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わたしのパーソナリティーについて #059

最近ビトクさんのnoteにはまっている

したたかに現世をサバイブし、その経緯や葛藤が赤裸々に綴られているのでとても勉強になる。めちゃめちゃギブして頂いている。(わたしはまだまだ圧倒的にテイカーであります)

例としてビトクさんであれば「@ベーシスト」という一言肩書きみたいなものがハンドルネームに登録されている。では自分にとってのそれは何だろう?というのが本題ということになる。

(現在活動休止中だが)10代から10年以上ギターを弾いてボーカルをやっている。バンド歴も同じくらいある。曲も書くし、詩も書くのだが、それらを肩書きにしようとして思い浮かぶワードは…(「肩書き」:感想 の形式で箇条書きします。)

「@バンドマン」:バンドマンを自称するのが何かださいのって、バンドをやっている事実を自分自身のパーソナリティと勘違いしてしまっているからなのかな。バンドマンって言葉がそもそもださい。

「@ギタリスト」:ギターよりも歌が得意だし好き。ギターは弾けるけどギタリストだと思われたら申し訳ないので私には合わない。

「@ボーカリスト」:ボーカリストって華があるよな。何となく、UVERworldとかONE OK ROCKとか、あんな雰囲気のバンドで歌っている人はボーカリスト!って感じする。このジャンルのイメージと私の実態には乖離があるような。

「@ギターボーカル」:ここまで書いていて思うのは、何かしらの楽器(や歌)を嗜んでいる事そのものが私自身のパーソナリティと完全一致するわけでは無いということ。ここでいう肩書きというのはあくまで「自身が何者か」を一言(重要)で表すことなのかなあ。と。

その他「作詞家」「作曲家」「作詞作曲」と肩書き候補を挙げていき、より自身のパーソナリティと一致するものを探し求めることも出来なくはないですが、それ以上に今必要なのは割り切りなのかもしれないです。
更に言えば肩書きを割り切って名前の横に置くという行為は"あくまでマスを相手取る"意識があってこそと感じます。

わたしのノートは現状何かを発信するツールというより日記や雑記であることが多いので、分不相応な肩書きを背負って書くことが辛くなってしまわないことが大事であるような気がします。SNSの使い分けというのが私には難しいです。

とは言えせっかく記事を読んで思考を言語化して、結論現状維持で。というのも味気ないので気が変わるまで noteのアカウント名に@肩書きを設定してみようと思います。

今日考えたのはそんなところです。

最後に、まじでなんの脈絡もありませんが、近々読もうと思っている本を紹介します。いつしかクリープハイプの世界観さんが読んで良かった本として紹介されていました。読んでみて何か思うことがあればnote更新したいと思います。

ではまた!

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