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日本から18000km離れた地で飲む日本茶の味

 「身体にしみわたる…」ただの一杯の日本茶だったが、全身にカテキンが行き渡った。先日、私はエスコバルにある「日亜荘」という日系介護老人ホームにある用事で訪問した。そこでもらった日本茶を飲んで感動していた。なんてうまいんや!

 私はアルゼンチン生活では南米原産のマテ茶をよく飲むが、日本のお茶を茶葉から飲むことは、まず、ない。そのお茶はしっかりと茶葉で出されていて、最後の一滴まで日本だった。

 お茶を出してくれたのは、入居者のおばあちゃんとおじいちゃん。見た目は完全に日本人だけど、日本語は喋ることができない。バリバリのスペイン語で訪れた私たちを温かく歓迎してくれた。

 施設の居間では日本のNHKのテレビが流れていた。入居者の方の中には日本語をしゃべられる方もいらっしゃる。川と海の境目にはおそらく淡水と海水の混ざるポイントがある。そんな風に日本とアルゼンチンが混ざりあったような、不思議で、ただ、とても居心地のよい場所だった。

 「南米への日系移民の歴史は教科書からすっぽり抜けている」何かの本で読んだワンフレーズ。日本にいる何人の日本人が「アルゼンチン」と聞いて、日系移民を思い浮かべるだろうか。私自身、派遣先がアルゼンチンと聞いた時、サッカー、タンゴ、牛肉などの言葉は浮かんだが、日系移民の歴史は恥ずかしながらほぼ知らなかった。

 日本人が初めて移民としてアルゼンチンの地を踏みしめたのは1886年。(細かくいえば、それ以前の1597年に奴隷として日本人がアルゼンチンに渡っているという記録があるようだ)1900代には多くの日本人がアルゼンチンに渡った。

 当時、こちらに来た移民一世の方々の話では、「差別があった」「石を投げられた」など、当初の日本人の印象はよいものではなかったという。その後、移民一世の方々の勤勉な働きぶり、血のにじむような努力により、「正直でねばり強い働きぶり」「アルゼンチンの発展に最も貢献してきたグループ」と評価されるようになり、今、日本人・日系のイメージはとてもよい。

 昨年、こちらに派遣されてすぐのころ、週末にパン屋で買い物をした際に「何人か?」と聞かれた。「日本人です」というと、店員さんはそれだけで喜んでくれて、帰り際「日本語でグラシアスは何ていうの?」と聞かれ、答えると、最後に「アリガトウ!」と言われた。慣れない生活で疲れた身体に染みわたる言葉だった。この国では日本人に好意的に接してくれる人がとても多いと感じる。

 日系移民の歴史、今もこちらで暮らす日系の方々、そして美味しいお茶のことをもっとたくさんの人に知って欲しいなぁと思った。

 そして、これは自分自身、もっと知るべき歴史だと思う。アルゼンチンにいる間にもっと色んな人の話を聴いて、学びたい。

Comparados con los esfuerzos de los inmigrantes japoneses, mis esfuerzos actuales ni siquiera se acercan.
(日系移民の方々の努力に比べれば、今の私の努力は足元にも及ばない)

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