『無理を無理として認めること』

あるいは「あきらめること」

息子氏と近所にできた回転ずしチェーンに週一くらいでランチ食いに行ってる。

そしてバイト募集の張り紙を見て

「できるかな?」という
「できないわけでもないとおもうんだけれど」と私はつづけていう

「あなた、ユニフォームが着られないわ」

「あ?!」


そろそろ14歳息子氏
先天眼瞼下垂(手術済)
先天弱視(矯正完了)


…自閉症スペクトラム。

不登校

主な理由

制服が苦手。
>自分が着用するだけでなく周りの人間が同じ制服でいるもしくは体操服でいるというのを見たくない(恐怖感)

以上です

制服がなければ学校に登校することは可能です
>特に支援級在籍だし

制服がなければ。は自分が着用しないでよければではなくて

全員が「制服ではない世界であれば」なので小学校だったら可能だったことがなぜ

中学校ではできないのでしょうか?

大問題として
『着替える』のに『苦手感』をもっているんだけれど。

本人ファッション大好きなので
着替えは自分でできるしコーデも実はできる。

でも「これを着なさい」っていわれたときに納得ができないっていうめんどくさいものをもっている

まぁこだわりって言ったら実は息子氏「それくらいしかないんだけれど」

いやぁバイトとかできたらいいとおもわないでもないんだけれどもさ?
それでお金を稼ぐことができて自信が付いてさ?
仕事上で叱られたりしても「お金もらえるし!」ってツヨツヨメンタルでいけるんだったらいくらでも「働けや」って思うのだけれど

そういうものでもないじゃん?

つまり「普通にバイト」っていう概念を最初からあきらめてほしい

と、ボクは思っている
(ついでに特別児童手当が成人までいただけるのであればそれが彼の報酬なわけだし、時給千円くらいで毎月コンスタントに三万円稼ぐの難しくない?)

そもそも特別児童手当をもらっているって普通に「障害児」だし。

今月、とうとう精神障害福祉手帳を申請しました。

知的障害のない自閉症児

めっちゃめんどくさwww
ってなるけどボクは日常的に彼が普通なので普通に暮らしている。

将来自立して働いてとか結婚してとかそういうものをそもそも
最初から考えてないからだと思うし

なんなら「生きていてほしい」っていうだけなので学校にいかないくらいどうでもいい
学校に行ってメンタル壊して死ぬとかやってられないでしょ?
そのためには「死なないことだけ考える」でいいじゃん?

そもそも生きていることですら無理筋でいきていて「くれる」のだけれど

わかってんのかなぁってたまにぼんやり思う

え?息子氏にではないよ?
知的能力が高そうで、小学校に通えなくなってしまったお子さんの保護者さんのつぶやきをみていると「あぁいつか普通のラインにのってくれることだけを願ってる」んだなっておもうわけですよ

それが長じて「どうしてこうなった」になるケースはまだ見ていないので
(たぶん強度行動障害とかっていう単語も知らないだろう)

できないことをあきらめていないから
不登校児の保護者は大変なんだろうなとしか思えない
まぁASD児の保護者もみんな大変そうなんだけれど

ボクはこいつが「生きていてくれたら最高」っていうのがあるので
ぶっちゃけ

\細かいことは気にしない/


元気で生きていたらおかーさんの実力だよ(自分に対しても他人に対しても)

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