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人間の本質にしたがって生きる

 私が提唱する『創造共育』は大人も子どもも、生まれてきたことを喜べるものにするためのものです。それはあらゆるものごとの関係性を発見し、表現し、自分が存在することを感謝できるものにするためのものでもあります。

 「お母さん、産んでくれてありがとう」

 その言葉が素直に子どもの口から出てくるような生き方への援助です。それは子どもが育つのではなく私たち大人も子どもに育てられていることを自覚することからはじまります。“共育”はそのことを意味しています。

 思えば、私がある人と出会い、ある物と出合うことはことは奇跡的なことです。父が放出した精子は天文学的な数になります。そのひとつが母の卵子と結合して私が生まれました。そのこと自体が奇跡です。父も母も祖父も祖母も、そうして生まれました。その命は生命が地球に出現した太古にまでさかのぼります。途方もない奇跡の連鎖です。かけがえのない命でなかろうはずはありません。

 そしていま、私はここでこうして文章を書いています。手にとっているペンがここにあるまでに、どれだけの人たちが関わっているでしょう。これをつくる人たち、つくる機械を製造した人たち、原料をつくる人たち、売った人、買った人、おそらくきちんと追っていったら何百人もの人たちのおかげがあるわけです。

 今朝の食事の材料、食器、調理器具にしても同じことです。私たちが一日生きるだけでも、おそらく万を越える人たちのおかげで生かされていることになります。人だけではありません。太陽、空気、水、大地、動植物などの自然の恩恵も忘れることはできません。一人で生きられる人間など存在しません。みんなつながって生かされている生命です。

 いま、日本人の顔は暗い。明るく輝いている顔にはめったに出会えません。人間は幸福なときには表情が生き生きします。そしてそんなときは、かならずと言っていいほど感謝の言葉が口をついて出ています。どんな分野でも輝かしい栄誉を与えられたときにまず出てくるのは「ありがとうございます」という言葉です。その次に「みなさんのおかげです」。

 きっとこんな大きな喜びが自分だけでつかめるわけがないことをまず感じとるからでしょう。ここに至るまでに励ましてくれ、助けてくれたいろいろな人たちの顔が走馬灯のように浮かんでくるのだと思います。だから幸せなときに感謝の感情が湧くのだと思います。

 一人ひとりお互いに生かされている命であるとすれば、素直にお互いを受け入れ、お互いにつくす生き方をすることが自然な生き方のはずです。自然の本質や人間の本質にしたがって生きるようにすれば良いはずです。

 一日一日一所懸命に生きていくことの積み重ねしかありません。子どもとの関係も一日一日の積み重ねです。関わったあり様がそのまま結果として出てきます。

 宇宙にたったひとつしかない生命。その生命を産み育てることのできる母親の役割ほどすばらしい任務はありません。またそれを援助する保育士や教師の仕事ほどかけがえのない仕事はありません。私が百、二百の童具をいくら精魂込めてつくったとしても子どもを産み育てることには及びもつきません。

 どの子もみんなすばらしい世界を持っています。私たちが忘れかけているものや、見失っているものを子どもはたくさん持っています。みんな自分の力で自分の世界をきりひらこうとひたむきに生きています。

 私は多くの教育思想家や教育者の本を読んできました。学ぶべきことはたくさんありました。しかし、人間のすばらしさを教えてくれたのは子どもたちです。子どもたちのおかげで人類の未来に少しずつ希望が持てるようになりました。創造共育の普及に使命感を持つことができるようにさえなりました。仕事が使命感に結びつくことは私の中では夢の世界でしたが、子どもたちが与えてくれました。

 生きている間にどれだけのことができるか予測もつきませんが、これからも子どもたちと共に、子どもをとりまく人たちと共に、創造共育を煮つめ広める作業をしていきたいと思います。

 みなさんも、子どもを信じて、援助することを楽しみながら子育てをしてください。きっとまたとない幸福感に心が満たされるはずです。子どもへの感謝がふつふつと湧きあがるはずです。

 関係性を象徴的に表した童具に<ケルンボール>があります。吊りメリーです。

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 じつは赤ちゃんには最初、吊りメリーが見えません。赤ちゃんが最初に焦点距離が合うのは、お母さんのおっぱいを含んでいる時の赤ちゃんの目とお母さんの顔の距離です。

 だから、吊りメリーが高いところで動いても見えない。そこで、焦点距離が合うところにこの童具を手で吊るして、回転させながらお母さんが歌いかけるのです。

 お母さんの声はどんなダミ声でも、音痴でも、お腹の中で聞いていた音波ですから一番心に響きます。その声で子どもに歌いかけてあげます。

 調和の花を咲かせます。

 「ひらいた、ひらいた、何の花がひらいた、れんげの花がひらいた。ひらいたと思ったらいつの間にかつぼんだ」


和久洋三著書『子どもの目が輝くとき』より

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