大切にされていないな、と感じたら(日記)
有給を取ることが好きで、
何でもない日に休むことがある
ひとりでも楽しく生きていられることを目指して一人旅に出たこともあった、待たせるよりは待つ方がマシだと思って家は早めに出る
友人が予定より早く来ることは基本的にない。5分でも10分でも早めにくるってことはないのだ。待つ時間は1日の満足度をタイパで測るときの減点要素なのだろうか。
今日はゆるく書いていきます
なんだか最近、有給をとっても楽しめないのだ。1日を。とりあえず午前中に起きて身支度して、とりあえず外にでるけど、どこにもないのだ、居場所が。
こんな風に過ごすんだったら働いてた方がマシだったとさえ過る始末。ひとりでカラオケに行っても虚しいし、本を読むためにカフェにいくのも間抜けな気がしてしまうのだ。
中途半端な時間は毒だな、と思う
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そんな傍からみたらお気楽な憂鬱は結構曲者で、贅沢な悩みにカテゴライズされたりする
家族のためにあくせく働き、育児に奔走する同世代に対して一抹の後ろめたさでも覚えているつもりなのだろうか とも
俺は絶対に羨ましい 自分が羨ましいと思える自分を目指して、せっせと成形して、仕上がったものが虚しくて そんなことはお首にも出せないと言いつつ ブログで吐き出したりする
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資格試験の受験が終わって暇になっている
学習と対峙せざるを得なかった時期は喉から手が出るほど欲した休暇が、いざ手に入ると流砂のように溢れていってしまう あの時欲しがった時間というのは何だったんだろう?
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一生懸命働いて、適当にくたびれて、帰って飯食って寝る以上の娯楽を見つけられずに、曖昧な時期を過ごしている どこに行っても誰かと会っても、クリティカルには満たされなくてもやもやする(友人には基本的に感謝してます)
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結局、誰かから自分が大切にされていないなって感じる時 それは自分が自分を大切に出来ていないときだったりする
自分が思うより結構弱い自分という存在の強度を誤認して、行きたくもない会合に行く予定をいれたりするから気分が悪くなるのだ
自分のリズムで歩けなくなって、適当なジャンクフードを食べて何もかも面倒になってしまったりする
忘れていけないのはその皺寄せが自分を含めた自分という座標から近い順に影響を及ぼしていくということ 大切な人を守るためにまずは自分を守ってやらないといけないのだ
自分を大切にするための手段をちゃんと携えて生きていきたい。不定形のそれは難しいのだ。見つめれば穴が空くし、指と指の間をさらさらと溢れていってしまう。
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