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やめてみた。1、人づきあい・SNS

人とのご縁はとても大事にしてきた。
お誘いを頂いたときはできる限りお断りしないように心がけていた。
そんな私がほとんどの人づきあいをやめてみた。
人生でこんな出来事が自分に起こるなんて全く想像していなかった。
その代わりに、かけがえのない大きなことを得た。
いままでどのくらいの人とおつきあいをしていたか、改めて考えてみた。
まず、もう何年も毎週2~3日くらいは夜の食事の予定が入っていた。しかも毎回違う人と。
人からは、Amyに聞けば誰かとつながりそう、つなげてくれそうと見えていたらしい。
確かに、複数のコミュニティを持ち、自分主催でいくつか会を開いていたし、他の人が主催の会にも参加していた。おかげでたくさんの人と出会えた。
そして、お知らせはやってきた。
それらを全てやめてしまう出来事が起きた。

そのお知らせは、ある個人セッションを受けた時、講師を通じてやってきた。
その講師と会話をするのはほぼ初めてだった。
それなのに「Amyのエネルギーは動かず動じず本質だけを受け入れる寺小屋のような存在。」と第一声で言われた。
そして「大勢の人を均等に配置していて、誰かを特別扱いするのでもなく、あまねく人にエネルギーを注いでいる。それはもうやめないといけない。心当たりはありますか。」と聞かれた。
もちろん、ありました。笑
だってそれが良いことだと思ってご縁を大切にしてきたのだから・・・。
独立してからは、ご紹介のみでお仕事を頂いてきたこともあって、更にご縁を大切にしようと心がけた。
実際に、お仕事や大切な人との出会いもたくさんあったし。
だから衝撃的だった。しかも良かれと思って信じていたことがよくなかったなんて。
この誰とでも、というところがエネルギーを分散してしまっている要因だった。
そして、「ここ2-3年のキーパーソンは5人くらい。その5人くらいからエネルギーが巡っていく」と言われた。
なんというメッセージ!そして驚くほどのまさかの少人数!
例えば10人にエネルギーを同じだけ注いでしまったら単純にキーパーソンへのエネルギーは半分になってしまう。それだけではなく、その5人にも気づけなくなるそう。
最初は驚きもあったが、聞いているうちになんだか妙にしっくりきた。
確かに分散し過ぎて本当に大切な人へエネルギーを注力しきれていなかった。
ちょうど大切な人を大切にしたい、と思っていた。
だからそのほうがいいな、そうしよう!と思った。

そうしよう!と決めると、現実世界に現れてくるから面白い。
早速次々と、やめてみる出来事が自然にやってきた。
地方在住の友人が、東京に来ると食事に誘ってくれていた。その方から連絡がきた。それはその方が主催したイベントへのご招待の連絡だった。
その日はちょうど別の用事が入っていた。イベントなら私一人が行かなくても大丈夫かなと思った。嘘をつく必要もなく、断れた。
他の人に対してもコロナもあり、お断りができていった。

Facebookもやめた。つき合わない人の最新情報を見ても仕方がないし、私自身の自己PRや仕事PRをつきあわない人たちに伝えてもしょーもない。
大切な人とは個別に連絡すればいいだけ。
最初はフォローをやめてみたけど、そうするとほとんど広告ばかりがあがってくるようになり時間がもったいないのでやめた。つい前まではFacebookなしで生きていたし。

全体的にはいい感じにはなったけど、一方で孤独感と暇を持て余す感覚がやってきた。
このまま一人になるのではないか。果たしてこの方向で良いのか?とか、この先どうなってしまうのか全く想像がつかなかった。先の見えない初めての道を一人で歩いているような感覚だった。
よくよく考えてみると、私は暇を埋めるために人と会っていたんだと気づいた。
ずっとつき合いたいと特に思っていない人、というかそれすら何も考えていなかった人と時間を埋めても仕方がない。
時間が空いているなら空けておけばいいし、空いていることは別に悪いことでもなんでもない。むしろ今ならとても大事だとわかる。
と思えたら、孤独感は消え、一人時間も、大切な人たちとの時間も心地よい。
自分の中にスペースができた。

人づきあいを実際に減らしていく2カ月くらい前から準備は始まっていたと後から気づいた。
ワークで人づきあいをやめていく怖れを疑似体験していた。
そのワークは友達全員から総スカンをくらい、孤独死をするという最悪のストーリーを想定するもの。
その恐れや悲しみの感情と向き合った。そのときは一瞬ゾッとした。
でも、もしそうなったとしたら、それは自分で計画してきた人生。そうなってもいい。と思えた。しかし、そんなことあるわけないな。笑
とも思えた。このときから準備が始まっていたんだ。
今は転校した気分。他の国に引っ越した気分。また新たな人生が始まる感覚。
一生つきあわないつもりもない。今はお休み中。
この先は誰とまたご縁があるか分からない。
ご縁のある人だといつでも気づけるようにしているだけ。
ご縁とはいい人と思える人ばかりではない。それも承知の上で楽しむ。

そして幼少期の頃の私は今の私に近い。
みんなと遊びたいときは遊び、一人で遊びたいときは一人で遊ぶ子だった。
つまり、本来の自分はそんな感じ。良い人でも悪い人でもない。自分に正直に生きていたいだけ。

最後に・・・どんなかけがえのないことがやってきたか。
キーパーソンの5人くらいという人たちがわかるようになった。
魂レベルで繋がっている感覚が持てるようになった。
以降、魂友(たまとも)と呼んでいる。
たまともとは、同じ世界を見ているし、いま居るところが同じ感覚もある。
たまともとは、本来の私でいられる。

先日、瞑想しているときにこんなイメージがわいた。
私の目の前にたまともたちがいて、彼らから扇状に桜が咲いていく姿が見えた。それがどんどん波紋のように広がり、野外ライブのような大勢の人たちの桜が満開になって広がった。花咲爺さんっぽい。
これが私のエネルギーの注ぎ方だとハッキリわかった。
ちゃんと出会えてよかった。エネルギーの分散をやめたからだと思う。
だからこのまま大切にしていきたい。
そしてまたどこかの時代でも、星でも巡り合えるのだと思う。
ご縁のある人たちと。

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