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求めるのはつながり

 何を求めて人間は生きようとしているのか。私は童具をモチーフにそれを探ってきました。

 その答えは「つながり」。「関係性」とも言えます。人間はいろいろなところで「つながり」をいつも見つけよう、つくりだそうとしています。

 例えば頭の中でいろいろな情報をまとめようとすることは、いろいろな情報を必然の糸、調和の糸でつなげるということです。一つの物をいろいろな場面に応用するということは、一つの情報をいろいろな場面につなげて生かしていくことです。

 人間は頭でいつもそのつながり、関係性を探ろうとしています。そして心の中ではいつも母を求め、友を求めます。人とのつながりをせつないほど強く求めています。

 身体も同じです。スキンシップをしないと赤ちゃんは情緒が不安定になります。大人でも愛する人に出会ったらスキンシップがしたくなるはずです。

 つながりたい、身も心も頭も全部つながろうとする。つなげようとする。あるいはつながりを見つけだそうとしています。

 このつながりの世界は自然界にも当てはめることができます。この地球にはいろいろな植物の生命がある。動物の生命がある。土がある。空気がある。水がある。いろいろな物質が存在します。じつはこれも全部つながっています。私たちの目にはバラバラな現象として見えるけれども、目に見えないところでつながっています。

 テレビで密閉されたフラスコに水が入っている映像を見たことがあります。この中に川エビがいて、藻も入っています。アメーバも入れてあります。さて、このエビがどのくらい生きるかを知る実験です。

 エビの寿命が2年あれば2年生きるそうです。これはエビだけが生きているのではありません。水も、空気も、草も、アメーバも生きているから、エビが生きていられるわけです。

 これが宇宙生命です。地球の生命、私たちをとりまく生命のあり方です。

 その中で、私たち一人ひとりは生かされています。ここに理解が及ばなくなると、自然や地球を平然と破壊することになります。いま、私たちはこの目に見えないつながりをないがしろにしているような気がします。

 地球を汚して、オゾン層を破壊して、自らの命を絶とうとしています。自然と人間の調和、関係性に思いが向かわず、自分が、自分の会社が、自分の国が、よければいいというエゴがこういう地球にしてしまいました。つながりに心や思考が向かわないと、人類は自分自身の生命すらも失う段階まで来てしまいました。

 私たちは、「自分」を中心にものを考える個人主義の大切さを教えられてきました。個人主義は個人の尊厳を尊重するという点でたしかに人権にとって基本的なことですが、同時に自分が生きているのはさまざまな生命、さまざまな人たちの中で生かされているのだということを、子どもも大人も謙虚に感じとれるようにしないと、21世紀に人類は滅びてしまいます。

 生命はいろいろな姿をしているけれど、大きな一つの命とも言えます。人間の身体には肺や心臓や腸や脳という機能があって、別々の形と名前がつけられていますが、どれをとっても人間は死んでしまいます。それぞれが一つの生命のかけがえのない部分です。人間と自然の関係も同じです。

 また積木は、どの形が大切というわけではありません。どの形にも意味があります。小さな木片でも大きな木片でも、土台に隠れてわが身を人の目から失わせたものでも、そこに存在しています。一つとったら一気に崩れることもあります。積木の活動は深い哲学的な意味を持っています。

 それはすべてのものが調和しながら関係づけられて互いを生かすあり方を示しています。

 私はこのことこそが愛の本質だと思っています。愛にはアガペーとエロスの二つの愛があると言われています。与える愛と欲しがる愛です。仏教では慈悲と渇愛の言葉をあてています。エロスは欲望と背中合わせですが、アガペーにそれはありません。アガペーこそ真の愛と言われるゆえんはそこにあります。

 人間の身体も、大自然のあり様も、積木遊びもアガペーの姿を示しています。関係性の中に調和がある世界です。創造活動はそこに意識を向けるための喜びに満ちた知的トレーニングとさえ思えます。

 これから私たちが大切にしなければならないことは、その「創造力」と「共生意識」だと思っています。共生意識は、いろいろなもののおかげで、みなさんのおかげで自分が生かされている、だから自分も自然やみなさんのお役に立つことをする、という意識です。それは愛のあり様と少しも変わりません。この教育を幼児期、少年期にきちんとしておかないと日本はますます我利我利亡者の国になってしまいます。

 いつの間にか、愛も美も真理も、教育の中で語られなくなってしまいました。知識や技術をどれだけ覚えるかということが教育の至上主義になってしまったのです。講義の義は正義の義です。義について『広辞苑』に書かれています。

 「①道理、条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。②利害
をすてて条理にしたがい、人道・公共のためにつくすこと。」

 義を講じる教師が少なくなっているように思えてなりません。これでは人間不在の教育です。そのためにもこの『つながり』の世界を、子どもに創造活動を通しながら感じとってもらいたい。私はそれを童具とアトリエ活動に託しました。他にも方法はいろいろあるはずです。


和久洋三著書『子どもの目が輝くとき』より

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