。
 もし、ぼくが兵隊の立場だったら、目の前の座ることしかできない少年に対して、同じことをくり返したのではないか、という内容だった。
 他人の視線が気になったり、世の中の空気に流されたりしやすいぼくには、顔を背けたくなる情景ばかりが次々によぎって行った。

 中学校教師をしていたオッサンの「オマエ、アホか」と低く抑えた言葉には、やりきれなさと憤りが激しく揺らめいていた。
 さらに、オッサンはつづけた。
「オレの眼を見て、ようそんなことが言えるなぁ」
 ぼくは、なにも返せなかった。

 オッサンは生活の一部だった良さんが白血病で逝ってしまったあと、同じ病であとを追って逝ってしまった。

 まっすぐだったオッサンの想いは痛いほど伝わってくるけれど、いまでもぼくが兵隊だったら…、と考えると、地面に座ることしかできない少年を思いやる感情が湧いたかどうか、否定的な方向にしか気持ちが動いていこうとしない。
 ぼくだけの弱さなのだろうか。

 

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