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息子(当時高2)の決断に一番戸惑ったこと。あのびっくりは忘れられない

このnoteのどこかにも書いてあるかもしれない、書いてないかもしれない。さて、あなたの子育てで、一番驚いたことは何でしたか?、と聞かれたら何と答えるか、想像してみてほしい。

小さいことはもちろんいっぱいある。

・耳が痛い、と泣き叫ぶから119番に電話して、救急車が到着した頃に「なんか痛くなくなった」と言われた時
・英会話教室の先生から、何度も「宿題をやってこない」と私が怒られた時
ビーバースカウト(ボーイスカウトの未就学児コース)の入隊を断られた時
・未熟児(2ヶ月早く産まれたため)で運動が上手くなかったのに、小3でリレーの選手(補欠)になった時
・運動会の当日に転んで膝を怪我して、知らない人に抱き抱えられて家に帰ってきた時
・少年野球チームの他の保護者から「チームを辞めてほしい」と言われた時
・海外渡航の時に、自分の名前を間違えて登録して、「飛行機に乗れないらしい」と電話してきた時
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本当にいっぱいあるし、まだまだある。どのご家庭もそんなものだと思う。(きっと)

約20年のうちの一番の驚きは高校2年生の時である。

1校目の高校を1年の3月終了と同時に退学し、イギリスのボーディングスクールに行くことにした。「いろんなことがあったけど、これで、英語もできるようになるし、彼も落ち着いて、どこかの国の大学に行くだろう」とやっと安心した私はデンマークのフォルケホイスコーレに6ヶ月間留学していた。息子がいなければ、私が日本に、いや、自宅にいる必要もない。のびのびーと初の異国生活をしていたら、息子から連絡があり、「お母さん、この学校辞めることにする。ここで学ぶ意味がないから。日本に帰って、高卒認定を受けて大学に行く」とあっさりと。

高校を一度辞めているだけでも、私にしてみたら大ごとである。(余談ではあるが、彼が高校を辞めてイギリスにいった時、何人かの同級生も3月で退学して他の国の高校に行くことにした。その経験が「知っていたらできることが増える」と私が知り得たありがたいことだった。)それがまた辞める、という。すると、またまた辞めることになるのではないか、と不安にもなった。しかし、もうやめる、と本人が決めてしまえば、もうそうしかならないことはわかっているし、もしも、無理やり「卒業まで頑張れ」と言っても良いことにつながるとも思えない。ましてやコロナ禍の最中でもあり、いつパンデミックが終息するのかもわからない頃でもあった。イギリスと日本で対応が大きく異なっていて、それを側で見ていて、「どっちが正しいのだろう?」とcritical thinking を思う存分発揮できる時でもあった。

親の心臓も成長(肥大?膨張?)していく。

経験豊富になってきたら、ちょっとやそっとのことでは驚かなくもなる。それまでだったら、心臓がドキドキしたようなことも、ふーん、と言うことに変わっていく。人間とは便利にできているものである。せっかくなので、楽しいビックリでこの章を終えたい。(こどもの日だし)

去年だったと思う。成田空港に行ったはずの息子から、電話がかかってきた。電話がかかってくる時は良い話はないことが多かった。だから、何かが起こったことだけはわかった。飛行機のチケットをオンラインサイトで予約していたのだが、登録時のfirst name, family name が family name, family nameで登録していたらしく、「これでは乗れません」と言われたとか。そして、そのチケットカウンターでそのチケットをキャンセルし(もちろん、1円も戻ってこない)、新たに片道のチケットを購入することになった。誰のミスかもわからないし、そもそも、そんな「田中 田中さん」みたいな人がいるのかもしれないが、それもエラーにならないし、パスポート登録もしているのに、それとの照合もなかったようだし、不幸中の幸いとして、自分のキャンセルした座席を自分で買うこともできて、次の目的地に移動はできた。「田中 田中さん」はきっといるのだろう。そして、family name がない国もあるし、家族に同じfirst nameの人がある国もあるのだから、日本の常識だけで考えていたら、いろんな落とし穴もある。言いたいことは、「あっさり諦めて、気持ちを切り替える」ことも大切な時もあることだ。命に関わったり、人生を大きく左右することまで、あっさり諦める必要はないが、その時に絶対譲れないことを優先するしかない。息子のこの時は、次の目的地に移動すること、が重要事であった。

3つ目の高校は無事卒業

現在大学2年生をしているので、つまり、高校は卒業できた。高校生を4年半していたわけだが、私としては、ほぼ義務教育である中等教育までを無事に終えたのだから、親の責任範囲はここまでで良いのではないか、とホッとしている。

大学以降の人生は、もっと紆余曲折をするかもしれないが、いろんな仲間に相談しながら、自分で決めて駒を進めていくことだろう。

おまけの驚き(キャンベラにて)

昨年の冬にキャンベラの息子のアパートに泊まりに行ったことがある。彼とは2日ほどしか一緒にいなかったのだが、そこでも色々驚かされたことがある。
息子が準備してくれてた約束が二つ。
一つは韓国人留学生と一緒に野球を見にいくこと。当日は雨で、試合があるのかないのかなかなか定まらず、その上、私が英語はあまりできないのに、見知らぬ韓国人と調整しながら待ち合わせをして、彼の車に乗せてもらって野球を見にいった。その彼、もうすぐ慶應SFCにドクター留学するので、今度は日本で会えそうだ。
もう一つは、地域のsocial baseballでのプレイ。これまた全く知らない人の集まる野球チームに参加して、プレイするという強者的な行事。バスとトラムを乗り継いで野球場に行き、誰も知らない人に混じって野球をして、帰りにみんなで夕飯を食べて帰宅。(しかし、英語ができなくて辛かった!)その時にお世話になった人が、1月に日本に遊びに来て、一緒に靖国神社に行ったのも良い思い出です。

まだまだ驚くこともあるのですが、それはまた今度!

この章で言いたかったことは、「驚きはなれるから、どんどん強烈な驚きがやってくる」ということでした。

まるで大人の探究学習ツアー。

そうだ、息子の部屋に泊まっていたら、最高4泊までしかしちゃダメだったのに、カードキーを部屋に置いたまま、部屋の外に出る羽目になり、えらい目にあったこともあった。キャンベラに日本から直行便がないとも思っていないかったし。帰りの飛行機、キャンベラからシドニーも事故渋滞で乗り遅れるし、、、こんな話も機会があれば、、、(えらい目にあったよなー、あの時も)





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