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2023年のふりかえり

こんばんは。久々にnoteを開きました。
今年はなかなか投稿できていなかった(書けなかった)のですが、この時期くらいはなにか書いてみようと思います。タイトル通りに今回は2023年を振り返ろうと思います。


なにもないスタート

去年の夏の官庁訪問で敗れ去ったため(この話はn回目)、今年は「絶対に○○をしたい」とか「○○を達成するんだ」というような夢や目標のない状態で始まった。確か今年のテーマは「捲土重来」だったと思う。去年までの負け続ける人生は嫌だと思い、何か勝利(結果)を得たいという気持ちがあった。

しかし、目標の無いなかで、勝利条件のないなかで勝利をすることなど不可能だ。いったい、何が勝利なのか。どうすれば勝てるのか。

混乱したまま3月までを過ごした。それ以後は、そういった気持ちが薄れていった感じがある。そんなことなどどうでもよくなった。

退職した

3月で、それまで勤めていた放課後等デイサービスを退職した。価値観としても、地理的にも自分の世界を広げるために、これ以上地元で働くのはやめようと思ったのだ。当然、これまで一緒に働いてくださった仲間には頭が上がらない。

とりあえず教師になった

はじめに述べたが、私の今年の最も大きな変化は「教師になった(特別支援学校)」ということだ。ここで詳しく理由を述べないが、概要としては

  • パートナーに強く誘われた

  • そろそろ授業をしてみたくなった

  • 共生社会形成の実現(みんな仲良く遊ぶ)

  • 年収を上げたい

  • なんとなく

という感じだ。それについて述べたものを以下に挙げておく。

4月に入職し、2学期まで終えた感想としては「案外教師も面白いな」というところだ。上記の三つの記事のうちのどれかで、私は教師になることが怖いという旨のことを書いた覚えがあるが、そんな不安感よりも、楽しい思いのほうが強く残っている。

教師になることへの恐怖は、なんといっても長時間労働だった。2回の教育実習を通して嫌というほど夜遅くまで残ったし、帰宅してからも授業の準備に追われた。追われたというよりは、考えても考えてもいい案が思いつかずに焦っていく感じだった。時間が過ぎ、体は休ませてくれと訴えてくるが、それを不安感が許さなかった。とにかく辛かった。

このような理由から教師になることには強い抵抗があった。
教師になることは「地獄の釜を開くこと」だと思っていた。

しかし、実際にやってみると、毎日楽しかった。もちろん、朝は5時起きで、寝ようと思うころには日付が変わっている日々だったが、毎日「この子たちは何をやらかしてくれるのだろうか」と楽しみだった。あまり詳しく述べることはできないが、私のクラスの4人の子どもたちがかわいくて仕方ない。

彼ら彼女らが楽しく生活し、授業を受けてくれるよう全力を尽くした。まさに「子どものため」である。うーん、セルフブラック(笑)。

教師としての自分

とにかく焦ってばかりだった。放デイでの勤務経験があるとはいえ、免許外である特別支援学校で働いているのである。知識も技術も何もない。放デイ時代に手に入れた、余裕をもって子どもと接することができなくなっていた。「この一時間の授業で何とかしなければ」「周りの先生の足を引っ張ってはいけない」と焦り、余裕がなくなっていた。「子どものため」といいながら、結局自分のためになっていた。

余裕の無さは子どもにも伝わり、クラスの子どもから「先生、どうしたの?」と心配されるほどである。

周りの先生には「まだ若いから」「まだ一年目だから仕方ない」「初めて出会う子どもとの関係づくりは誰でも難しい」と声をかけてもらったが、自分にはそれでは物足りない。もっとできるようになりたい。自分は大学院に行き社会人経験もある28歳である。22歳の新任の先生とはわけが違う。
立ち居振る舞い、仕事の速さ、余裕…。精神的にも技術的にも未熟で、出せる知識もなかった。

それが悔しくて仕方なかった。年齢は関係ないが、自分よりも年下の先生たちがとてもうまい指導をしているのを見て、自分の至らなさを痛感した。いったい今までの経験はなんだったのか。

もっと早く成長しなければ。そう思った一年だった。

教師2年目はどうするのか

次年度も特別支援学校(現任校)での講師として働かせてほしいとお願いしている。なぜならば、それは面白いからだ。子どもたちの成長は他の校種よりはゆっくりであると思う。だからこそ、小さな変化に気付けたときの喜びは大きい。服の前後を間違えずに着替えただけで、一時間教室の中で過ごせただけで、授業中に「やりたい!」といって手を挙げてくれるだけで、給食を自分からたべてくれただけで、ともに喜びあえる。

未経験で何も知らないからこそ、経験を積んでいき、ものにしたいと思う。

仕事納めの日、教頭先生から「自分のスタイルを見つけなさい」と声をかけていただいた。私が普段同じ学級で組んでいるのが、再任用の先生と主事(学部の取りまとめをする教諭)の経験のある先生という、経験も実力も豊かな先生方である。ついつい私は指導方法を真似するのだが、真似だけですべてうまくいくわけではない。うまく「まねぶ」ことができず悩むことがあった。
でも、教頭先生からのメッセージは「あなたにはあなたの生き方がある。穏やかな雰囲気があるのだから、それを前面に出して子どもに接してほしい」ということだった。

振り返ると、放デイ時代の自分の持ち味は穏やかに子どもに接することだったと思っている。それを再び出せたら、きっとうまくいくことも増えるだろう。

2024年のテーマ

ここまでつらつらと書きなぐってきたが、最後に2024年のテーマを書き残したい。2023年は「捲土重来」で巻き返したい、やり返したいという思いが強かった。しかし、その思考で何も得られなかった。「○○しなければならない」という焦りにはまってしまうだけだった。

どうせ大きな夢や目標はない。ならば肩の力を抜いて、目の前のことに取り組めば、何か得られるものもあるかもしれない。

というわけで、2024年のテーマは無しである。何もない。

でもどこかで、「教員一人ひとりを幸せに」を覚えていられたら良いかもしれない。

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