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埋め立てられた川と橋があった場所(油堀川その3)
油堀川はこれが最終回です。
富岡橋があった場所から隅田川寄りに進みます。ちょっと古地図を見ていただくと中央下に富岡橋とあります。(現存しない橋です。)そこから西に向かって出てくる旧油堀川上の橋は2つ、千鳥橋と下之橋です。
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今の地図です。水路がだいぶ無くなっているのがわかります。
歩いた道の途中に川がありました。大島川西支川です。前回の記事にも大島川東支川が出てきました。大島川という名称はかつての呼び名で、1965年の河川法改正により大横川に統一されました。ですが支川は昔のまま名前が変わっていません。大島川西支川は、大横川と仙台堀川をむすぶ水路です。
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大島橋西支川に架かる元木橋です。北側にはスカイツリーが見えています。
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この橋を渡ったところに福住ランプ前交差点があります。このあたりに、油堀に架けられていた千鳥橋があったと思われます。
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油堀川から少し横道に外れますが、この横断歩道を渡ってみました。道幅が広いので、元木橋のもう片方の欄干はこの青い柵です。そして隣り合うように緑橋の欄干があります。
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ここからまた少しルートを変更し佐賀一丁目のほうに歩きました。永代通りに近い方向です。ほんのちょっと懐かしい場所を訪れました。
昔ここには村林ビルという昭和初年に建てられたビルがあって、テレビドラマのロケによく使われていました。私は2007年に訪れて写真を撮っていました(が、今と携帯カメラの画質が違いすぎてちょっと使えません)。今は建て替えられてマンションになっています。Googleマップのストリートビューは2017年までその建物です。建物の前にはこんな案内板が出ています。
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このビルと同じ区画の裏にかつて食糧ビルディングがありましたが、2002年に解体されています。
さて軌道修正。高速道路の下に向かいます。次の場所は下之橋。隅田川との合流点手前に架けられていた橋です。おそらくこの辺りと思われます。
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橋の跡地らしき名残りのようなものがなくて寂しい限りです。隅田川大橋を渡ります。
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歩道はありますがこの橋が建設された主な目的は高速道路です。完成は1979年10月です。その建設過程がわかるような表示を探すのも面白いです。
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橋の途中に石碑があります。真ん中には以下のように書かれています。
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隅田川大橋は、高速道路(九号線)と、都道四七五号線が重なった、珍しい新しい橋である。
箱崎町は、古くは大名屋敷のならぶ、隅田川三角州のひとつであったが、維新後には最初の日本銀行が建てられた地であり、また倉庫や住宅地でもあった。現在は、箱崎川が埋立てられ、高速道路のインターチェンジと、成田空港に行くエアーターミナルが設けられた。街もまたビルやマンションの立ちならぶ、交通量の多いところとなって、昔の俤(おもかげ)はない。
対岸の深川は、社寺の多い街として発展し、以前は木場でも有名であった。わが国最初のセメント工場跡も近い。
昭和五十四年(一九七九年)十月に完成したこの橋は、京浜・京葉地帯を結ぶ湾岸道路に通じ、隅田川十五橋の中では、形も役割も特異な橋となることであろう。
昭和五十九年三月 東京都
ここからは油堀関係のおまけ。高速道路の高架橋沿線を歩きながら遭遇した場所です。
まずは亀堀公園。この周辺は木場に移転される前の元木場で材木置き場だったことから、貯木と搬送のための水路が整備されていました。ここには亀堀という水路がありましたが、水路が使用されなくなって埋め立られ公園になりました。(この案内板、割と最近設置されたものですね。)
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ということはこの辺が丸太橋跡?
その先の大島川西支川からまた分かれている「中の堀川」近くの児童遊園です。かつて「豊島橋」が架けられていた場所が埋立てられて公園になっているそうです。
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豊島橋の歴史に「このベンチは豊島橋の記憶を残すため、橋の鋼材の一部を使用しています」と書かれてあるように、ベンチの両脇に親柱と思われる部分が使用されています。ベンチは2個あって、これと向い合せになるように公園の中にもう1つあります。
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大島川西支川の松永橋。この先は仙台堀川です。
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橋のたもとに置かれているモニュメント。
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以下のように説明があります。
平成8年まであった旧松永橋には、戦争の傷跡である弾痕が残っていました。このモニュメントは、橋の鋼材の一部を使ったものです。古い橋の鋼材を使って過去を表し、新しい鋼材によって現在と未来への情熱と希望を創造したものです。
こちらは仙台堀川に架けられた清川橋。この橋の先に清澄公園があります。
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清川橋より仙台堀川を眺めたところ。隣には清澄橋が見えます。
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見出し写真は中の堀川で遭遇した鳥さん。Googleレンズで調べたらアオサギらしいです。
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