私はヲタクだったからエヴァの感想を語らざるを得ないんだ(ネタばれあり)

シン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきました。

私は、地元の高校を出るまでは、田舎で特に娯楽もなく育っていたのですが、そのような中で、再放送のエヴァのアニメを見て、とても引き込まれた記憶を今でも持っています。

そこからはビデオ屋さんでアニメと旧劇場版を借りて、モヤモヤした終わり方に納得できず、漫画を買い続け、結局漫画でも謎は解けず、エヴァンゲリオン2という、かなりコアなヲタク向けのゲームを買って謎にチャレンジしてみたり、一時期確実にこの世界にのめり込んでいました。

オトナになり、新劇場版が出てからは昔ほどの熱烈さはないけれど、それでも原作者が、新しく着地するために、ファンに着地を見せてあげるためにわざわざ作ってくれた新劇場版を少し遅れて負い続けて、そしてついに、その長い旅が終わると言われているのです。見ないわけにはいかないのです。少年のころの私は、確実にエヴァンゲリオンをみて、複雑なティーンの気持ちに共感し、人格形成の一助にしていたのですから。

同時に、私は書かなくてはならないと思うのです。この作品は、間違いなく、ヲタク同士で意見を交わし合って考察するという楽しみ方のブームの火付け役だったのだから。ヲタクに解釈を委ね、考える楽しさをくれたのだから。稚拙でもいい、ヲタクの深さなどどうでもいい。それでも何かを書くことが、私にとっての区切りでもあり、この作品への感謝だと思うから。

以下から、あまり大げさに語らないようにしますが、作品のネタバレを含む内容を書いてしまうかもしれませんので嫌な方は、ご遠慮お願い致します。なお、パンフレットはこれを書いた後に読みます。














1 圧倒的な絵からくる情報量

まず最初に、見ていて思ったのが、この作品劇場で見ると情報量がすっごく多い。

序盤のマリのパリ市街戦。真っ赤な鉄塔一つの書き込みにも深みを感じた。マリがエヴァ8号機に乗って戦うシーンはマリ本人がセリフで言っていたように、人間の可動域をオーバーしているのでぱっと見の視覚情報だけで置いていかれたりする。今どういう姿勢?みたいなことが起きる。

しかし、それはすぐに何となく把握できる。敵が爆発四散していくな枯れが描かれていることで、視聴者は圧倒的な迫力と結果だけは把握できる。こういう、語られないけど、絵の情報で説明するというのがとても多かった。今作は前作からもそうであったが、圧倒的に造語が多い。言葉で聞いただけでは何のことかわからないことも正直ある。しかし、絵がものすごくぬるぬる動いていくので、何が起こっているかはみりゃあ分かるのだ。これは本当に見ごたえがあった。

特に、アヤナミレイが、町で過ごすシーンはその最たるもので、本編の中の大して長くもない尺で、アヤナミが、大切なものを学んでいくのが、絵の中の情報や、アヤナミの表情から予想がつくのだ。観客は明確に彩られていく感情にいやでも共感させられるし、だからこそ、あのシーンでは心を痛める。

芸術度が単純に高いだけではなく、絵の説明機能を余すことなく利用し、観客にぎりぎりまで伝えたいという思いが伝わってくるようでした。

また、これはシン、に限ることではないのですが、エヴァは音楽のエモい入れ方を本当にわかっている。そもそも、絶望的なシーンでクラシックを流すという手法は洋画などではエヴァ以前から使われていましたが、日本においてこの使い方を浸透させたのはエヴァだったように思います。(この文化はFFがラスボスの荘厳さを出すためにコーラス曲を入れたりしたことなど以後の日本作品の多くに影響を与えているのではないかと思っています。)それほどまでにエヴァにおいて、音楽とは大事な要素の一つなのです。今作も、序盤陽動からの挟撃が発覚したシーンは、空間が割れる演出と音楽の入りがベストすぎてビビりました。工夫の一つ一つ、すべての面白さに全く妥協がない。

2 頭が下がるほどのヲタクへの目配せ

ヲタクというのは、本当にめんどくさい生き物で、シン・エヴァンゲリオンが、広がり切った風呂敷を無理やりにまとめる側面を持つ作品だということは理解しているものの、「エヴァらしさ」がないとモヤモヤするし、全体の整合性が合わない部分があると、ん?と思ってしまうし、保管されていない情報があると腑に落ちないものである。

しかし、今作は、そういっためんどくさいヲタクに、よく付き合っていただいたと思う。

本作からはエヴァ感があふれ出ていた。本当にエヴァを見に来たという体験感がすごい。シンジは毎回何があってもティーンが共感できるような悩みを抱えてふさぎ込んでいるし、空っぽになったアヤナミを超スピードで成長させて人間の心を学び始めた状態に戻すし、アスカは強がって自分を偽り続けてるし、マリはいつもマリ。特にシンジの葛藤は、常に共感できてしまうし、何なら、過去に自分が感じ取ったシンジの葛藤を、今見るとさらに深く理解でき、当時の答え合わせとフラッシュバックが同時に来る。この悩みを共感させるのがエヴァだし、それをすんなり解決させずに手に届きそうなところで取り上げるのも「エヴァ」だった。なんであんなに優しく笑うアヤナミをそんな風にできるんだよ・・・

作品全体の謎、に関しては正直私の新劇場版の復習が足りていない感じもするが、人類保管計画については難とか情人に分かるればるまで言語化してくれていたし、散々引っ張て来た、槍の事とか初号機の中にユイがいた意味とか。マリが何者であるのか、とか要所要所で、今まで放置していた謎について、言及してくれていたように思う(理解できたとまでは言えませんが)

今回、ぼやかされていたが、大体ファンの予想通りだったと思われる、ゲンドウの動機と心情、そして彼をシンジが止めるという最終決戦。これはまあ、予想がついていたとはいえ、その分長めに尺で語ってくれたので良かった。何よりも逃げ続けているのはゲンドウで、自分の中に知識を詰め込んでいればいいのが楽だったみたいな話はドキッと来るものがありますからね。

ラスボスの初号機対13号機、ここで、まず最初に精神世界のふわふわした中での戦闘にならないのがよかった。最初に戦いが始まった市街地戦から最終決戦が始まるというのは、本当にエモい。エヴァの戦闘は市街地なんだよなあ。これはコードギアスの最終話でランスロットと紅蓮が翼を捨て、序盤をほうふつとさせるローラー立体軌道の地上戦で戦ったのに通じるヲタクに配慮されたエモさだった。その後、これがただの親子喧嘩だと見せつけるかのようにエヴァがミサトの部屋で殴り合ってたのはさすがに面白かったけど。

また、最後ということで、キャラクター全員に救いがあったのもよかった。大人になったトウジ・ケンスケのアフターが見られたのもよかったし。まさかまさかの渚カヲルに救いがあったのもよかった。ようやく救われるんだね。といった感じ。加持やミサトは散ってしまったけど、彼らは子供という希望を残していたし、二人が望む結果だったからね。

カヲルが渚という苗字であったこと、ヒロインがみんな波であること、浜辺で待つ、シンジが碇であること、こういう言葉遊びもニヤッと来てしまうところがありましたね。

あと、ここでNEON GENESISを出してくるのはずるいとしか言いようがない。

3 極上の舞台装置、真希波・マリ・イラストリアス

新劇場版が製作されるの当たり、ヲタクがざわついていたのはマリの存在であろう。

原作には存在しない新しい存在。明らかに、この作品を終わらせるために、仕組まれた舞台装置だということは明らかであった。しかし、彼女は、演者坂本真綾さんの熱演もあり、最終的には舞台装置として扱うにはおこがましい、魅力的なキャラクターになっていた。

マリは、実は今作で初めてシンジに名前を名乗るなど、シンジとの接点は非常に少ない。しかし、最終的には序列使徒、人間と知識を愛する「イスカリオテのマリア」として、シンジとともに歩む道を進む。この結末は、腑に落ちなさを感じさせてもいいのだが、意外とそうはならなかった。新劇場版を通じてマリは本当によく戦ったし、メインキャラをよく導いてくれた。常に魅力的な振る舞いをしたし、絶対に死なない感があふれていた。本当に不思議な魅力を持たせたのは、お話だけではなく、随所に出てくる鼻歌や、浮世離れした演技のせいだったかもしれない。いつの間にか、私の中では、マリは、シンジの未来の未届け役となっても違和感がなかった。

単なる舞台装置を実質3作品でよくぞここまで印象付けたなと感服した。こういうところもキャラクターを活かしきる面白さを妥協しなかったからなせる業なのでしょう。

4 終わりに

鑑賞後の感想を書きなぐる記事なので、とりあえず上記3つ以外にパッと書きたいことを思いつけなかったのでここでいったん閉めようと思う。

何よりもハッピーエンドで良かった。エヴァを終わらせていただき本当にありがとうという気持ちです。

同時に、もうよくわからない、どういう結末かわからないエヴァはもうないと思うと寂しいですが、それは贅沢すぎる悩みなのかもしれません、人によっては20~30年も楽しめたコンテンツだったでしょう。それが終わる。過去になるというのは寂しいです。しかし、終わりを迎えてこそ、新しいモノにつながる側面はあるかと思います。このエヴァという作品を通じて、人格形成された人たち、これからされる人たちもいるでしょう。そのみんなのためにこの結論は作られたのですから、我々は感謝して受け入れるしかありません。

鑑賞の帰り、周りのティーンと思しき方々は、よくわからんという感想を言い合って、解きに議論をしていたり、解説してあげたりしていました。これが本当に「エヴァ」だなあ、と。これが終わりではなく、これから「エヴァ」が始まる人たちもいるんだろうな。そういう人たちはうらやましいです。どうか、末永く、この作品が愛されますように。

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