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記憶を拾う(三才~五才)

タンスにつかまり立ちをして、洋服をひっぱり出していた。
それでも、𠮟られることはなかった。

泥棒が入って、大騒ぎになった。
ずいぶん、お金を盗まれたようだった。

二つ違いの兄ちゃんは、ヤン坊マー坊の天気予報が大好きで、テーマソングが流れはじめると、おかあちゃんが呼びに行っていた。

十二才離れた兄ちゃんは、ひとりで立てないぼくと相撲を取ってくれた。
ときどき負けてくれた。
立てないぼくが勝てるはずがなかったけれど。

家族で海水浴へ行った。
下の兄ちゃんの水中メガネにチューインガムをぬりつけて、ひどく𠮟られた。

マッサージの先生の家で、「ルリ」という白ネコのシッポをつかんで引っかかれてしまった。
青い眼をしていた。
ネコがキライになった。

おとうちゃんが京都へ着物を仕入れに行くと、いつも「ばんからかきもち」というお醬油味のカタイおせんべいを買ってきた。
「おみやげ」と言って渡してくれたけど、ぼくの口には大きすぎてかじりにくかった。
「五色豆」も中のお豆さんが青臭くて、おいしいと思ったことがなかった。

真っ赤な小型のレコードプレーヤーで、「赤い靴」という童謡をよく聴いていた。
「異人さんに連れられて行っちゃった」という歌詞を「イイじいさん」だと思いこんでいて、さみしいメロディーにこどもなりのチグハグさを感じていた。

大江山へ連れて行ってもらったとき、シート代わりの座布団のチャックでツメが割れてしまった。赤い血を見てびっくりした。

おじいちゃんとおばあちゃんといっしょに乳母車に乗って、ずいぶん遠くの親戚の家に遊びに行った。
先を歩くおじいちゃんのハゲ頭に汗が光っていた。
イチジクをおみやげにもらって帰った。
匂いと味が印象的だった。

おじいちゃんはよく追いかけごっこをして遊んでくれた。
六畳二間の端から端まで、ぼくは必死で「イモムシごろごろ」で追いかけたけど、着物の裾をつかむことができなかった。
おじいちゃんは「やーい、やーいデッカンショ」と言って、いつもはやし立てていた。

おばあちゃんは「ヤッチャンがお嫁さんもらうまで死なれへん」と、ぼくの顔をじっと見つめることがあった。

おとうちゃんとおかあちゃんのキゲンのいい夜は、屋台の焼きそばをごちそうしてもらった。
いつも仲良くしていてほしかった。

夜遅くに、紅茶を飲ませてもらったことがあった。
すごく甘くて、最高だった。

下の兄ちゃんの学研のフロクの説明書の意味がわからなくて、くやしくて大泣きをした。

高校野球で、銚子商業の校歌がカッコよかった。
甲子園の決勝のゲームセットのサイレンが鳴ると、いつも泣いていた。

おばあちゃんが座敷をホウキで掃くと、こまかいホコリが舞いあがってキラキラしていた。
お天気のいい春の朝だった。

縁側の軒下で、アシナガバチがゆらゆらと飛んでいた。
UFOみたいだった。

七つ違いの姉ちゃんと部屋にいたとき、庭からスズメバチが飛びこんできた。
ものすごい羽音だった。
姉ちゃんはすぐに逃げ出した。
スズメバチは、ひとりになった寝ているぼくの上を何度も旋回していた。
コワくて固まってしまったことが、幸いにつながったのかもしれなかった。
おかあちゃんが店から走ってきた。
そのあとは憶えていない。

商店街に檻に入れられたクマがやってきたことがあった。
トラがきたこともあった。

書き残すかどうか、最後まで迷ったことがある。
一行すすめてしまったから、あとに引けなくなった。

ある日、何かの拍子に姉ちゃんの足の臭いを嗅いでしまったことがあった。
なかなかのものだった。
姉ちゃんのために書き足すと、そのあと何度かよく似た場面に遭遇したけど、ふつうに大丈夫だった。

筋書きもなく、その瞬間だけがハッキリと写真のように切り取られていたり、結末を思い出せなかったりすることがずいぶん増えた。
それでも、ぼくの意識の奥深くで、一コマ一コマが言葉にできない「何か」としてつむがれているような気がする。

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