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自伝 ~社会人編2~

自分は就職氷河期世代ですし、リーマンショックも日本でもかなり影響を感じました。ですので、自分にとって民主党への政権交代はとても喜んだ出来事でしたし、期待感を感じました。ところが、その後、日本では東日本大震災もあり、民主党政権も4年で終わりを迎えました。

自分はゲーム製作ツールで製作したソフトウェアや自分で作曲した音楽をインターネット上に投稿するようになりました。自分の子どもの頃は一般的な人がインターネットをやるような時代ではなく、自分で製作したコンテンツを投稿できることがすごいことだと思いました。

ソフトウェア製作は、自分のセンスで作ることができて良かったです。子どもの頃プレイしたファミコンやスーパーファミコン等のテレビゲームの影響をかなり受けました。

作曲についてもおそらく小学生の頃の習い事のヤマハの音楽教室のおかげでできるような部分もあるでしょうし、自分の感覚のものを作ることができて良かったと思います。

自分は、大学時代の専門分野の内容の仕事を派遣社員としてやっていたわけですが、派遣社員はあくまでもやむを得ずやっていたものでした。自分は中小企業の肥料メーカーに正社員として入社しました。
正直、大きい会社ではないですが、大学時代の専門分野にも関係のある会社ですし、正社員として入れたのが良かったです。
農家の方々へ売る肥料や、ホームセンターに出荷する肥料等の製品を製造したり、製造した製品や卸売製品の販売をしたりする会社です。ホームセンターで販売される肥料も、ホームセンターの会社に直接売るパターンもありますし、卸売の会社に販売するパターンもあります。

この会社は工場の製造の職種として入りました。はじめ、原料の準備や製品の製造、入出荷に関わっていました。仕事をやっていくうちに、肥料の工場というものを徐々に理解していくことができました。この仕事はいわゆる製造の仕事で、かなり体力のいる仕事で大変ではありますが、がんばって仕事をしました。

そのうち、事務所に入りました。社長に直接事務所に入るように言われ、事務所で仕事をすることになりました。この事務所で自分は営業事務の仕事をやることになりました。入出荷の際のPCへの入力等が仕事です。この仕事では当然、営業に出る人とやりとりしました。また、それだけではなく。社長と直接仕事上のやりとりをするポジションでもありました。製造の現場とは全く違う仕事でしたが、こちらもやらせてもらえてありがたいと思いました。

製造の現場も事務所も見ることで、会社の全体の流れを把握することができ、それまでより会社というものを理解することができました。

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