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エゴロック(short ver.)のMVが最高なわけ(つまりlong ver.は...)


※お気持ちnoteです、細かいところには目をつぶってください

エゴロックという曲を知っていますか?
彗星のごとくボカロシーンに現れ、短い尺の中にセンスを押し込んだ楽曲を立て続けに発表し、数多くのボカロファンを虜にしてきた、すりぃというアーティストが書いた曲です。

僕はこの曲が結構好きです。無論曲自体もいいのですが、このshort ver.の映像がその良さを引き出しています。

なぜここまで惹かれるのか僕自身不思議に思ったので、要素毎に分解して詳しく見ていきたいと思います。

1. 歌詞

まずは歌詞をよく見てみます

"腑抜けた心に I need you 噂のアルカロイド"

アルカロイドは風邪薬のコデインや鎮痛剤のモルヒネにも含まれる成分です。また一定量を超えると生物に対して毒性を示すこともあります。
痛みを遮断する鎮痛剤、他人に吐く毒、風邪薬の乱用。いろんな解釈ができます。

アルカロイドは毒にも薬にもなりうるというその不安定な両面性から見て、絶妙な言葉選びだと言えるでしょう。

"あだ名はネットの髑髏(しゃれこうべ) かき鳴らせディストーション"

ネットをあまりにも長時間やっていると自分の実存が揺らぐような感覚に襲われます。まさに歩くしゃれこうべのような状態です。陳腐なテーマではありますが「しゃれこうべ」という奇抜な言葉によって一連の主張に新奇性が生まれています。

"付け焼き刃の侍が 乱れ打つ散弾銃"
"悲劇の歴史で踊ろうか"
"ほらテンテコへンテコ舞い舞(はぁぁぁ)"

どこかで自分が本当に力を手にしていない、という自意識が見え隠れしていていいですね。俺の知識は付け焼刃、めくらめっぽう無計画、哀れなもんだろう?と問いかけられているような気になります。

"僕の心はエゴロック 斜め45度ナンセンス"
"ノウハウ砕いてマンネリを明日にバイバイバイ"

曲のタイトルにもなっている「エゴロック」というワードが何よりも輝いています。表現方法であるロックをエゴが完全に食ってしまい、自意識の檻に囚われつつも惰性で何とかやっていっているような感じがして、陶酔感と絶望がまじりあった気持ちになります。

ノウハウを砕く、も秀逸な表現です。自己表現であるはずのロックがノウハウという方法論によって還元されてしまうという没個性の恐怖を感じます。

"媚(こ)びへつらうその姿 吐き気の空模様"
"シニカルな視線の雨 今日も両目を塞ぐふり"
"1.2.3. ふぁっきゅ"

最後はストレートな暴言で締めていて好感が持てますね。ふぁっきゅふぁっきゅ。

この「吐き気の空模様」という言葉が彼自身に向けられているのか、それとも彼が所属するシーン全体に向けられているのかは不明ですが、どちらにしてもとても味わい深い歌詞です。

2. 映像

僕は作曲理論をちゃんとやっていないので歌詞以外の音楽的要素への言及は避けます。なのでここからは映像に焦点を当てます。

曲を聴くという体験において僕はこのMVは映像もいい仕事をしていると思います。

8 エゴロック/ すりぃ feat.鏡音レン【OFFICIAL】 - YouTube

「下手な映像」自分で予防線張っちゃっているのが、自意識過剰さを完璧に演出しています。いい。

8 エゴロック/ すりぃ feat.鏡音レン【OFFICIAL】 - YouTube (1)

「なんの意味のない映像」自分で言っちゃってていい。作り手が意味ないって言ったら考察のやりようがない、最強のシニシズムです。

8 エゴロック/ すりぃ feat.鏡音レン【OFFICIAL】 - YouTube (2)

いかにも投げやりに書いた感じの手書き、これ狙ってやっているとしたら(ぜったいそう)天才でしょ!テキストについてるありがちな歪みエフェクトもすごい好きです。

そしてここからサビなんですが

8 エゴロック/ すりぃ feat.鏡音レン【OFFICIAL】 - YouTube (3)


!?!?!

いきなり高クオリティのモーションでビビる。前半で手を抜いているからこそめっちゃ映える。

狙ってインディー感を出しているのか、シンプルに怠惰だったのかわかりませんが(絶対狙ってると思ってる)、商業映像では許されないある種「詰めの甘さ」が全面に出ていて最高です。このいい意味でへらへらとした態度が歌詞とマッチしており、ぼくはこのMVが好きでした。

3. まとめ

「商業主義はダサい」と吠えつつも、それにどこかで妥協している自分に対して向けられたこじれた自己愛こそがこの曲の魅力でした。その痛々しさにも近いヒリ付きが、ある種「詰め」の甘い同人映像と組み合わさることで、他にないシナジーを生み出していました。
この痛々しさは作者たちの実力不足故の物では決してなく、ネットに蔓延するシニカルな態度をポップなセンスで作品に昇華した創造性の結晶だと思います。

4. 本当に言いたかったこと

ここまで読んでくれた人ならわかると思いますが、僕がついこの間発表されたlong ver.ではなく、short ver.の話をし続けているのは理由があります。僕はlong ver.についている映像が、この曲そのものの魅力を十二分にくみ取れていないと感じているからです。

すでに僕以外の人が言っていますが、この映像ははっきり言ってダサいです。

エゴロックという曲が格闘していた商業主義とエゴのせめぎ合いは鳴りを潜め、曲自体が揶揄していた「吐き気」の対象に完全に同化しています。

確かに映像はナンセンスですが、そこにはエゴの痕跡は全くなくプロ意識に近い積極性があります。つまり完全な道化と化しているわけです。

僕はさっきから、積極的な無意味さとうわべだけのウケを狙ったマーケティングに反発を示していますが、それすらも分かってやっているとしたらこれの作り手は相当性格が悪いと思います。

この部分に関しては、瀬畑黒氏が純度の高い悪口を書いているので、みなさんご一読ください。

僕は悪いと思ったものに関して真剣に議論をするほどメンタルが強くありません。ただ、エゴロックという曲が連綿と続くインディvs.商業主義という二項対立の歴史の1ページの中で、煮え切らない終焉を迎えようとしていることを悲しく思います。

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