マレーシアの教育国立大学で英語に浸かる2週間をやってみた
半月もマレーシアにいた。最近これまでより長い期間の海外滞在が増えた。背景には、航空運賃が高いので短期滞在だとROIがとても低いからだ。今回は知人が企画したワーケーションプログラムに参加したのだが、私が感じた体験を話したい。
1.なぜ、マレーシア?
今年(2023年)に入って一番最初の海外訪問がたまたまマレーシアだった。実は、イスラエル に行く予定があったのだが、現地でテロ事件があり、行くことが難しくなった。(夏に延期になったが、私が行けるかは定かではない。)デンマークで出会った友人がマレーシアのワーケーションツアーを行っていたので、まるで穴埋めのようにそちらに参加することにした。今回のツアーは今回のツアーはこんな内容である。
①英語学習:午前1時間、午後2時間の英語レッスン
②大学生ボランティアのバディ:日中のいつでも英語を話す相手になってくれる。時には自分の車で街に連れてってくれたり、食事に付き合ってくれたり。(とても助かった)また、バディたちは第二言語としての英語を教える教員の卵たちだ。教え方はもとより発音もわかりやすく話し相手にはもってこいだったね。
③大学の様々な学部の先生や学生が主体になってのワークショップ:
英語レッスン以外に、ラフティング、図書館・博物館見学やナイトマーケットなど様々。学校がこのような形で売上を上げるのはとても良いことだと思った。
④宿泊は学校が経営するホテル:缶詰となるので逃げ場はなく英語漬け。ありがたい。キャンパスが広すぎて、ほぼホテルから出なかったのがもったいなかった。。。
2.なぜ、国立教育大学?
今回お世話になった大学は UPSI:Universiti Pendidikan Sultan Idrisという国立教育大学だ。マレーシア最古の大学で、元々は王族向けの大学だったものが変遷を経て教育大学になっている。マレーシアやシンガポールの政府高官にもこちらの卒業生は多いそうだ。また、唯一の国立教育大学でもあり、街の中にはいたるところに「UPSI No.1」という看板があった。
実は大きな目的を持って、この大学に来た。英語の学びより強かった思いは、英語で各教科を教えられる教員調達ができないかと考えていたからだ。滞在先がUPSIであると知り、このツアーへの参加を決めた。ありがたいことに、ツアー内に準備されていたプログラムで副学長と話す機会が設けられており、日本の課題として「日本人の教員が英語で教えられる日は遠い。しかし日本の子どもたちがGlobal Citiznになるためには早期に英語で学びを受けられるようになる必要がある」というお話をさせていただいた。
・英語で教えられる教員
・英語だけでなく各教科を英語で教えられること
・IB International Baccalaureate (国際バカロレア)をベースにしたい
勝手に文科大臣の代わりにお願いしてきた。日本国にもぜひ頑張っていただきたいが、個人でできることもどうもたくさんあるようだ。できることをやるしかないと思って、こちらにやってきたのであった。もちろん副学長は快諾してくれた。そこに作る予定のインターナショナルスクールに日本人も連れてきてくれないか、という話もあった。1学年30人の高校生。金額によっては日本人はすぐに集まると思う。大学の学費も安いんだが、何と言っても先生調達がここでは用意だから、インターナショナルスクールでもそんなに高くはないだろう。
3.インターナショナルスクールとどうつながるの?
今回はUPSI滞在以外に幾つかの現地の学校やインターナショナルスクールを訪問した。私自身が今後作っていく学校との提携ができそうなところがないかという視点と、日本人が親子留学・家族移住をしている国の教育環境を見たかったからだ。INTERNATIONAL という単語はinter とnationalが繋がった言葉だ。国(national)がつながる(inter)からinternationalなんですよね。International schoolは英語で学ぶだけではなく、学校というハブでいろんな国の人が交わって初めて本領を発揮するものだと改めて学んだ気がした。
マレーシアという国は大きく分けて、マレー人、中国人、インド人の3つの人種が一緒に生活している国だ。しかし、どの国にも独特のrace(人種)があり様々な言語もある。つまり、インド人と言ってもいろんな種族の人がいて、異なる言語を使っているそうだ。それがインドの国を離れたマレーシアであってもだ。本当に驚いた。Chindian チンディアン という言葉を初めて聞いて、これにも驚いた。チャイニーズとインディアンが結婚して生まれた子どもたちのことをチンディアンと呼ぶそうだ。昨晩一緒に夕食を食べた日本人の女の子は「(インターナショナルスクールの)うちのクラスにはチンディアンはいっぱいいるよ」と。私たち親はとても驚いた。もちろん蔑称ではない。単純にその人たちのraceをわかりやすく表現しているだけなのだ。
4.マレーシア人は(ほぼ)英語が話せる!?
そして、マレーシアの人たちのおおよそ50%は英語が普通に話せる。都会に住んでいるか、どんな学びを得ることができたか、というその人ごとの人生の背景によって若干異なってはいるようだ。全国にマレー・中国・インド系の小学校(elementary school)と中高校(cecondary schoo)があるのだが、そこでは英語・数学・理科系の授業は英語で行われ、それ以外はマレー語・中国語・タミル語で授業が行われるそうだ。大学では先生の好きな言語で授業が行われていたりするそうだが、原則すべての先生は英語で授業ができるベースがある。留学生のいるクラスでは英語で授業がされていて、どの大学も世界大学ランキングのランクアップを目標に、外国人教員の採用と海外からの留学生を求めている。
今回はクアラルンプルだけでなく、クチンKuching、ビンツルBintulu・タンジュンマリムTanjung Malim・マラッカ Melakaも行ったのだが、どこも英語が通じた。しかし、一部のホテルでは英語が話せない若者も多かった。これは都会と地方の格差、そして、地域と家庭環境で英語を話す機会があるかないかの差ではないかと感じた。
今回工場見学をしたマレーシア初の国産自動車メーカープロトンProtonのプレゼンターが日本の久留米高専出身者であった。20年ぶり?で日本語でプレゼンをしたという話だったが、とても日本を好いていてくれてそれもとても楽しかった。1985年の創業の際には三菱自動車がパートナーだったのが、今は中国の吉利汽車が約50%の株を持っている。日本の名残は YOSH! という掛け声と古いコーヒーの自販機のみだった。日本と中国企業の経営手法の違いは何かという質問がでたのが印象的だった。
5.マレーシア人でないと訪問できない場所が満載のツアーができたわけ
今回の一番重要なポイントはアルバート・チェン氏のアレンジであったこと。彼はMalaysian Chineseで本当にマレーシアを愛していた。「私はマレーシアのGDPを少しでも上げたいのです」という言葉がとても印象に残った。日本人で同じようなことを思う人は、今は少ないのではないかと思う。私もその言葉を聞いて、自分の視点が低かったことに気がついた。UPSIも彼が卒業した大学だ。その後日本で15年学生生活とビジネスに携わり、二人の子どもの教育を考えて自国に戻った。(ちなみに配偶者はメインランドの中国人。中国系マレーシア人は「私たちは中国人」と言うのを聞いて、実は感動してしまった。自分にそこまでのアイデンティがあるのかな、と思ったり。)
と言うわけで、アルバート氏のマレーシア愛と、現地の人間である強み、日本に恩返しがしたいと言う思いが重なって実現したツアーであった。
私は大きな目的が達成されたから、前進するのは自分の行動力にかかっている。
<今回得たもの>
・英語は下手でも、相手が「この人の話を聞きたい」と思ってくれたならなんとかなる。恥ずかしいと思う必要はない。
・日本でインターを作る一番の課題は「英語で教える先生」が世界で逼迫していること。しかし、世界の英語をよく使う国から教員調達すればなんとかなる。完璧を求めるとクイックスタートはできない。今のままより一歩進めるなら、そこから始めるのが良い。(と私は思う)
諦める理由を探さず、実現する方法を考える。頭ではわかるがナカナカ実現できないことでもある。
まあ、やってみようよ。
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