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やめてみた。7、わかっている風

このテーマは当初エッセイには入っていなかった。
最近、周囲でこのテーマの出来事が起こっている。忘れていたけどこれ大事!書かなきゃ!と追加した。
実はこのテーマ、私にとっては全く見えていなかった世界を知ることができたテーマでもある。

これは8ヶ月間のリーダーシッププログラムで気づくことができた。
このプログラムは、自己変容を探求して6~7年経過していたときに受講した。
同じ受講者は全員1~2年以内に学び始めた人たち。
私は自分の人生を実験台として自己変容にトライし、その結果をお仕事であるエグゼクティブコーチングに活かしていた。コーチとして10年が経過していた。他の受講者は人事や教育に携わっている人はいたけれど、別の職業の人たちもいた。
なぜこのプログラムを受けようと思ったかというと、私はこの自己変容の世界をわかっているという制限やジャッジをかけずに、自分の可能性を拡大し続けられるかをチャレンジしたかった。
なぜこのチャレンジをしようと思ったかというと、どんなお客様でも変容サポートができるように、自分の限界を作りたくなかった。
わかっている、とジャッジをした瞬間、自分の枠を作り制限してしまうから。

しかし、そのつもりで受講していても、やはり「私はわかる」と思ってしまう。
わからない点があっても講師に質問し、その回答で「なるほど。そういうことね」とわかる。
わかっていない人にサポートしてもらうことも抵抗があった。切れない刀で切られている感覚になる。
どうしてもいやだな、と心が開けなくなる。そうなると学びがなくなるのもわかっているのに。安くない金額を出して私は何を学びにきているのか、と戸惑っていた。
これこそがまさにチャレンジだった。

最近、経営者のお客様がこんなことを言っていた。「部下があなたのコーチングを受ける間隔をもっとあけていい。もう私はできているので、大丈夫です。と言ってきたが、私が決めたので継続してくださいと伝えました。彼の業績があまり振るわないのはこういう自己判断だと思うので。」と。
発達段階は数年かけてらせん状にスパイラルアップしていく。
世界に数%だけの人が見ている世界が存在する上の段階がある。
例えるなら3階に住んでいる人には4階の景色は見たことがないので知らないし、3階でも十分きれいな景色が見えるので満足している。しかも4階以上があるとは知らない。知っていたとしても行く必要性を感じない。3階でも景色はよく見えるし充分だと思ってしまう。
こういった現象が起こる。そういった場合は、3階の住人として3階の景色を味わい尽くすことが必要ではあるから無理に引き上げる必要はない。それも必要な経験。
ただ、3階が最上階だと思うとそれは異なる。もちろん上階に行くことが是ではないが。
「わかっている」これは自分の枠内でのわかっている範囲になるので、まず枠があるということ。枠があるということは、枠外が存在するということ。つまり、枠を境に違いがあって制限を設けているということ。
また、自分の正しさや価値観という名のもとに、それ以外のことは間違っている、私とは価値観が違う、となってしまう。それはあくまでもあなたが枠内で作りあげただけの価値観。それは狭い範囲。
例えるなら、動物園で産まれ育った動物が、動物園内が世界の全てと認識してずっと安心して昼寝しているようなもの。

私の場合は、4階に行きたいと意識では思っているのに、無意識では3階に留まろうとしていた。
これは変化への怖れだったと思う。
自分はまだまだわかっていない世界がある、と認めたくないのだ。
認めてしまったら仕事ができなくなる、周りからも長年やっている割には大したことない奴と思われる。まさにメンタルモデルだ。

リーダーシッププログラムが2回目を終えたとき、受講者をサポートしてくれている卒業生からグループメッセンジャーにあるメッセージが入った。

「もしAmyがこのグループ全体の可能性を制限しているとしたら?」と。

当時の私が最初に読んだ印象は、ぽかん?だった。意味がよくわからなかった。
自分を制限していることは分かっていた。しかし、グループ全体の可能性までも制限している?そういう変な影響力を出しているとは思ってもみなかった。

意味としては、こういうことだった。
私が講師と質疑応答のやりとりをする。
それを受講者全員が自分事のように聴く。
私はすぐ「わかりました」と理解をする。
受講者たちはわからない。そうなると「自分はAmyほどわかっていない」と自分に制限をかけ、発言を躊躇し、自己否定する。
そのシステムを私が作っているとしたら?ということだった。

今思えば、最高のメッセージである。
自分だけでは気づけない視点だった。
自分の可能性を制限しているだけではなく、周りの可能性も制限してしまうということ。
みんながいてくれたからこそ私がそうなる姿が見えた。

じゃあわかっている風をやめるには、どんな態度でいたらいいか?
それはまだわからなかった。
頭では、全ての事から学ぶ(コーチャブルチャレンジ)ために受講していると思っていたが、実際にそういう存在になるにはまだまだだった。

そんなときに、お仕事で気づく機会がやってきた。

お客様とのコーチングの最中、お客様が首から下げているネームプレートの名前の一文字が目に飛び込んできた。その文字は「優」だった。
その瞬間、気づいた。
この方のギフト(天賦の才能)は「ズバ抜けた優しさ」だと。
それをご本人に伝えた。とても腹落ちしていた。
その方は、人を羨み、自己確信が持てなかったのに、それ以降、別人のように自信を持ち、迷いが消えた。発言がすっかりかわり、執行役員を自ら降り新規プロジェクトリーダーの役職無の社員になった。自らの降格人事は会社初だったが、ロールモデルとなり周囲に大きな影響力を及ぼした。

ネームプレートの一文字だけが強調されているように目に飛び込み、教えてくれただけ。
私がアドバイスするのではなく、必要なメッセージは教えてくれる、やってくる。
おかげで私も全ての事から学ぶという意味が腹落ちした。
そして本プログラムの最後にユーミンの「やさしさに包まれたなら」が流れた。

目にうつる全てのことはメッセージ。

その通りだ。
しかも、これは本当に意味深く、「やさしさに包まれたなら」というタイトル通り、こっちも大事。
このやさしさに包まれた感覚になっているときに、全てがメッセージとして入ってくる。
この感覚は愛のエネルギーと同じで、宇宙は愛のエネルギーと同調する。
そうなると宇宙を味方にできる。全てが教えてくれる。
つまりお仕事も「わかっている風の私」が何かする必要はなく、ただ優しさに包まれた感覚でいたらいい。
ちゃんと必要なメッセージはやってくる。それをお伝えするだけ。
頭でわかっている、から体感にかわった。と同時にわかっている風はやめることができた。

最近のお仕事では数名のお客様にこのテーマが出てきた。
ということは、これも私へのメッセージだと思ったら、「あ、エッセイにこの項目入れてNoteに書こうってことだ」と教えてくれた。

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